(重厚な家並み@西尾市吉良町)
渋焦げ色の板塀に、水神様と思しき小さなお社。三ヶ根山の西麓に源を発する、矢崎川という小さな川のほとりに広がる吉良の街。2011年に周辺市町村と合併し現在は西尾市に含まれていますが、かつての幡豆郡吉良町の中心街。三河湾に面した漁業と農業の街で、あの「忠臣蔵」の吉良上野介の生まれ故郷としても有名です。江戸時代以前から西尾藩に属する古い街らしく、そこかしこに雰囲気のある家並みが続いています。
愛知県の三河湾沿岸は、東海道本線と新幹線、東名高速道路が通る内陸部から遠く離れていることがネックなのか、開発や都市化の波からは遅れている印象で、アサリやカキ、ノリなどの養殖や小規模な沿岸漁業で生計を立てる第一次産業の街。それだけに、華美な商業施設や繁華街などは影も形もなく・・・吉良の街からお隣の一色町にかけて目立つのが、鰻料理の店やかば焼き・白焼きなどの加工品の販売所。この時期「三河産」のウナギは、浜名湖産や鹿児島県産と並んで国産ウナギのトップクラスのシェアを占めています。
重厚な旧家の軒先を掠めて、矢崎川の堤防へ駆け上がる蒲郡線の6000系。吉良吉田は、東へ向かう蒲郡線、南北を結ぶ西尾線、そして碧南・刈谷を経て知立へ向かう三河線の三線が交わる名鉄電車の要衝でもありました。事業的に収支の極めて悪化していた三河線の吉良吉田~碧南間は、電化設備を廃した上で気動車転換して存続を図りましたが、2004年に廃止されてしまいました。平成中期の名鉄に相次いだ末端ローカル区間の廃線、セントレア開港を控えた「選択と集中」であったのでしょう。蒲郡線は辛くも難を逃れましたが、投資か、撤退かという明確なビジョンはなく、沿線自治体の支援はあるものの、今後は不透明なままです。
真っ赤な電車が矢崎川の鉄橋を渡る。川の護岸にはカキ殻がビッシリとくっついていて、独特な潮の香りを放っていました。潮干狩りをしている人もいましたが、食べたり出来るのかな。カキは水中の有機物を大量に吸い込むので、水質の浄化にはかなり効果の高い貝らしいですがね・・・
高度経済成長期には、蒲郡競艇や西浦温泉を始めとする沿線の温泉地、三河湾沿岸の潮干狩り客・海水浴客を運び、一大観光路線であった蒲郡線。対名古屋を見据えると、速達能力はJRに大きく水を開けられ、現在は地区間の小規模なローカル輸送を担う路線となっています。これ以上の合理化を避けながら路線維持の道をどのように模索するか。注目しながら応援して行きたい路線です。
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