青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

鉄路と街と雪うさぎ

2015年03月09日 21時54分11秒 | JR

(信越山線スイッチバック号@杉野沢踏切)

「ありがとう信越線号」の他にも色々な臨時列車が運転された信越山線。これは長野車セの115系スカ色C1編成を使用した「信越山線スイッチバック号」。昨年の11月に豊田区の115系山スカが運用を離脱し、続々と廃車になる中で唯一のスカ色115として残ったのが長野のC1編成。最近になってリバイバル系塗装の一環として塗り直されたため純粋な山スカ編成とは必ずしも言えないと思うのだけど(正調山スカ6連と言えば豊田区のM40編成ですよね)…それと、スカ色ってのは中央東線の色であって、個人的にはこの区間ってスカ色の115系で運用されてたイメージがあまりない。それだけ長野色ってのが溶け込んでいることの証拠なのかなと思ったりもするのでありますが。


妙高4号を撮って昼になったので、上越の名店として名高い「食堂ニューミサ」の味噌ラーメンなんぞを。昨日から麺ものばっかし(笑)。新井の道の駅で以前食べたことがあるのですが、本店は初めてだな。店内は並び客が出るほどの盛況、一人客なんでグループより先にカウンターに通して貰えたのだが、炒めタマネギベースの甘みの強い白みそスープにたっぷりの麺、ひき肉の絡まった麺をすするとニンニク風味がガツンと効いていてご飯が欲しくなるね。この日は遠来からの同業者さんも数多くこの山線沿線グルメに舌鼓を打っていました。


お腹も満たされたところで改めて二本木駅。昨日も来ましたが、何となくこの駅に惹かれてしまったというか。青いトタン屋根の木造駅舎は、小さいながらも豪雪地帯の長年の厳しい気候に耐えた暖かみのようなものが感じられます。北信から上中越地方を回っていると、このカラフルなトタンの青屋根と赤屋根が交互に続く農村風景と言うものにとても心が癒される。聞けば二本木駅の駅舎は開業当時からのものがそのまま現存しているそうで、これは新潟県内で一番古い現役の駅舎なのだとか。


スイッチバックが珍しいのか、聞かれることが多いのか、ともあれ出札口には二本木駅の細かい配線図が。いわゆる国鉄幹線に多い「通過型スイッチバック」で、停車する列車以外は駅南側の渡り線を使って通過。停車する列車だけは引き上げ線を使って前進後退をするシステムになっています。この近くだと篠ノ井線の姨捨とかはこの形ですね…隣の関山駅も同様のスイッチバックだったんだが、現在は坂道の途中にホームを建設してスイッチバックは廃止されてしまいました。

  

駅舎からは地下道を通って島式のホームに出て行くのだが、地下道入口の雪囲いがたいそう渋い。天井に渡る梁の太さがいかにも雪国の駅。こういう待合室からホームへの通路が囲われているというのが雪国の駅の特徴でもあるが、だいたいは波板とコンクリで味もそっけもなかったりするもの。ホームに置かれた小型の除雪機、早朝深夜以外は委託でも駅員常駐の駅なので、雪が降ればこの機械を使ってホームを整備するのでしょう。ホーム脇にある煉瓦造りの作業小屋(?)もおそらく開業当時の物件かと。


少し右カーブしたホーム。土曜日と日曜日に撮った画像が混じっているので時系列が合わないのはご容赦。この左側のスペースには何本かの側線があって、駅横にある日本曹達二本木工場向けの貨車の入れ替えと留置が行われておりました。日本曹達は、電解製造による水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)の特許を取得して大正9年にここ新潟県は中郷村にて操業を開始。以来カリや殺鼠剤、殺虫剤などの農薬から現在はアグリ、浸透膜、医薬品まで幅広い分野の製品を取り扱う一大化学メーカーとなっています。

EF641000 二本木貨物(入換編)

前述の通り、残念ながら2007年をもって二本木駅での貨物取扱は廃止となっていますが、古くはEF62、そして近年までEF64が重連で(ココ重要)化成品や原材料を積んだ私有貨車(黄タキ)やコンテナを持ってこの二本木駅まで登り、スイッチバックの引き上げ線を使って貨車の入れ替えを行っていました。末期の二本木貨物はまず新井でダイセル向けの荷物を切り離し、その後二本木まで日曹向けの荷物を持って来ていましたが、そう言えば昔「二本木駅常備」って書かれた日曹の私有タキを首都圏でも見たことがあるような気がするな。


新井駅の跨線橋から見たダイセル化学の新井工場。信越山線を辿ると、新井駅のダイセル化学(合成樹脂製造)を始め、二本木駅には日本曹達(電気分解による化学薬品の製造)、妙高高原駅には中央電気工業(合金製造)、黒姫駅には信越化学グループの信濃電気製錬(炭化ケイ素製造)とそれぞれ「駅付き」の大工場があって現在も操業を続けています。ともに膨大な電力を消費する大工場は、明治から大正期にかけて開発された関川の水力発電事業とリンクするように開設されていますが、電力の確保と同時に信越本線による物流が確保されていた事が大きかったのではないだろうか。今や半導体部品の事業で世界トップ企業となった信越化学も、もとは信越窒素肥料と言う肥料会社で、創業の地は直江津だったりする。

 

小さいながらも日曹の企業城下町である中郷地区。駅前からガードをくぐりわざわざ日本曹達の正門まで行ってみる(笑)。これまで福井や富山なんかで見て来ましたけど、またこの上越地方も急峻な山から日本海に流れ込む川に高低差を生かした水力発電事業が発展→鉄道の沿線に電力の大口顧客としての工場が出来る→町が大きくなると言うのは共通のメソッドのような気がしますね。また、冬は雪に閉ざされるこの地方には、年間通しての働き口の確保とか、安定した現金収入と言う意味でも工場の建設と雇用ってーのは暮らしに大きな影響を与えたんじゃないかなあ。

往時はどこも専用線を持って貨物の受け渡しも頻繁だったそうですが、それも今は昔。そんな事を思いながら日本曹達の社紋である「雪うさぎ」のマークを見ると、この地域における産業の歴史と、それに寄り添った信越山線の姿がほの見えて来るようでなかなか興味深いものです。
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