青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

昭和がピークの街の姿。

2024年10月16日 23時00分00秒 | 筑豊電鉄

(街を守るかマーケット@萩原電停)

強烈にムシムシとした空気、とうとう雨が降り出して、空もご機嫌斜め。冷房の効いた車内から出るのも億劫だったのだけど、黒崎駅前から三つ目の萩原電停で下車してみる。北九州市の中でも八幡西区は一番人口の多い区で、黒崎・折尾地区と筑豊電鉄の沿線を包含する北九州市のベッドタウン。筑豊電鉄はそんな八幡西区の住宅街を走って行きます。萩原電停は住宅街の真ん中を突っ切る道路を挟んで互い違いの位置に設置されていて、電停の前には昭和の時代から建っているであろうスーパーがあった。「萩原生鮮食品マート」の看板が見える。段ボールが山積みにされて店内が見えないのだが、中を見ると昭和40年代の団地に併設されたスーパーそのまんまであった。北九州市、平成の入口では100万人を超える人口を有していましたが、今では100万人を大きく割り込み90万人割れが目前に迫っているという状況にあります。北九州市の人口は、そのまま北九州工業地帯の重厚長大産業を支えた旺盛な労働力のカタマリでもありましたが、北九州工業地帯の衰退が痛いですねえ・・・と言っても主に新日鐵八幡なんですけど、韓国や中国による安価な鉄鋼製品の輸入に押された高炉設備の縮小、業界再編の波による従業員の整理などが進み、往時の勢いは失われたままです。そもそも、新日鐵も住友金属と合併して新日鐵住金から日本製鉄に変わってしまってますよね。新日鐵、新日鐵、ニッポンスチールゴーゴーゴー。

萩原電停の前の交差点から眺める景色は・・・うーん。なんという昭和50年代。公団住宅とその間の植え込みと、住宅付きの商店街。そして、その商店街のほとんどの店がシャッターを下ろし、ひっそりとしている。カラフルな日除けだけが侘しい。全国に広がる「団塊世代が働いて、団塊ジュニアが育った光景」がそこにあります。エレベーターもない5階建ての団地は、階段に沿って右と左に一軒ずつの住居がセットされている典型的な公団住宅メイド。階段の踊り場が外から見えるオープンエアーで、その階段に沿って縦に伸びる筒状の物体はたぶんダストシュート。壁から風呂場のガス釜のアルミ製の排気孔がにゅっと突き出ててさ。もうね、自分が小さいころ育った団地の風景がそのまんまなの。逆に言うと、それが更新されないで残っているという北九州の現状がそこにあって、おそらく昭和がピークでそっからの未来を描けないでいる街の姿・・・と言ったら言葉が過ぎるだろうか。

晩夏の雨はしとしとと、八幡の外れの街のアスファルトを濡らす。駅前スーパーの女主人が、ゆっくりと杖を突いて店前の道路に出て来ては、雨に濡れそうな段ボールを店の雨除けの下に押し込んでいる。線路沿いに建ち並ぶ集合住宅には洗濯物の影もなく、いったいどれくらいの部屋に人が住んでいるか分からない。これは、県の住宅供給公社が建てた県営住宅のようだ。北九州市、日本の政令指定都市の中でも最も高齢化率が進んでいて、令和4年では65歳以上の高齢者が市民の31.2%。高齢者独居世帯率も15.0%とこれも全国の政令市でトップ。それだけに、段差が少なくバリアフリー対策が施された(?)電停の多い筑豊電鉄は、老人社会になっている今の北九州にはフィットしたモビリティと言えるのかもしれませんが・・・

筑豊電鉄の最新鋭車両5000形。アルナ工機で製造された「リトルダンサー」シリーズの一角で、豊橋鉄道市内線の「ほっトラム」とか、富山地鉄の「サントラム」なんかと同じタイプですね。そういう客層に合わせてか、筑豊電鉄の日中は超低床型車両の運用が優先されるらしく、3000形は2運用しか回らないようです。筑豊電鉄の3000形、色々なオールドタイプのカラバリがあって、撮影してみたかったんだけどねえ。


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