tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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7月7日は、そうめんの日/三輪素麺条例が可決・七夕の日から施行!

2017年07月05日 | 奈良にこだわる
「この味がいいね」と君が言ったから7月7日はそうめん記念日

これは“「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日”のもじりであるが、このたび「桜井市三輪素麺の普及の促進に関する条例」が可決され、7月7日から施行される。毎日新聞ニュース(6/19)によると、
※写真は「和食屋 八寶(はっぽう)」(奈良市東向商店街)の冷やしそうめん(税込み810円 6/24撮影)

三輪素麺 奈良・桜井市議会が条例 提案者「シメに素麺」
「素麺(そうめん)発祥の地」とされる奈良県桜井市の市議会は(6月)19日、市内の三輪地区を中心に作られる三輪素麺の普及促進を目的にした条例を可決した。条例は、業界団体が「七夕・そうめんの日」と定める7月7日に施行され、行政や業界などが一体となって全国発信に力を入れる。

三輪素麺は1200年余り前、凶作に苦しむ民を救うため、保存食として誕生。平安時代以降、宮中や貴族の間で、七夕に食べる風習があったとされる。

条例は2人の市議が議員提案。「三輪素麺を食べる習慣を広め、伝統文化への理解の促進、市の地域経済の活性化を図る」ことを目的に、市が普及促進措置を講じ、生産業者の主体的取り組みと市民の協力を求める内容で、この日の議会で全会一致で可決された。

提案者の1人、大西亘市議(54)は「三輪素麺は大好き。『清酒で乾杯』のように『シメに素麺』が広がれば」と話している。【山本和良】

これはいい。七夕の日にはお酒のシメにはもちろん、朝ご飯にも昼ご飯にも食べてみたい。山と渓谷社刊『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』の「特産品」の章にも、「素麺」が登場する。



素麺 奈良時代に中国から伝えられた素麺は、中国後漢時代(25~220)の記録にある索餅(さくべい)が原形だという。索餅は索麺や麦縄とも呼ばれ、奈良時代の貴族が食べる特別な一品だった。

素麺が作られるのは巻向川と初瀬川が流れる三輪山のふもと。かつて、巻向川にはいくつもの水車が回り、小麦をひいていた。夏の食品である素麺は極寒期に作られる。今でも寒風に晒される素麺は真冬の風物詩。


『日本大百科全書』には、「三輪素麺」のことが詳しく記載されている。

三輪素麺(みわそうめん) 大和(やまと)国三輪(奈良県桜井市)特産のそうめん。そうめんは室町時代から南都諸寺院や貴紳の間で非時食として、また贈答品として珍重されたが、『大乗院寺社雑事記』『多聞院(たもんいん)日記』には素麺・索麺の文字が混用されている。

しかし、三輪素麺が広く周知利用されたのは近世以降で、『毛吹草(けふきぐさ)』に「三輪索麺(そうめん)」とみえ、貝原益軒(えきけん)の『和州巡覧記』には「三輪の町に索麺を多くうる、名産なり」とあり、『大和志』にも「麺線(そうめん) 三輪・馬場(ばば)・金屋(かなや)三村出売四方、世称三輪索麺」とあるように広く販売されていた。

そうめんの原料の麦粉は地元の産で、三輪山北側の車谷で製粉し、1763年(宝暦13)の「三輪村差出明細帳(さしだしめいさいちょう)」に示すように農村の冬季の副業で、こねた麦粉に実綿(みわた)油またはごま油を塗り、手で引き伸ばすのが特徴で、風味を出すため梅雨期を過ぎて出荷された。『日本山海名物図会』(1754)には作業の挿絵を多く載せる。[平井良朋]


三輪で生まれ、全国に広まった「そうめん」。今年(2017年)は猛暑との予報だ。冷たいそうめんを食べて、暑い夏を乗り切りましょう!
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