青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

さよならリンゴ&屋代線の旅 その3

2012年03月18日 22時11分26秒 | 日常

(テコ入れ@松代駅)

こんなもんが現存する屋代線松代駅ホーム。見た目には黒髭危機一髪みたいなこの設備は手動でのポイント切り替え設備。昔は列車が近付くと電話がかかって来て、駅員さんがこんなテコをガチャガチャ動かしては信号を変え、ホームに出て行ってタブレット交換なんかをしてたんでしょうね。屋代線は既にCTC化されているので現役で稼働している設備ではないと思いますが、動かす機会があるんだったら見てみたかったね。

  

屋代線松代駅。一目見て、誰しもその雰囲気に魅了されてしまうローカル線の木造駅舎。去り行く路線の思い出を語る壁新聞。駅舎に隣接するホームから1番線、2番線…と振って行くのが通例の鉄道業界にあって、駅舎が隣接するホームから3番線→2番線→1番線と番号が逆に振られていて、しかも鉄道は左側通行が通例でありながら交換が右側通行になっているなど、何かと不思議な駅でもあります。松代自体が戦時中の大本営移設による大規模な地下壕の建設やら、ピラミッド伝説も残る皆神山やら、昭和40年代の松代群発地震やら、なにかとミステリアスな事だらけの街ではあるのですが。

本日はもう一本団臨が須坂と松代を往復すると言う情報を頂いたので、離山でトンネルドカンをやった後は松代の加賀井温泉に入って一休み。団臨情報を頂いたのは屋代駅でお会いしたまつ氏。以前より氏のブログの愛読者だったんでTwitterでフォローさせてもらったんですが、聞けば大学時代のバイトの後輩(しかも同じ管内)と言う事で初対面ながら懇意にさせていただきました。Twitter使って1週間くらいなんだけど、Twitterって役に立つねえ(笑)。

 

今日二度目の団臨の運用を終え、松代駅で憩うリンゴ編成。ホームが短くて1両目がはみ出しちゃってますが(笑)。海津城址の桜はまだつぼみにて、寒風にさらされております。廃線も、リンゴ編成の引退も、桜の時期まで待てなかったか。湯田中側エンドは1月に発売して大好評(?)の八幡屋礒五郎2012イヤー缶に長電2000系が選ばれた事を記念しての通称「七味マーク」。


回送表示となって、ねぐらの須坂へ急ぐリンゴ編成。信濃川田~若穂間の保科川橋梁への登り坂で。荷物が軽くなったのか、結構豪快な速度で坂を駆け上がってきました。ここに来るまで結構な枯れ藪の中を歩いて来たのだが、この趣味に入ってからジーンズにやたらとひっつき虫が付く事が多く、洗濯する嫁に嫌がられます。
これで本日のリンゴ運用は終了。須坂駅の裏にあるボロビジホにチェックインしてさっそく画像の整理&しばしの休息。午後になって雪は止んだが、結局天気の良くない一日でありました。寝っ転がってテレビを見てたらSBCでさよなら屋代線企画、大々的に告知してましたねえ。今度の土曜日の団臨です。


日もとっぷり暮れて夕飯の時間。須坂から特急スノーモンキーにて権堂まで出向き、長野名物のあんかけ焼きそばを食す。ちょうど昼間にお会いしたまつ氏も権堂近辺で食事をしているとの事で、Twitterで合流し夜の屋代線の旅と洒落込む事に。いやあTwitterって素晴らしい(2回目)。権堂駅の改札で待ち合わせ、2人折り返しのスノモンで須坂駅に降り立ち、最終の須坂~屋代往復便である429レ~430レでじっくりと味わう事に。須坂駅4番線ホームに佇むオー2編成、ホームの明かりに照らされてマッコウクジラのコルゲートがギラリと妖しく。


2両編成に、酔客と僅かな鉄を乗せるのみの屋代行き最終車内。簡単なアナウンスだけでドアが派手な音を立てて閉まる。とうに日は暮れて外の景色を楽しむ状況にはなかったけれども、車内で雰囲気を味わいながら同好の氏とのよもやま話。井上、綿内、若穂と細かく駅を拾いながら最終列車は行く。


信濃川田で427レと交換。駅と言う駅でほとんど乗り降りのない列車は、交換が終わるとすぐにドアを閉めて発車して行く。昼間は名残を惜しむ乗客が引きも切らず乗っていた屋代線ではありましたが、実情は長い間こんな状況だったのでしょう。決して沿線に人が住んでいない訳ではない。過疎ではない。ただ、モータリゼーションの波と言うか時代の流れと言うか、オリンピックを境に千曲川に何本も架けられた橋は利便性を格段に向上させ、河東地区と言う言葉を過去のものにしてしまったのかなと。河東が河東でなくなったその時、河東線の名を持つこの路線の役目は終わっていたのかもしれませんねえ。

 

いつの間にか酔客が降り、純粋に鉄だけになった車内。松代、象山口、岩野、雨宮、東屋代とよもやま話は弾みつつ列車は終点の屋代へ。運転士は黙々とエンドを変え、最終の須坂行きの準備を開始している中を撮り鉄が2~3人ウロチョロしておりますw


昼間の喧騒が嘘のように静まり返った駅。同じ駅にも関わらず、しなの鉄道の駅と屋代線を繋ぐ跨線橋は次元が違うかのような佇まいを見せているのでありますが、それがあたかもタイムトンネルの入り口のように見えたりして思わずモノクロームで一枚。


信越本線が東京と長野の間の大動脈だった時代は、碓氷峠を越えて特急「あさま」が上下で30本近く走ってたんだよね。朝夕はこの屋代の駅にも止まってたから、長野じゃなくてここで国鉄に乗り換えてたお客さんもそれなりにいたんじゃないだろうか。松代や須坂や中野方面から、上京の際には大きいカバンやアタッシュケースを持ってこの階段を登り、あさまに乗り換えて東京へ向かって行ったんでしょう。この駅は長野電鉄沿線住民の東京とのもう一つの結節点であったのだろうけど、碓氷峠が分断されて、東京からの新幹線が長野に直行するようになって、その意味合いもなくなってしまったんだよなあ。

帰りは上野の駅でビールとつまみ。横川で釜飯買って、食べ終わってホケ~と新聞なんか読んで、ウトウトしてたら屋代に着いたんだろうね。
千鳥足のオトーサンが、家族の土産物を持って階段を登る姿を思い起こしながらパチリ。
これまた国鉄様式の懐かしい乗換案内板でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 四季毎に 四車四様 思い出を | トップ | さよならリンゴ&屋代線の旅... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事