産経新聞奈良版・三重版ほかで好評連載中の「なら再発見」、今回(4/13)のタイトルは「飛鳥鍋と蘇 牛乳伝来、普及の歴史刻む」で、執筆したのは私である。早くに脱稿していたが、桜シリーズが先に出たので、掲載が後回しになった。
ずいぶん以前から「牛乳で煮た鍋物のことを、なぜ『飛鳥鍋』というのだろう。酪農といえば北海道東部の根釧台地のあたりだから、『北海鍋』とか『根釧鍋』なら分かるけど…」と疑問に思っていた。積年の謎を解明したのが今回の「なら再発見」である。ぜひ、最後までお読みいただきたい。
※トップ写真は《牛乳をベースにしたまろやかな味わいの「飛鳥鍋」》
橿原観光ホテルのレストラン「ミランドオル」のメニュー(2012年12月19日撮影)
鍋物と言えば、定番は寄せ鍋や水炊きだが、奈良の伝統的な鍋は牛乳ベースの飛鳥鍋だ。
薄口醤油(しょうゆ)で味付けし、出汁(だし)に鶏肉などの具材を入れ、最後に牛乳を注ぐ。牛乳を加えてからは、強く煮立てないのがコツだ。
なぜ牛乳ベースの鍋物を「飛鳥鍋」と呼ぶのだろう。これにはわが国における牛乳の伝来、普及の歴史と密接な関係があった。
* * *
「日本書紀」の神武東遷の記述に出てくる「牛酒(ししさけ)」が牛乳との説があり、古くから飲まれていた可能性がある。
しかし、一般には欽明天皇23年(562)年、呉国主照淵(しょうえん)の孫、智聡(ちそう)らの一族が来日した際、医学書や経典とともに、牛乳の薬効や牛の飼育法を記した書物を持ち込んだとされる。
大化の改新(645年)のころ、智聡の子、善那(ぜんな)が孝徳天皇に牛乳を献上したところ、天皇はたいそう喜び、善那に「和薬使主(やまとくすしのおみ)」の姓(かばね)と、「乳長上(ちちのちょうじょう)」という乳製品技官のような職を授けたのが、牛乳飲用の始まりと伝わる。
当時、牛乳は薬と考えられていた。確かに、牛乳に含まれるカルシウムやアミノ酸のトリプトファンには、神経を鎮め、精神を安定させる働きがある。
善那が天皇に牛乳を献上したことで、飛鳥時代に牛乳が飲用されていたことが記録に残った。
これら4点の写真は「やまと旬菜 三笠」(奈良市登大路町)の特注・飛鳥鍋
メニューにはない料理だが、早くから予約を入れ、特別にお願いした
しかし、古代日本の乳牛は、ホルスタイン種のように品種改良したものではなく、現在の和牛よりさらに小さかった。しぼれる量も少なく、子牛の飼育に必要な分を除くと、ごくわずかしか残らなかったようだ。
貴重な牛乳で鶏肉を煮たのが飛鳥鍋のルーツとされる。まさに飛鳥時代に考案された鍋物だった。
それが後々まで、飛鳥地方の郷土料理として伝えられた。今では県の「奈良のうまいもの」にも選定され、県内のホテルや旅館、飲食店でも提供されている。
* * *
文武天皇4(700)年のころ、朝廷は諸国に命じて牧場を拓(ひら)き、牛を放牧させる。雌牛が子牛を生んで乳が分泌されると、朝廷は牛乳をしぼり、「蘇」に加工して都に献納することを命じた。
蘇は牛乳を長時間煮詰めた加工食品。チーズの元祖で、淡泊な味わいだ。奈良時代から平安時代にかけて各地で製造され、都に納められた。
さらに濃縮、熟成したのが「醍醐(だいご)」で、「醍醐味(だいごみ)」の語源だが、製法は伝えられていない。
西井牧場が再現した「飛鳥の蘇」
* * *
明日香村に近い、天香具山ふもとにある西井牧場(橿原市)では、「飛鳥の蘇」を製造している。昭和62年、飛鳥資料館の指導を得て再現した自然食品だ。
