青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

そして誰もいなくなった駅 大井川鉄道井川線の旅その2

2008年05月18日 22時26分12秒 | 日常
(画像:大井川鉄道ED90型機関車)

アプト区間のアプトいちしろ-長島ダム間の専用機です。
全線ディーゼルの井川線ですが、同区間だけ電化されています。
平成元年日本車両にて製造。発電ブレーキ・自動空気ブレーキ・保安空気ブレーキ・ラックホイール用ばねブレーキ・非常短絡発電ブレーキと幾重にも亘る制動装置を備え、その特殊性は信越本線の碓氷峠専用機として投入された国鉄EF63型を彷彿とさせます。

ED901が高いホイッスルを一発鳴らして、いよいよ列車はアプト区間に入ります。
アプトいちしろ駅からすぐさま坂道に入り、右にカーブしトンネルを一つ抜けて大井川を渡ると、川の右岸にまるで桟道のように取り付けられた急勾配が広がって壮観な眺め。この景色が開けた瞬間、思わず「おおっ!」と口を突いて出てしまいましたからw
後ろから電気機関車のモーター音が力強く響きつつ急勾配を列車は速度を落としてジリジリと進む。後ろを振り返るとさっき渡った橋は勾配のせいでまるでシーソーのようだ。左にカーブし、車窓の右手に長島ダムの巨大な堰堤を見ながらゆっくりゆっくりと登っていって長島ダム駅へ。アプトいちしろ-長島ダム間の1,500mで標高差98mを上がっている。この間の最大勾配は1000分の90(90‰)で、今までの日本の最急勾配だった箱根登山鉄道の1000分の80(80‰)を上回る、名実共に日本一の急勾配を登り切った訳である。
ただ、「どのくらいの急勾配を登っているのか」と言うのは、正直車窓からでは案外実感が湧かないもんだなあ、と言う感想を持ったのだが、帰りに長島ダム駅から撮影したアプト区間を見たら、「やっぱスゲーやw」って思いを改めた事を付け加えておきます(笑)。ちゃんと水平出して撮ってますからね。直角に立つ架線柱と線路の傾きにご注目。それと同時に、「粘着運転で1000分の80を上り降りしている箱根登山鉄道ってすげえなあ」と思ったりもして…(写真は大平台-宮ノ下間の上大平台信号所で撮影。ここの信号所は上下とも1000分の80の急勾配で、車輌の傾きからも勾配の激しさが分かる)。

列車は後部に補機として連結したED901を切り離し、ここからはしばらく長島ダムが作り出した接岨(せっそ)湖に沿って走る。この辺りはダム水没に伴って付け替えられた新線区間で、線形も勾配も緩やかと言った感じ。列車はひらんだ駅を通過。周辺は「平田」と書いて「ひらんだ」と読む地名らしいが、難読なので名前はひらがなにしたらしい。付近の湖面は国体のカヌー会場になったらしいです。こんなトコに来るのも大変だろうがw小ネタを交え、伊藤くんの解説もますます絶好調。
ひらんだ駅を出てひらんだトンネルをくぐると、列車は接岨湖の屈曲部を湖畔に沿うことはせず、大きなトラス橋2本でバッサリと越えて行く。この橋を「奥大井レインボーブリッジ」と言い、井川側の橋梁には遊歩道が併設されていて徒歩でも渡る事が出来るみたいですね。その2本の橋に挟まれた湖の半島部分にあるのが奥大井湖上駅。もちろんこんなダム湖のど真ん中に何がある訳でもないのだが、その美しい橋&青い湖を愛でる展望台があって、非日常な駅環境とあいまって井川線沿線ではかなりの人気スポットとなっている様子です。私の乗った列車からもそれなりの人が降りてましたからねえ。だいたいダイヤ的には1個先の接岨峡温泉で上下列車が交換するので、うっかり降りても「ダム湖の真ん中で長時間放置プレイ」と言う悲惨な事態にはそんなにならないみたいです(笑)。何となく海ほたるPAみたいだね。
奥大井湖上駅から先はダム湖もそろそろ終わりに近付き、線路は再び旧線に戻って狭いトンネルとカーブを繰り返しながら接岨峡温泉駅に到着。ここで2回目の上下列車交換。既に千頭から1時間強を経過しているが、様々に変わる車窓とイベントと伊藤くんの解説で全く飽きないのですが(笑)。
この駅には駅前(徒歩30秒くらい?)に「森林露天風呂」ってのがありますから、温泉の好きな方はどうぞ。

列車は接岨峡温泉駅を出て、いよいよ光も届かない深い森の中を走って行く。新緑は鮮やかで目に心地良いのだが、窓から入る風は冷たさを増している。車窓はまさに人跡未踏と言う感じであり、棲んでいるのは森の精霊さんくらいなもんだろう(笑)。
そんな中にぽつんと開けた尾盛駅は、国道も県道も町道も林道もとにかく何の道も駅に通じていない(マニアによれば若干のケモノ道はあるらしい)と言うアヴァンギャルドな駅(笑)。まあいわゆる井川線でしか辿り着けない秘境駅なんですが、最近は鉄道趣味の中に「秘境駅」と言うジャンルも確立されたため、ここの駅に降りる人も結構多いらしいです。実際帰りにここの駅から乗って来たマニアがいたしな。
ただいずれにしろこんな感じの駅から外界に出るためには、相当山慣れた人じゃなければ遭難および滑落および行方不明と言う結果が待っていると思う。何でこんな駅があるのかと言うと、伊藤くん曰くどうも大井川のダム建設のための飯場がここにあったためらしく、ホームの外れにその遺構らしき物が残っており自然に帰りかけていた。
その飯場がなくなった瞬間、この駅の役目は終了したのだろう。

続く。
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