tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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「奈良の鹿垣」を文化財に

2007年02月18日 | 奈良にこだわる
2/16(金)、奈良町座の月例会が開かれた。奈良町座は、奈良町で地域おこしに携わるボランティア団体である。
※参考「奈良町座の月例会」(ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/d/20061118

最近は冒頭に30分ほどの講話があるが、今回は奈良市教育委員会事務局の中澤静男氏による「奈良の鹿垣(しかがき)」の話であった。

鹿垣とは耳慣れない言葉だが、《野生動物による農作物被害を防ぐ目的で、農地の周囲を木柵、石垣、土塀(土塁)などによって囲み、動物の侵入を妨げる設備のこと》(「奈良公園周辺における鹿垣の分布とその残存状況」2004 奈良教育大学紀要 第53巻第1号)だそうだ。

鹿は奈良のシンボルであり、貴重な観光資源だが、農民にとっては害獣である。しかしこの地では古くから「神鹿」(しんろく=神の使い)として保護されており、鹿を駆除することは固く禁じられてきた。

それで作られたのが鹿垣で、江戸時代に築かれた土塀(築地塀)の一部が見つかっている(例えば飛鳥中学西側の公園内)。今も市役所は鹿除けのフェンス(金網)で奈良公園周辺の田畑などを囲っているが、その土塀版である。

奈良教育大などの調査によれば、奈良の鹿垣は奈良奉行の命によって作られたもので、春日山原始林から東大寺・興福寺・春日大社の境内(いずれも世界遺産)をぐるりと囲い込む大規模なものだったという。高さも大人の背丈ほどあるというから、まるで万里の長城だ。塀の土が崩れるので、土地の農民は年2回、その補修を行っていたそうだ。

問題はこの鹿垣(いわば江戸期の遺跡)が、雨などで風化が進んでいること。中澤氏は「あと30年もすれば、跡形もなくなってしまう」と警鐘を鳴らし、文化財として保護することを要望している。実際他県には、文化財に指定された鹿垣や猪垣(ししがき)があるそうだ。

奈良の鹿垣にもっと関心を持ってもらおうと、氏は市内の小学校副読本への掲載や、鹿垣の跡をたどる探検ツアーの実施などを提案されている。

鹿害(ろくがい)から農作物を守り、鹿と人とを共生させてきた江戸期の知恵の産物は、文化財として指定する値打ちは十分にあるだろう。

※写真は奈良公園の鹿(06.6.27 撮影。後ろの石垣は鹿垣ではない)。なお広辞苑は鹿垣を「ししがき」と読ませているが、これは、かつて食用の大型獣を総称して「しし」(鹿、猪、獣、肉)と呼んだことに由来するようだ。
コメント (3)
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