青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

片貝川、毛勝三山鮮やかに。

2021年03月21日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(片貝日和@電鉄石田~経田間)

立山線沿線の撮影を終えた後は、コンビニで買ったパンを齧りながら魚津の金太郎温泉へ移動し入浴休憩。何だかルーティーン化している行動だが、ここの青森のさんない温泉(分かる人には分かる)みたいな塩っ辛く硫黄が濃い熱めの湯はいい。体にガツンと来てヘロヘロになる。富山って山がちの割には案外と温泉が少ないと思うのだけど、ここはまごうかたなき北陸の名湯。だだっ広い露天風呂に浸かり、デッキチェアでウトウトと仮眠して体力を回復。クルマを片貝川の鉄橋に向けると、午前中に空を覆っていた雲はすっかり抜けて、実に素晴らしい片貝日和なのでありました。

いつもは鉄橋のたもとから正面寄りに無難な編成撮りをしてしまいがちなのですが、ここまで山並みが見えてたらサイドから張るしかないっしょ、ということで並行する県道の落合橋に陣取る。右手に扇のように広がっているのが毛勝三山。この片貝川は、毛勝山に源を発する山でもあります。黒部方面から片貝川の鉄橋を渡って行くかぼちゃ京阪10030形。このアングルは、映画「RAILWAYS」のポスターになってたのではないかな。電鉄富山の駅に貼ってあったのを何回か見たような。

絶好の片貝日和。ここはぜひ正統雷鳥カラーの14760形でこのシーンを押さえておきたく、本命が現れるまで待つ事にする。温泉で一休みしてしまったんで運用は掴めず、二本目の下りは・・・と期待して待っていたら、東急17480だった。うがあ。さすがに地鉄の最新鋭車両、4編成も入っていると、来て欲しいところで「ああ、東急!(涙)」みたいなシチュエーションも多くなる。これが「ああ、東急!(愛)」みたいな気持ちになるには、まだ若干の時間が必要なようです。

三本目。二度あることは三度あるではなく、三度目の正直で本命登場。尊い。お京阪のかぼちゃ様も東急様も宜しいが、やはり富山の風土と風景に一番似合うのはこの色とこの車両である。右手の毛勝三山から左手の北アルプスの山並みに至るまでが、青空のキャンバスにくっきりとその姿を描いている。清らかに早春の雪解け水流るる片貝川。土手の松並木と合わせて一枚の絵のような構図の中を、モーターを唸らせて14760形が走って行く。

初めて富山に来た時は、富山平野から見える山って立山連峰のどっかなんでしょ?くらいの雑な認識だったのだけど、回を重ねるごとに徐々に山の名前が分かるようになって来た。毛勝三山も、片貝川も、富山に来るまで知らなかった風景だ。鉄道を通じて地域を知り、風土を味わい、歴史を紐解き、文化を語ること。小さなことだけど、それこそが地方私鉄に通う意義なんじゃないかなって思うんよね。

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榎町、大きなヒバの木の下で。

2021年03月19日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(大榎・・・でなくヒバの駅@榎町駅)

立山線の里線を、寺田に向かって降りて行く。榎町駅。撮影するのは初めて。駅舎を見下ろすように立つ大きなヒバ?の木が目印。印象としては、お隣の下段駅と似ていて、線路と並行した僅かなスペースに駅前広場と自転車置き場がある。近所に小学校があるようで、子供たちが3、4人駆けっこで現れては、待合室に消えて行った。

子供たちのはしゃぐ待合室。さすがに声をかけてカメラを・・・となる勇気は持てず、待合室からホームに上がる階段を眺める。僅かな距離がしっかりと木枠と窓ガラスに囲まれているあたりが、雪深い地域の駅なんだなあと言う感じ。以前は朝だけ駅員も配置されていた駅なのだそうで、それこそ近所の小学校に通う生徒の安全対策要員みたいな意味合いもあったのかもしれません。

行きに岩峅寺から寺田まで乗車した「立山あーとれいん」が戻って来た。今回の富山行、割とこの14767-68の編成に当たる事が多かったような気がする。かぼちゃ塗装だと、ジャンパ線の引き通し管が緑・緑・緑・黄色の順に塗られているのが何ともお洒落ですね。見慣れてくれば、これはこれで地鉄らしいカラーリングと言えなくもない。昔はこの黄色と緑の色の間に、サンドされたイチゴジャムのような薄い紅のラインがスーッと入っていたそうだ。いつの間にかなくなってしまったんだそうだけど。