口の中に入れると、ほろほろと崩れながら溶けてゆく。味わい深い逸品で、日本酒やワインにも合う。
この牧場では、干し草や飼料にこだわって育てた乳牛から、低温殺菌牛乳や飲むヨーグルト、アイスクリームなども製造、販売している。
蘇は中央アジアの草原の民が生みだした食べ物に違いない。シルクロードを通り、大陸、半島を経て、はるか飛鳥の都に伝えられたのだ。
「シルクロードはミルクロード」「蘇は元気の素」。とりとめないことを考えながら蘇をつついているうちに、中央アジアの草原で昼寝をする子牛の気分になってきた。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
本文のおしまいのところに出てくる西井牧場(西井牧場生乳加工販売所)の乳製品は、絶品である。特に私の好きなのが低温殺菌牛乳「飛鳥の美留久(ミルク)」と飲むヨーグルト「飛鳥の酪(らく)」だが、いろんな商品が揃っているし、取り寄せもできる。
飛鳥時代、飛鳥の都に牛乳が献上され、それで具材を煮たので「飛鳥鍋」なのだ。飛鳥の地は、日本の酪農のルーツとも言えそうだ。鮭が遡上する石狩川にちなんだ「石狩鍋」と同じく地名を冠した、奈良県が誇る「ご当地鍋」だ。今は盛んに「豆乳鍋」が飲食店で提供され、レトルトのツユも市販されているが、あれは飛鳥鍋の応用版なのだろう。
奈良のご当地鍋といえば、江戸三(えどさん 奈良市高畑町)の「若草鍋」がある。伊勢エビ、鯛、鯒(コチ)などの魚介にほうれん草をあしらった豪華な鍋で、昭和天皇にも献上された。こちらの命名者は志賀直哉だそうだ、さすが。
映画評論家で料理研究家だった荻昌弘は「『鍋物大全』を書いてから死にたい」と言い残して果たせなかったが、まこと鍋物は奥が深い。まだまだ花冷えの夜がある。ぜひ、飛鳥鍋をお薦めしたい。
ずいぶん以前から「牛乳で煮た鍋物のことを、なぜ『飛鳥鍋』というのだろう。酪農といえば北海道東部の根釧台地のあたりだから、『北海鍋』とか『根釧鍋』なら分かるけど…」と疑問に思っていた。積年の謎を解明したのが今回の「なら再発見」である。ぜひ、最後までお読みいただきたい。
※トップ写真は《牛乳をベースにしたまろやかな味わいの「飛鳥鍋」》
橿原観光ホテルのレストラン「ミランドオル」のメニュー(2012年12月19日撮影)
鍋物と言えば、定番は寄せ鍋や水炊きだが、奈良の伝統的な鍋は牛乳ベースの飛鳥鍋だ。
薄口醤油(しょうゆ)で味付けし、出汁(だし)に鶏肉などの具材を入れ、最後に牛乳を注ぐ。牛乳を加えてからは、強く煮立てないのがコツだ。
なぜ牛乳ベースの鍋物を「飛鳥鍋」と呼ぶのだろう。これにはわが国における牛乳の伝来、普及の歴史と密接な関係があった。
* * *
「日本書紀」の神武東遷の記述に出てくる「牛酒(ししさけ)」が牛乳との説があり、古くから飲まれていた可能性がある。
しかし、一般には欽明天皇23年(562)年、呉国主照淵(しょうえん)の孫、智聡(ちそう)らの一族が来日した際、医学書や経典とともに、牛乳の薬効や牛の飼育法を記した書物を持ち込んだとされる。
大化の改新(645年)のころ、智聡の子、善那(ぜんな)が孝徳天皇に牛乳を献上したところ、天皇はたいそう喜び、善那に「和薬使主(やまとくすしのおみ)」の姓(かばね)と、「乳長上(ちちのちょうじょう)」という乳製品技官のような職を授けたのが、牛乳飲用の始まりと伝わる。
