「チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ」堀川惠子/小笠原信之
読み返し。
P10
被爆した70両のチンチン電車に乗務していた運転士・車掌の7割ほどが14歳から17歳の少女たちだった、という事実だ。
P117
隣の呉市が日本海軍の4大拠点の1つで海軍の町だったのに対し、広島市は陸軍の町だった。
P119
連合軍が本土に上陸して日本が2つに分断されるケースを想定し、鈴鹿山系で日本本土を東西に2分、第1総軍と第2総軍を置いたのである。
P126
中国の抗日都市・重慶に対する日本海軍航空隊の無差別爆撃は、1939年春から41年秋まで続いた。そして、218回の集中豪雨的な空襲により、1万1889人の重慶市民を死に追いやっている。この死者数を米軍の戦略爆撃による日本人死者数と比べると、広島、長崎、東京に次ぐものであり、同じく1万1000人台の死者を出した愛知、兵庫、大阪の空襲に匹敵する。
【ネット上の紹介】
原爆が炸裂したあの日も、チンチン電車は広島の街を走っていた。運転士と車掌の多くは14~17歳の女学生たち。兵隊に取られた男たちの代わりを務めていたのだ。本書は、彼女らが通った「幻の女学校」の存在を明らかにし、徹底した取材で、少女たちの青春と、8月6日のヒロシマを記録する。
[目次]
第1章 「幻の女学校」との出会い
第2章 広島電鉄家政女学校開校
第3章 女学生運転士の誕生
第4章 青春の日々
第5章 軍都・広島とチンチン電車
第6章 八月六日、午前八時十五分
第7章 地獄絵のなかを
第8章 復旧電車が走る
第9章 女学生たちの六〇