tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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大和の地名(2)磯城

2008年06月14日 | 奈良にこだわる
奈良に来て「磯城郡」を「しきぐん」と読むと知ったのは、3年ほど経ってからだった。電話でどこかの所在地を聞かれ「そこは、いそしろ郡の…」と言っていたら、横から上司(磯城郡三宅町出身・在住)が「tetsudaくん、それは『しき郡』って読むんや」と教えてくれた。

「磯も城もないのに、なぜ磯城郡なのだろう」と不思議に思い、帰ってから広辞苑を引くと《しき【磯城・城】 石で築いたしろ。石のとりで》とあった。「城」だけで「しき」と読むとは、これも新発見だった。その後、磯城郡川西町に「式下(しきげ)中学校」という学校があることを知った。磯城と式、これも何か関係ありそうだ…。

そのまま20年以上が経過したが、先日買い求めた『奈良の地名由来辞典』(東京堂出版)にちゃんと載っていた。

《磯城 しき (磯城郡)古代の郡名。県名・邑名。十市(とおいち)・城上(しきじょう)・城下(しきげ)郡から成る。城上・城下は、磯城上・磯城下の二字化したもの。一に式上・式下とも書く》《「崇神紀」には「磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)」とみえる》《シキは石城で石を堅く固めた所の意。磐余(いわれ 岩村―石寸)と同意の語か》。

辞典には「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の石碑の写真も出ているが、由緒ある名前だったのだ。式下中学の校区は川西町と三宅町にまたがるが、それがかつての「式下郡」のエリアと重なるのでこの名前を付けたのだろう。

「磯城」という地名をヒントに、これほど多くのことが分かった。同辞典の「はしがき」には「地名が千年以上の治乱盛衰を貫いて、切れ間なく活きて働き続けてきた実例を、大和のように顕著に又数多く持っている地方は、内外を通して稀なのである」という柳田国男の言葉が引用されているが、これほどに地名というのは、土地の歴史を物語る大切な手がかりなのである。この地名シリーズ、もう少しお付き合いいただきたい。

※参考:大和の地名(1)登美ヶ丘、富雄、鳥見(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/f3054acc2b3d28c146e44548cedad713

※写真は浄照寺(磯城郡田原本町)の太鼓楼。表門は、豊臣秀吉が築城した伏見城の城門を移したものと伝える。昨年12/25に撮影。
http://www.jsj.jp/
コメント (7)
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