(かつての本線筋を往く@桜沢~都住間)
本来であれば、雪景色&ゆけむり号の組み合わせを求めて信州中野~湯田中間を中心に撮影をする予定だったのですが、あまりにも雪が少ないため里に降りてきてしまった。里は、より一層雪が少なく、色のない季節でよりモチーフ選びが難しい。桜沢から都住にかけての田園地帯、長電の中では比較的スピードの出しやすい高速ストレートが続く区間で「のんびりゆけむり号」を。古めかしい開業当時からの架線柱と、たくさんの碍子に通信ケーブルをくくりつけた「ハエタタキ」風の補助電柱がいかにも地方私鉄らしい風景である。現在の長野電鉄は、長野から湯田中間を一貫して「長野線」と称していますけども、開業時は屋代から須坂を経由し木島まで、千曲川の右岸を結んだ「河東鉄道」が建設した河東線がかつての本線筋でした。須坂から長野までは、長野電気鉄道が免許を受けた別路線の扱いでしたから、須坂から信州中野までの区間は、河東鉄道の面影を残す長電最古の区間と言えます。
土日を中心に運転されている「のんびりゆけむり号」は、1000系HiSEが専属で充当される列車で、1000系を撮影したければ土日に信州に来るのがいい。長野行きの「のんびり号」は小布施で、午後の「のんびり号」の回送スジは信濃竹原で、それぞれ定期のゆけむり号と交換する。この日は小布施での交換シーンを撮影してみた。小布施ではトイレ休憩込みのプチ停車の時間を取るため、駅舎に一番近い3番ホームへ入線するのんびり号。S1・S2のゆけむり号2編成が鼻面を並べての交換風景は、小田急時代の箱根板橋とかでこういうのもあったような朧げな記憶で、何にしろ贅沢なシーンである。「ながでん電車の広場」から見守る先代の特急車2000系。もう引退して10年以上の時が過ぎた。昭和30年代にデビューし、長野電鉄の特急車として半世紀以上の間君臨していた2000系も、デビュー当時から暫くの間は「ロマンスカー」の愛称で親しまれていたことはあまり知られていない。概して、進行方向向きの横並びの二人掛け座席を「ロマンスシート」ということに起因していて、同時期に各地の地方私鉄へ日本車輛製造が投入した車両群を総称して「日車ロマンスカー」なんて言いますよね。日車ロマンスカーから小田急ロマンスカーに引き継がれた信州のフラッグシップの系譜、その未来は、どこへ続いて行くのだろう。
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