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田中利典師の「壊すだけなら誰でもできる!」

2025年01月11日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈壊すだけなら誰でも出来る!〉(師のブログ 2017.5.9 付)である。これは、先日紹介した「ふるさと喪失を憂う」および「葬式は無用ではない」と、セットになった文章である。
※トップ写真は、椿寿庵(ちんじゅあん=大和郡山市)の椿(2010.2.6 撮影)

師は〈それもいいというならいいのだけれど、壊しただけで次をつくれないと、民族の崩壊を促すだけになっちまわないかい!と憂いている〉とお書きである。以下、全文を紹介する。

「壊すだけなら誰でも出来る!」
一昨日書いた「ふるさと喪失を憂う」と昨日の「葬式は無用ではない」は私にとって、実は対になった文章である。どう対か?いうと、私はかねてより、日本人の人柄を育んだ価値観として、「お天道様がみてござる」「ご先祖様に顔向けが出来ない」この二つが極めて重要だと思っている。そう、ちょっと前の時代は当たり前の、誰もが子供の時に、親や祖父母に教わってきた、心得るべき教えであった。

ところば戦後わずか70年あまりに、こういうことが急速に言われなくなったし、現代人の心の中では、脆くも葬りさられようとしているではないだろうか。つまり「お天道様がみてござる」というのは、その土地土地に人々が繋がって生きているからこそ、神さまや仏さまに対して生まれる恐れ・感性である。そこには「お天道様」の先に具体的な「世間様」にも繋がっている。

また「ご先祖様に顔向けが出来ない」というのは葬送儀礼をはじめ、先祖供養の心が継承されているからこその、醸成される価値観であろう。人を人たらしめる倫理感があった。その両方が崩壊しつつある現代社会。日本はどこに行こうとしているのか、私はそこを強く憂いているのだ。

墓なんかいらない、骨なんかどこかの海にまいてくれ、お金のためなら土地も自然も好きなように開発したらよい、故郷もいらない、子供も、思い出もいらない、自分さえ幸せなら世間などどうでもよい…。とうそぶく日本人がやたら増えて、まあ、それもいいというならいいのだけれど、壊しただけで次をつくれないと、民族の崩壊を促すだけになっちまわないかい!と憂いているのである。
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