tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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関西大学の「ふるさとづくり」

2008年10月12日 | 日々是雑感
関西大学が、「ふるさとづくり」という壮大なプロジェクトに取り組んでいる。07年度の文科省・現代GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)に、関大が申請した「農山村集落との交流型定住による故郷(ふるさと)づくり―持続的に“関わり続けるという定住のカタチ”による21世紀のふるさとづくり―」が採択され、3年計画でスタートしたものだ。

私はこの話を、9/24(水)に大阪市内で開かれた「産学連携」をテーマとしたセミナーで知った。
http://blog.livedoor.jp/agent930/archives/51480693.html



当日の講師として、同大学からは、この計画を立ち上げた環境都市工学部の江川直樹教授と岡絵理子准教授が招かれていた。まず江川教授が生活景観の話をされた後、岡准教授が「関わり続けるという定住のカタチ、21世紀のふるさとづくり」として、このプロジェクトの話をされた(冒頭の写真)。

関大にほど近い千里ニュータウンは、町開きから45年が経過したが「果たして千里ニュータウンは“ふるさと”になれるのか? なっているのか?」という疑問が最初にあったそうだ。当日のメモから岡氏の話を拾うと、

《ふるさとには、思い出や伝説(不思議な話など)がつきものだが、新しく作られた町は“ふるさと”になれるのだろうか。学生に聞いてみると「今住んでいるところは、ふるさとにならない」「ふるさとは親の実家」という答が返ってきた》《ふるさとを失った若者のためにふるさとを作ろう。学生・卒業生とその家族が常に住まい、訪れ、帰ることのできる環境を作ろう、と考えた》。


現地で講義をする岡氏(HPより)

実践する現場は、兵庫県丹波市青垣町の「佐治」という集落だ。このプロジェクトのホームページによると、青垣町は《人口7100人の町です。佐治の集落は、江戸時代は宿場町として、その後も明治中期には製糸業により賑わいを見せ、現在もその面影の残るきれいなまちなみですが、人口も減り、ひっそりとした町になっています》。
※同プロジェクトのホームページ
http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_env/2007gendaigp/introduction/

《環境都市工学部が学部全体で取り組み、現地にTAFS佐治(丹波青垣フィールドスタジオ・佐治スタジオ)を活動拠点として整備し、丹波市・青垣町との交流や地域活性化活動を行うとともに、学生の教育を支援します。また、TAFS佐治との緊密な連携を図るため、関西大学千里山キャンパス内にもTAFS千里山を設け、双方向での研究・計画・教育支援体制をとります。関連の講義科目のほか、演習科目でフィールドワークとしての現地調査、交流ワークショップを実施します》。


学生たちの作業(床を剥がして土間に戻す HPより)

《本プロジェクトの遂行には、丹波市と住民の方々からも大きな期待が寄せられており、2007年4月以降、すでに数回の現地交流ワークショップや交流ゼミを開催しています》。関大は、学生が丹波にすぐ行けるよう、また丹波市民が関大の公開講座を聴きに来れるよう、直通バスも走らせているという。

ホームページでは、江川教授がこの取り組みの趣旨・目的を語っている。《過疎の根本的な問題解決は一朝一夕にはいきません。学生や先生が出かけていって、簡単なアンケート調査などをして何か提案し、さっと去ってしまう。学生や先生の論文は書けるかもしれないが、現実に村や町は何も変わらない》。

《過疎の社会には構造的な問題がいっぱいあります。その一方で、経済活動にのまれないで残っている美しい景色があります。数多くある空き家は放っておくと、維持する人がいないから壊れていくだけです。長期間にわたって住民とつきあい、本音を知り、地域のさまざまなことを体感するなかで、住民と一緒になって議論し、何かを行うことが重要なのです》。


江川氏(9/24撮影)

《定住が求められていても、実際は過疎の農山村に多くの人々が定住することは難しい。そこで、大学という形態を利用して、「持続的に“関わり続けるという定住のカタチ”」を考えました。つまり、学生が毎年途切れることなく、継続的に地域と交流すれば、常に学生が居続けることになります。それを定住の第一階層ととらえると、実際に住み続ける定住、つまり第二階層の定住もこれらの中から生まれてきます》。

「定住」と「交流」とは、本来は反対語であるが、継続的に交流することによって「疑似定住」状態を作り出せば、その中から将来的には実際に定住する人が生まれるだろう、ということだ。

《学生自身が農山村と中長期的に交流を続けることができたら、彼らにとってはかけがえのない「ふるさと」を持つことになります。日本の美しい、大切な社会資源を考える教育目標も達成されます》。

《日本の山は自然林と人工林が混じっていて、それぞれの役割を担っています。人工林というのは木を育てて、それを切って使うという仕組みです。農業が育てた作物を食べるように、木造住宅は育てた木を使いますが、その仕組みが今の日本では崩れてきています。実は、田舎の山は都会にとっても大切なのです。山が変われば川の水も変わります。山を管理する人がいなくなり、みんな都会に出てお金で利便性を買う生活をするとどうなるか。田舎が壊れたら都会も壊れるのです。もうかなりその兆候が表れてきています。過疎化がどんどん進む田舎を、きちんと整備していかなければなりません。学生たちはそういうことにも気づき、いろいろなことを学んでくれると思います》。


奈良県の山村(宇陀郡曽爾村)

林業の話は、私が現在関心を寄せている奈良県の山村の話とオーバーラップする。若者がこういう構造に気づいてくれることは、日本の林業にとって、とても有り難いことである。

このプロジェクトは、「ふるさとを持たない若者にふるさとを」、「若者のいない過疎地に若者を」という日本社会が抱える2つの大きな問題を同時に解決しようという素晴らしい構想である。岡氏の話の中では、学生たちが生き生きと働き、また村の人たちと交流する画像がたくさん紹介されていた。

江川氏は学生に《「考えるより先に感じろ」と言っています。そして「結論を急いで出すな」と。答えはすぐに出さなくてもよいのです。(中略) 大事な問題の答えは、関わり続けて、一生かかって出てくるものです》とおっしゃっている。

過疎地で学生たちは何を感じ、それが卒業後どんな形となって現れるのかは未知数だが、これは得難い体験である。奈良県をはじめ各地に過疎の山村は多いが、将来の日本を背負う若者が、山村から感じた「何か」を一生の糧にしていただきたいと思う。
コメント (2)
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