原題:『I Am Sam』
監督:ジェシー・ネルソン
脚本:ジェシー・ネルソン/クリスティン・ジョンソン
撮影:エリオット・デイヴィス
出演:ショーン・ペン/ダコタ・ファニング/ミシェル・ファイファー/ダイアン・ウィースト
2001年/アメリカ
猿のように描かれる知的障害者について
ADHDの少年を主人公とした『Mommy/マミー』(グザヴィエ・ドラン監督 2014年)を観た後で、それまで知的障害者がどのように描かれていたのかが気になって本作を観たのではあるが、驚愕の描写が展開されていた。
スターバックスで勤務している知的障害を持つ主人公のサム・ドーソンはホームレスのレベッカを自宅に泊めて身ごもらせたのであるが、レベッカは女児を産んで退院した途端に行方をくらまし、仕方がなく男手でだけで娘のルーシー・ダイアモンドを7歳になるまで育てる。その後サムの養育能力に問題があると判断されルーシーは施設に保護されてしまうのであるが、隣人で「引きこもり」のアニーの手を借りながらも7年も女児を無事に育てていたというサムの実績が全く無視されていることには納得がいかない。つまり養育能力の問題と勉学の問題は全く別物であり、勉学は学校に行って学べばいいはずなのに一緒くたにして論じてしまっているからである。
あるいは「テーブル整理の係」からコーヒーを提供する係に「昇進」したサムが次々と絶え間ない注文でパニックになり失敗を繰り返すことになるのであるが、店長がサムを勤務から外さないということがあるだろうか。その後、裁判所で証言するために出廷するサムがコーヒーを被ったまま現れるのであるが、弁護を引き受けたリタ・ハリソン・ウィリアムズが出廷直前までサムをサポートしていないことにも疑問が残り、知的障害者が「猿回し」のように描かれていることがどうしても気になるのである。本作で感動する部分があるとするならば、20歳を過ぎた頃から美貌が微妙になってきているダコタ・ファニングの存在くらいである。