tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良は偉大な田舎

2008年04月11日 | 奈良にこだわる
産経新聞奈良版のコラム「ならの風」(4/9付)に、こんな話が載っていた。タイトルは「もし都であり続けていたら…」で、筆者は(岩)さんだ。Web版には出ていないので、一部抜粋すると

《「奈良のお寺は、京都のお寺に比べて広々としている」。花会式が営まれていた薬師寺で、年配の女性のそんな言葉を聞き、改めて奈良の寺のたたずまいを思った。(中略) もし奈良にずっと都があり続けていたら、京都のように都会化されていたに違いない。新幹線が通り、高層ビルも乱立しただろう。皮肉なことだが、都が移ったために「広大な田舎」は残り、日本に奈良と京都という違った魅力を持つ古都が存在しているのだ》。

うーん、なるほど。奈良には新幹線も高層ビルも地下鉄もタワーもないし、そんなものはいらない。古都でありながら広大な田舎である奈良は、京都とは「違った魅力」を持っている。奈良は、もっと自らの魅力に気づき、その独自性をうまくPRしなければいけない…。

写真家の井上博道氏は「奈良の風景はヨコ写真」とおっしゃる。「京都の美は縦思考」だそうだ。私の勤務先の社内報(巻頭言)には《平城宮跡の朝夕、飛火野の夜明け、大和三山の夕景など、年々その傾向が強くなっていくようです。(中略) カメラをかまえて左右に転回する、おだやかな大風景は身も心も弛緩するような開放感があります》(「奈良の風景はヨコ写真」07年7月発行号)と寄稿されていた。

エッセイストの中島史子氏は《のんびり、ゆっくり、じっくり。「小京都」はあっても「小奈良」はない。寺も、京都の寺のように塀で囲われていなくて、とてもオープンなのが素晴らしい》と言う。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/3bf1c47822c1b82568aeaaac234795b5

冒頭の写真は久米寺(橿原市久米町 07.9.1撮影)だが、この寺を創建した久米仙人は、飛行中に娘の白いふくらはぎに見とれて霊力を失って墜落し、後にその娘と添い遂げたという伝説が残る(『扶桑略記』など)。こういうユーモラスな話が、奈良にはよく似合う。

先日、平城遷都1300年記念事業協会が制作した修学旅行ガイドブック「710(なんと)!楽しい奈良体感教室」には、体験型観光の紹介が満載されているそうだ。ゆっくりじっくり、写経、法話、修養や赤膚焼、農業などをたっぷりと体験すれば、奈良の良さも分かるというものだ。
http://www.nara-np.co.jp/n_eco/080410/eco080410b.shtml

「ならの風」は、こんな言葉で結ばれている。《奈良が山々に囲まれた穏やかな盆地であることに注目したい。万葉の歌には、当時の人々とそこに広がる自然との交感が伝わる作品が多く、現代人への大きなメッセージとなっている。青垣に囲まれたこの盆地全体が、神仏に守られ、野趣に富んだ大いなる庭のようにも私には見えてくる》。

奈良が偉大な田舎であることを、私たち地元民は誇りにしよう。遷都祭は、このありのままの姿を見ていただき知っていただく好機としたい。
コメント (4)
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