青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

芙蓉、朝霧、富士の嶺。

2019年04月01日 22時00分00秒 | 小田急電鉄

(古き佳き日の御殿場線@山北鉄道資料館)

山北駅前にある観光案内所の2階には小さな鉄道資料館があって、鉄道の街・山北の歴史を今に伝えています。古き佳き日の御殿場線を切り取った写真には、第三相沢川橋梁を渡る小田急からの乗り入れ車・キハ5000型が写っている。「銀嶺」「芙蓉」の列車名で、非電化時代の御殿場線に小田急のディーゼルカーが御殿場乗り入れを開始したのが昭和30年のお話。キハ17っぽい車両と交換しているのは、ホーム前後のカーブから足柄の駅であろうか。


関東の大手私鉄である小田急が気動車を保有していたというのも、平成の鉄道キッズたちには俄かには信じられない話であると思うのだが、気動車が運用されていたのは御殿場線電化によるSE車の乗り入れまでの僅か13年。今に続く小田急線の御殿場線乗り入れの嚆矢となったキハ5000形は、3000系SE車にその座を譲った後は関東鉄道に譲渡され、常総線で昭和63年まで使用されていました。


山北の桜回廊を愛でながら、MSE特急ふじさん3号が行く。キハ5000形から始まって、3000系SE、20000系RSE、そして現在は60000系MSEが御殿場連絡特急「ふじさん」の任に就いています。しかし「ふじさん」ってのも何だか収まりが悪くて、未だに「あさぎり」と呼んでしまうなあ。思えば、平成初期のあさぎり沼津延伸に伴ってJR371系×20000系RSEがともに2階建て車両というバブリーなチューンナップでデビューした時が、御殿場方面の特急列車の一番華やかだった時代でしょうか。


小田急はあさぎり号を通じて割と御殿場~西伊豆方面にも力を入れてましたよね。御殿場の小田急御殿場ファミリーランドとか、田貫湖の小田急花鳥山脈とか、観光施設も随所にありました。花鳥山脈は秋になると一面のサルビアが咲くのが有名だった思い出がありますねえ。その昔、小田急の新宿駅の改札の前に西伊豆名産のタカアシガニが入った水槽があって、新宿のデパートに買い物に行くたびにその水槽を見るのが大好きだったんだけど、覚えてる人います?

御殿場ファミリーランドも花鳥山脈も今はなく、あさぎりは沼津延伸を取りやめて御殿場折り返しに戻り、定期4往復から3往復に減便されて現在に至ります。あさぎりの沼津延伸に伴って小田急も西伊豆フリーパスとか売ってたんだけど、大学のバイト時代の4年間で3、4回くらいしか取り扱った記憶がない。箱根フリーパスに比べると物凄く認知度が低かったんよね。儚く消えた小田急の西伊豆進出、バブルは遠くなりにけり、である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする