(画像:お別れ)
全く私事で恐縮ですが、一昨日私の祖母が亡くなりました。
まあ伏せってもう10年近くなってましたし、歳も90に手が届くところまで来てたので、世間一般的にはよく長生きしなさった、と言うところなのでしょうが、思い起こせば私も生まれて三十ウン年、自分の直系に当たる人の死と言うものには初めて立ち合う事となりました。正直ね、孫としては伏せってからはなかなか顔も出さずに不義理をしてしまったなあ、と言う慙愧の念も少しあったりしますが…そんな事をつらつらと思いながら導師の読経を聞く。曹洞宗の読経ってのは初めてだと思うんだが、ちょっと今までの感じとは違いますな。弔われる人の現世の罪に対する意識が強いと言うか、そこらへんを浄化して初めて御仏の道に旅立つ、みたいなね。ってか自分も曹洞宗の大学出てんじゃん!浄化されるべきはこちらの方かもしれないw
遺影の元気だった頃の顔は覚えているのだけれど、「最後のお別れです」と言われて納棺された姿に花を手向けたのだが、元気だったその時の記憶からは随分と変わってしまっていて、何だか小さくなっちゃたなあ、とね。みんなで秋保とか作並の温泉なんかよく行ったもんです。あ、ばあちゃんの家に泊ってその次の日に仙山線に乗って上山競馬場へ行った事もあったな。
骨は拾ってやる、と捨てゼリフを言った事は何回もありますが、実際に骨を拾うのは初めてでした。
長い間にすっかり小さくなってしまったばあちゃんの骨は、何と言うか、罰あたりを承知で言わせて貰えればまるで割れてしまった蛍光灯のように乾いてもろく、最後は砂のようになったそれを骨壺に収める時に、生きてて初めての不思議な感覚に襲われましたね。ちょっと言い難しいんだけど、人間ってどんな人でも最後はこうなっちまうって事の儚さと言うか、所詮そんなもんなんだねと言うちょっと虚ろな気持ちと言うか、それでいて何となく崇高で無垢な感じ?何だか書いてて良く分かんねえな。机上では知ってたんですけどね。
孫同士 箸に取りたる しらほねの 軽さに浮かぶ 遠き思い出
四十九日まで魂は現世に暫くとどまるようですから、せめて我々の事を見守って頂くこととして、別れの挨拶に変えます。
ばあちゃん、お疲れ様。そして、さよなら。
合掌。