ホームから聞こえる子供達の声。大ヒバの駅に到着した列車が、そんな笑い声を吸い込んで発車して行きます。踏切の鐘の音、踏切の脇の和菓子屋の甘い香り、早春の千切れ雲からこぼれる明るい陽射し。何のことはない事が愛おしいような、榎町の週末です。

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岩峅寺、緩やかに時は流るる。

2021年03月17日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(ひだまりでんしゃ@上滝線車内)

南富山から、クルマをデポした岩峅寺へ。接続が悪く、30分ほど待たされる。日中の上滝線は1時間ヘッド。市内線の本数と比べると圧倒的な少なさ。沿線の人口はそこそこ居りますので、LRT化させて市内線と接続させよう!みたいな大きな交通政策のビジョンはあるのですけど、市内線600V/鉄道線1500Vという複電圧問題や、大掛かりな設備改修を要するものになるため進んではおりません。おそらくこのコロナ禍で、そんな計画は遠くに吹き飛んでしまったかと思われますが。ややくたびれたモケットの10030形車内。布市辺りで大半の乗客が降りると、暖かな陽だまりのような車内に、明るい日差しが射しこんで来ました。

岩峅寺到着。いつもの上滝線ホーム。10036がそそくさと折り返しの作業。すっかりと青空が戻って来た。いつも側線に押し込まれている黄色い除雪機械がどっかに行っている。久し振りの富山市内のドカ雪で、今年の冬はさぞかし多くの出番があったものと思われる。

鏡に映る岩峅寺の駅。さかさまの世界に、ちらりと10030が映る。ホームの片隅で、緩やかな時の流れを楽しみながら何枚か。構内踏切からホームへの階段に繋がる緩やかなアプローチ、実に富山地鉄らしいアングルだなあと思う。特に岩峅寺のそれは、個人的に他の駅よりも余計に心に染みるような。何でだろうね。富山平野でトライアングルを形成する地鉄の路線、稲荷町、寺田、そして岩峅寺と、分岐駅がどこもデルタを形成しているのが特徴的。そして、どこも味わいと見どころの多い良駅だと思う。

立山から降りてきた10030。富山に来始めた当時は、10020・14720・14760の地鉄オリジナル車を優先して、この京阪10030はどっちかと言うと来るとハズレというか目の敵にしていたものだ。思えば地鉄に導入されてはや30年、富山で過ごした時代が京阪時代よりよっぽど長くなってしまったクルマである。時は流れここに至り、東急車の浸食跋扈が進む中では、そろそろ製造50年を迎えるこのオールドタイマーに、若干の愛おしさが出て来たのも事実かもしれない。我ながら現金な物だと思うのだが(笑)。

年を経れば好みも変わるもの。自分も、そろそろ煮締まったかぼちゃの煮物の味が分かるようになったってことなのか。
まあ、普段は意識もしなかったクルマに何となくその行く末が見え始めると、どうにも愛おしさが出てくる撮り鉄特有の感覚なんでしょうけどね。

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南富山、ぼんぼりに雪舞い落ちて。

2021年03月15日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(僕たちの未来へ@富山駅前)

上市から電車に乗って、電鉄富山に出て来ました。折角フリーきっぷを買ったので、ちょっくら市内電車巡り。お馴染みのラバーズコンチェルトのメロディに乗せて、富山駅前電停を行き交うトラム。岩瀬浜から大学前・南富山までの大きなネットワークになった市内電車。市内交通の柱として、地鉄の収益源ともなっています。朝から岩瀬浜に向かう親子連れ、子供の目に映る未来の富山は、どうなっているのだろうか。

やはりコロナ禍のせいか、何となく閑散とした街を往く市内線。お気に入りの、緑とベージュのツートン7018号が早速やって来ました。相変わらずの「笹谷クリニック」の広告を付けて。最近はどこの鉄道会社もリバイバルブームと言うか、かつての塗装を復活させて懐かしさで耳目を集めるような企画が花盛りですけど、この7018号に関して言えば、昔から引き続いてずーっとこの地鉄市内線カラーを保っているのだとか。リバイバルでない、ホンモノの矜持ってヤツでしょうか。

