(雰囲気のある駅務室@東新庄駅)
机の上のノートパソコンを除けば、何となく昭和の時代の学校の職員室を思わせる東新庄の駅務室。スチールの机とロッカー、雑然と壁に貼られた業務手順の数々。ロッカーに引っ掛けられたハンガーに吊るされているのは駅員の制服であろうか。土日の駅務は無人化されて人の姿は見えませんが、平日の朝夕は今でも駅員が改札を実施する駅でもあります。
窓口に残る荷物預かりの窓口。という事は、沿線への小荷物発送なども取り扱っていたのだろうか。北陸地方は雪に閉ざされる冬季の交通事情がとにかく悪く、鉄道による移動の確保と物流の維持の必要性が太平洋側よりも圧倒的に高い傾向があったのではないかと思っている。特に北陸本線からは福井鉄道の南越線や鯖浦線、京福電鉄の丸岡線、北陸鉄道の山代線や小松線、河南線、粟津線、尾小屋鉄道、加越能鉄道庄川線などなど数えきれないほどの数多の零細地方私鉄が、国鉄の駅から離れた地域へ細々と鉄路を伸ばしていた。そんな零細地方私鉄の役割は、もちろん乗客のみならず生活のための物資輸送も重要なタスクであったことに疑いはなく・・・Amazonや楽天市場でネット注文すれば一両日中にモノの届く時代に、気の遠くなるようなロジスティクスで荷物を運んでいた時代の名残りが、時を経て未だにその痕跡を残しています。
昭和初期に建てられたまま今に至る駅舎。漆喰に打ち込まれた「HIGASHISINJO(伸ばし棒)」のエッチング。富山電鐵が開通させた区間ですが、雰囲気は黒部鉄道由来の東三日市駅と共通するものが。電鉄富山から数で言えばたった三つ目、平成初期には一日に約1,500人程度の乗降客を数えたこの駅も、令和2年度の統計ではコロナ禍もあれど約750人とほぼ半減してしまいました。富山市の住宅街にあって、周辺住民はそれなりの数がいそうですが・・・
大きな菱形のファサードが特徴的な駅舎。電鉄富山へ向かう電車を駅前で待っている、金髪のヤンキー姉ちゃんのタバコの煙の匂い。東新庄の気怠い昼下がりは、立山行きの60形が迎えに来てくれました。
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