当時、牛乳は薬と考えられていた。確かに、牛乳に含まれるカルシウムやアミノ酸のトリプトファンには、神経を鎮め、精神を安定させる働きがある。
善那が天皇に牛乳を献上したことで、飛鳥時代に牛乳が飲用されていたことが記録に残った。
これら4点の写真は「やまと旬菜 三笠」(奈良市登大路町)の特注・飛鳥鍋
メニューにはない料理だが、早くから予約を入れ、特別にお願いした
しかし、古代日本の乳牛は、ホルスタイン種のように品種改良したものではなく、現在の和牛よりさらに小さかった。しぼれる量も少なく、子牛の飼育に必要な分を除くと、ごくわずかしか残らなかったようだ。
貴重な牛乳で鶏肉を煮たのが飛鳥鍋のルーツとされる。まさに飛鳥時代に考案された鍋物だった。
それが後々まで、飛鳥地方の郷土料理として伝えられた。今では県の「奈良のうまいもの」にも選定され、県内のホテルや旅館、飲食店でも提供されている。
* * *
文武天皇4(700)年のころ、朝廷は諸国に命じて牧場を拓(ひら)き、牛を放牧させる。雌牛が子牛を生んで乳が分泌されると、朝廷は牛乳をしぼり、「蘇」に加工して都に献納することを命じた。
蘇は牛乳を長時間煮詰めた加工食品。チーズの元祖で、淡泊な味わいだ。奈良時代から平安時代にかけて各地で製造され、都に納められた。
さらに濃縮、熟成したのが「醍醐(だいご)」で、「醍醐味(だいごみ)」の語源だが、製法は伝えられていない。
西井牧場が再現した「飛鳥の蘇」
* * *
明日香村に近い、天香具山ふもとにある西井牧場(橿原市)では、「飛鳥の蘇」を製造している。昭和62年、飛鳥資料館の指導を得て再現した自然食品だ。
口の中に入れると、ほろほろと崩れながら溶けてゆく。味わい深い逸品で、日本酒やワインにも合う。
この牧場では、干し草や飼料にこだわって育てた乳牛から、低温殺菌牛乳や飲むヨーグルト、アイスクリームなども製造、販売している。
蘇は中央アジアの草原の民が生みだした食べ物に違いない。シルクロードを通り、大陸、半島を経て、はるか飛鳥の都に伝えられたのだ。
「シルクロードはミルクロード」「蘇は元気の素」。とりとめないことを考えながら蘇をつついているうちに、中央アジアの草原で昼寝をする子牛の気分になってきた。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
本文のおしまいのところに出てくる西井牧場(西井牧場生乳加工販売所)の乳製品は、絶品である。特に私の好きなのが低温殺菌牛乳「飛鳥の美留久(ミルク)」と飲むヨーグルト「飛鳥の酪(らく)」だが、いろんな商品が揃っているし、取り寄せもできる。
飛鳥時代、飛鳥の都に牛乳が献上され、それで具材を煮たので「飛鳥鍋」なのだ。飛鳥の地は、日本の酪農のルーツとも言えそうだ。鮭が遡上する石狩川にちなんだ「石狩鍋」と同じく地名を冠した、奈良県が誇る「ご当地鍋」だ。今は盛んに「豆乳鍋」が飲食店で提供され、レトルトのツユも市販されているが、あれは飛鳥鍋の応用版なのだろう。
奈良のご当地鍋といえば、江戸三(えどさん 奈良市高畑町)の「若草鍋」がある。伊勢エビ、鯛、鯒(コチ)などの魚介にほうれん草をあしらった豪華な鍋で、昭和天皇にも献上された。こちらの命名者は志賀直哉だそうだ、さすが。
映画評論家で料理研究家だった荻昌弘は「『鍋物大全』を書いてから死にたい」と言い残して果たせなかったが、まこと鍋物は奥が深い。まだまだ花冷えの夜がある。ぜひ、飛鳥鍋をお薦めしたい。