7018の前に、南富山方面から大学前行きの7016が。クリームに赤帯裾緑の地鉄市内線標準色ですが、最近お色直しをしたのかツヤツヤしている。そして広告看板が入っていないな。駅前を出て行くセントラムと、三つの車両が駅前で並びました。路面電車のある街では、こんな感じの車両同士が密に接した運行形態は珍しくないんだろうけど、普段とこういう光景を見ないのでなんだかワクワクしてしまいますね(笑)。

富山駅前電停へ滑り込んだ7018号を富山駅改札口方向から眺める。真新しい電停と、古風な路面電車のコントラスト。上部の黒ゴムで固定されたバス窓と、出入口のプレスドアが時代を感じさせます。僅かながらに乗車していた富山大学の女子大生らしき乗客が降りると、南富山方面行きは私一人だけを乗せて、富山の街を駆け出しました。静かな車内に、騒がしいほどの車内アナウンス。そしてツリカケ音。堪能・・・なんだけど、少し寂しくもある。

堀川小泉で降りて、南富山駅前で折り返して来る7018を撮影。堀川小泉は、7018の車体広告に付いている「篁内科外科病院」の最寄り電停。南富山~富山駅前間は、所要時間は鉄道線が早いものの本数は圧倒的に市内電車が上。料金も鉄道線320円に対し市内線210円とこれまた圧倒的です。堀川小泉の辺りまで来ると総曲輪の繁華街とは違って、富山市の郊外の住宅街の中。近くには高校もあります。電停で同じ単車の8000形とすれ違い。

後続の市内電車で南富山駅前に移動すると、小雪が舞って来た。この日の午前中は、晴れたり曇ったり雪が降ったりの猫の目天気であった。突然降り出した早春の雪に、思わず肩をすぼめる富山市民。今年の冬はもう雪はいいわ、と言うくらい降ったそうだが、さすがにこの時期の雪は降っても積もるほどではなく、優しい名残り雪と言う感じがします。

チラつく雪の中を、再び7018号。おへその一灯ライトが絵になる。除雪車が待機した南富山駅前。1月に富山市内で1m以上の積雪を記録した時は、市内電車もあちこちで立ち往生したそうな。特に最近の新型車両は低床化が進んでいますので、床下に雪が入り込んで身動きが取れず、救援の電車でも牽引が困難。結局除雪車に引っ張られて脱出を図るなど大変だったらしい。雪と戦う北国の路面電車・・・そんな様子も写真に収めてみたいけど、まあそんなん地元に住んでないとなかなか遭遇はしないのでしょうな。

不二越・上滝線の南富山駅ホームに隣接した南富山駅前電停。風の冷たさに頬を赤らめて電車を降りる親子連れ。年月が染みたモルタル塗りの南富山の駅ビル、そしていつものように駅前で客待ちをしている地鉄タクシー。南富山のいつもの風景・・・なのですが、地鉄タクシーは新型コロナに係る需要の落ち込みのため、3月末で廃業することを先日発表しました。県を代表する公共交通の要とも言える地鉄グループが、交通部門の一角を占めるタクシー事業を廃業するという事は結構衝撃的なニュース。

飲食、レジャー、宿泊産業、どこをとっても厳しいのだろうけど、報道は飲食店への制限措置や苦境を伝えるばかりではなく、交通事業者の苦境の声も拾ってはくれぬか。そして、売り上げが蒸発している交通事業者に、政治はしっかり支援をしているか。いつ明けるとも知らないコロナの闇。闇の先のどこかに光はあるのだろうけど、その光が見える日まで、公共交通は持ちこたえられるのか・・・地鉄タクシーの廃業は、既に1年を超える長さになったコロナ禍が、交通事業者の経営に大きく重くのしかかっている事を感じて、暗澹たる気持ちになります。

ああ、ぼんぼりに、雪が降り。

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朝の上市、人も設備も折り返し。

2021年03月13日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(スイッチバックの駅@上市駅)

