青空、ひとりきり

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有峰口今昔

2018年09月29日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(48年前の話なのに@有峰口駅)

岩峅寺から先、立山までの間では唯一の交換駅となっている有峰口の駅。千垣の鉄橋を渡ってすぐの駅で、開業当時は小見駅という名前でした。ここもたいそう古い駅舎がこの平成の御世まで残されていて、まあ地鉄ってこんな駅舎ばっかだからこちらの感覚も麻痺してくるというか(笑)。それでもこの駅に立ち寄ってしまったのは、右からの書き文字で残る「驛見小」の看板。もちろんこの駅の現在の名前は有峰口駅。有峰湖への入口であり、夏場は登山バスが薬師岳の登山口である折立ヒュッテまで走る。立山ほどではないけれど、アルピニストにはよくよく知られた北アルプスの前線基地。


観光振興の期待を込めてこの駅が「有峰口」と改称されたのは昭和45年のお話。その際に、旧駅名であった「驛見小」の文字の上から新しい駅名の看板を掛けたのだけれど、とある日に風か嵐かその看板が落っこちてしまったそうな。「あんまり高いところに看板架けても危ないっちゃねー」と言う話があったのか、いずれにしろ看板の位置はそれ以降駅の入口の扉上に移り、元の位置に架かる事はなかった…という真偽の定かではない話がある(笑)。


これもホントかどうか確証はないのですが、看板が落ちた際に一緒に「驛見小」の「見」の部分が剥落してしまったそうで、その後長らく「驛□小」という状態のまま放置プレーの状態が続きました。今でこそ真ん中の「見」の字を書き足しているので体裁は取れていますけど、よーく見ると明らかにタイル地が剥がれてしまった部分に直に書き足しているし、なによりフォントが異なる。でも、よく考えたら見栄えが悪いなら撤去すれば良いのだし、「見」の字を書き足して旧駅名時代のヒストリーをあえて残したという姿勢には、「古いものを丁寧に使い、しっかりと歴史を残す」という地鉄の考え方のようなものが表れていると思うんよねえ。


小見驛改め有峰口駅の駅舎内。こうしてみると、地鉄の駅の作りにもある一定のパターンがある。木造ラッチの横に、待合室に対し斜めになった出札口。まあこれは日本全国の木造駅舎に共通する作りなのかもしれませんが…そして病院系の広告看板がとにかく多いのが地鉄の駅の特徴かと思います。


地鉄に病院の看板が多いのって何でだろう、と考えてみた。越中富山の冬、大雪が降ればクルマも出せないし、昔は除雪なども今ほど行き渡ってはいないでしょうから、急に具合が悪くなって病院に行こうとしても交通手段は鉄道しかなかったのかなと。特にこの辺り、立山山麓ともなれば平野部に比べてもさらに雪は深そう。産婦人科の広告看板にある「入院・給食」の文字が珍しいんだけど、昔は食事付きで入院出来る病院って珍しかったという事なのだろうか。ともあれ、何かあってもすぐには対応できませんので、お産の予定がある方は入院・給食のある当院へ早めに入っていただいて…という意味の広告なんでしょうね。

そう言えば、市外局番の5ケタって、昔は「田舎だなあ」という視覚的イメージが凄くあったよね。最近は際限なく番号が増えていくせいで、どんどん市外局番って短くなっているらしいですけど。現在の下新川郡立山町の市外局番は「0764」や「0765」が使われているようです。
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