青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

川根小山桜今昔

2019年04月09日 22時00分00秒 | 大井川鐵道

(箱庭の春@川根小山駅)

井川線の魅力って何だろう。改めてそんなことを考えながら、今まで撮影した井川線の写真を振り返ってみると、千頭から奥泉の辺りで撮影したものが多いことが分かる。果てなく続く南アルプスの山々を削り、曲がりくねって流れる大井川。そんな川の流れに沿って、山の斜面を切り開き、僅かな耕地と茶畑を営みながら僅かな家々が続いている。井川線の魅力は、そんな小さな集落を丁寧に拾いながら、奥大井の風土を紡いでいるところにある。それは、新線に付け替えられたアプト区間ではなく、千頭から奥泉の間の、この辺りにいちばん濃く残っているように思う。


小さな小さな集落を、川の形に従うようにカーブしながら結んでいく井川線。そんな集落の奥の奥、昼なお暗い杉林の中の細い細い道を抜けた先にぽっかりと青空が見えて、そこに川根小山の駅があります。この駅には以前も来たことがあって、その際に駅に桜の木が植わっていたのをおぼろげながら覚えていた。そんな私へのご褒美なのだろうか、私の訪れを待っていてくれたかのように、駅にそびえる大きな一本桜が見事な花を付けていた。積まれた古い枕木のクレオソートの香りが仄かに漂い、山を渡る鳥の声と風の音だけが聞こえる川根小山の駅。森の中の秘密の箱庭のような空間に咲く小山の桜が、奥大井の春を笑う。


駅のホームから、暖かな日差しの下で伸び伸びと花を開かせた桜を見上げる。あんまり花には詳しくないけど、スラリとしたその立ち姿はソメイヨシノではなくてヤマザクラ系の木でしょうか。ダム建設の資材運搬用として、現在の中部電力がこの小山の集落にレールを敷いたのは昭和初期。戦後に大井川鉄道がその線路を引き継いで旅客転用し、昭和34年に川根小山の駅が開業していますが、この桜の木は駅の開業を記念して植えられたのではないかなと。樹の古さや大きさからして、その当時からのもののような気がします。

 

遠くから、フランジを軋ませて列車の近付く音が聞こえてくる。列車の接近を知らせるブザーが勢い良く鳴り始めると、井川方面からの列車がトンネルを飛び出してきた。あれ、この時間千頭行きの列車はないはずなんだけどなあ。見ると、DDを先頭にした客車2両のミニ編成、どうやら行楽シーズンを前にした試運転列車の様子。ヤマザクラの花陰をくぐって、井川行きの始発列車を待ちます。


先ほど川根両国で見送った201レが、大井川の谷をゆるゆると遡りながら川根小山の駅まで上がって来た。両国から小山を列車は20分かかっているところ、寸又峡へ行くバスは千頭駅前から奥泉駅前をトンネルを通って10分で結んでしまう。観光路線である井川線に速達性というものは求められていないと思うけど、随分と違うものだ。既に井川の手前の閑蔵までは2車線の舗装道路が伸びていて、正直千頭へ出るだけであれば井川線沿線の住民は車かバスで十分に事が足りているとは思うのだが、利用者減による減便を繰り返しながら、そして何度も何度も土砂災害で不通になりながらも、井川線は今もその車輪の音を奥大井に響かせ続けている。


人跡稀な奥大井の杣道に鉄道が通った時、果たしてこの地の人々の暮らしというのはどんなものだったのだろう。少なくとも、街へ出るだけでも大変な労苦を伴ったであろう小山の集落に、鉄道の開通というものは相当な福音であったことは想像に難くありません。切り出した木材は川に流すことなく貨車に乗せられ、摘んだお茶の葉は鉄道に乗って製茶工場のある千頭の街へ。出来上がった新茶の袋を抱えて、行商の人は金谷の街へ、静岡の街へ。きっと、この小さな集落の暮らしを鉄道が変えたはずだ。

今は人っ子一人乗る姿を見ることは稀な、森の中の駅の栄枯盛衰。
ヤマザクラが見守る、60年目の川根小山の春です。
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