岩峅寺からかぼちゃ60形に乗車し、電鉄富山まで乗ってこうかな・・・なんて思っていたら寺田で本線を純生カンなし雷鳥カラー60形(14763-74)が下って来たので慌てて乗り換え。上市まで乗ってみました。上市は小田急線で言うところの藤沢のような平地のスイッチバック駅ですから、各列車は到着すると運転士氏が運転台を移動します。元々は違う会社の2路線がくっついたのでこういう面倒な線形になっているのですが、地鉄のダイヤとしても境界駅になっていて、上市から先は運転本数もガクッと減ります。

土曜日だったこの日、朝の地鉄の乗客の主役の高校生たちが改札に消えていくのを見送る。時節柄、上市駅の通路に飾られた植木鉢の花。上市高校の生徒から送られた、沿線の高校生に贈られた卒業の餞。サイネリアという花らしい。窓ガラスの向こうに静かに佇む60形も、この40年間であまたの高校生の通学の足となったはずです。新車の60形に乗って通学していたあの頃の高校生たちも、思えばもう古希を迎えようとする歳になっているのですね。

乗って来た宇奈月温泉行が、滑川方面からやって来た電鉄富山行きと交換。こちらも雷鳥カラーの60形(14771-72)という事で、進入時に前パン側が並びました。60形は上市・立山側が前パンですから、これは60形ファンにとってはご馳走モノのシーン。これを見に来た(2回目)。14772に付いている丸カンには、上市町のゆるキャラ「つるぎくん」が描かれています。緊急事態宣言以降、地鉄は特急カンを付けるのを止めてしまっているので、せめてゆるキャラのカンくらいは付けとこうという事なんでしょうか。

朝の電鉄富山行きという事で、市街へ出掛けるお客さんが目立つ上市駅。土日はサイクルトレインとして電車への自転車の持ち込みも可能です。部活の高校生っぽいけど、家から駅までチャリンコ・電車に乗って駅から学校までチャリンコというのはなかなか便利そう。運転台の後ろが広くスペースが開いているので、そこに乗せるんでしょうね。

上下の電車が去った後、私だけが上市駅に残されました。広い待合室に並べられたベンチだけが物憂げにその所在を主張しております。ここ上市に工場を持つ「日本海みそ」の大きな電飾看板が上市駅のシンボル。上市駅は元々はショッピングセンターの入っていた大きなビルでしたが、今はそのテナントのほとんどが撤退。既に上市町内の商業施設は南側の県道周辺に移っており、相当量のスペースを持て余しまくっているような感じで、侘しいものがあります。

鉄道利用とショッピングの結びつき。それこそ昭和の時代の大手私鉄の百貨店建設と似たようなメソッドでの鉄道需要創出を意図してのものでしょうが、同様の意図で作られた旧・電鉄魚津駅(電鉄魚津ステーションデパート)も既になく、ここ上市駅も裏口側の寂れっぷりは特に濃いものが。僅かながらの蛍光灯で照らされた薄暗い廊下に、「93年度(平成5年)」のシールが貼られたまま閉じられたゲームセンターが残置されていた。中にバーチャファイターとかありそう・・・

真正面の姿はWikipediaでも調べれば出て来るので、あえて上市駅の西出口の姿を。ここが駅の入口と言われても99%の人が納得しないだろうな、という様相で、路地裏にある閉まった雑居ビルの一角にしか見えない。これでも一日に2,000人の乗降客がある地鉄の主管駅ではあるのだけど・・・今となっては駅舎を大きく作りすぎてしまったが故に、インフラの維持もダウンサイジングも費用が掛かって手が付けられないという事なのか。件の電鉄黒部ステーションデパートは、ホームが3階にあってエレベーターもないというバリアフリーもへったくれもない構造だったので、魚津市の都市計画の中で取り壊されてしまった。今思えば、あの建物を撮影出来たのは趣味的には良かったなあと思ってしまうのだけども・・・

地方鉄道の多くが、昭和の投資で平成は何とか切り抜けたけど、果たして今後は、というインフラの問題が強くのしかかっている現状にあります。確かに地鉄沿線、「風情ある駅舎」と「老朽化した設備」が紙一重になっている部分が多くて、我々のような門外漢は前者を好意的に捉えて表現したがるけど、身近な利用者や当事者にしてみれば圧倒的に後者が問題だと思っている事は想像に難くない。そこらへんが都市と地方の格差でもあるし、ただの通りすがりとそこに生活する人には圧倒的な齟齬があることは自覚しないといけないのだと感じます。

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