tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

森友問題の犠牲者・赤木俊夫さんを偲(しの)ぶ/奈良新聞「明風清音」第81回

2022年10月30日 | 明風清音(奈良新聞)
安倍元首相の国葬(故安倍晋三国葬儀)に関する議論が落ち着いてきたと思ったが、また再燃している。与野党各会派から1人ずつ参加し、安倍氏の国葬を検証する衆議院協議会は、11月1日(火)に初会合が開かれるそうだ。12月10日の会期末までに、一定の結論を出すという。

今朝(2022.10.30)の毎日新聞社説は〈政治家の国葬「そもそも必要か」議論を〉の見出しで、〈国葬から1カ月以上が経過しても、疑念は解消していない。毎日新聞の10月下旬の世論調査では、「実施すべきではなかった」との意見が6割を占めている〉。

〈安倍氏は、首相在任期間が歴代最長となった半面、強引な政治手法に加え、森友・加計学園や「桜を見る会」などの問題で批判を浴びた。死後に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりが判明したことで、国葬反対論が広がった〉などとしている。

世間はもう赤木俊夫さんのことを忘れているのかも知れないが、私は決して忘れない。それで「故赤木俊夫さんを偲ぶ」という文章を奈良新聞「明風清音」欄(10/20付)に寄稿した。赤木雅子さんたちの著書『私は真実が知りたい~夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?~』で得た情報を中心に書いたが、下書きの段階で、通常回の倍ほどの文字数となってしまった。

大急ぎで手直ししたが、それでも通常回より20行ほど多くなった。「もう、これ以上は削れない」と思い、奈良新聞さんにムリをお願いして、通常回よりスペースを増やしていただいた。削った部分のなかで、やはりこれはお読みいただきたいと思ったところを、追加で以下に紹介しておく。すべて『私は真実が知りたい』からの抜粋である。なお森友問題の全体像は、Wikipedia「森友学園問題」に詳しく出ている。

「検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。僕が何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。僕は犯罪者や」(生前、俊夫さんが奥さんに漏らしていた言葉)。

麻生財務大臣が国会で「遺族が来て欲しくないということだったので伺っていない」と答弁していてるのを見た。私(=奥さん)が言ってもいないことが、まるで事実のように語られ、それを理由に墓参に来ないとは、あまりにも理不尽だと感じた。

「あの3人のスリーショット」とは、2017年4月25日、問題の国有地を背景に安倍昭恵さんと森友学園理事長だった籠池夫妻が写っている有名な写真のことだ。籠池氏は3日後にこの写真を近畿財務局で見せた後に、相手の態度が急変し、その後はうって変わって話がスピーディーに進むようになったと証言し、それを「神風が吹いた」と表現した。

「赤木さんの自殺の件は、佐川(宣寿)元長官が首謀者のようになっていますが、本当は、赤木さんを助けなかった近畿財務局の直属上司たちが一番罪深いと思います。にもかかわらず、当時の近畿財務局管財部の上司たちは、全員、異例の出世をしています。まさに赤木さんを食い物にしたのは、この5人だと思います」(赤木さんの弁護士事務所に投函された近財職員からの手紙)。


高校卒で、しかも途中入省という赤木さんに罪をなすりつけて(トカゲの尻尾切り)、自分たちだけが出世するという構造が透けて見える。前置きが長くなった。「明風清音」の全文を紹介する。

故赤木俊夫さんを偲ぶ
安倍元首相の国葬にまつわる混乱も少し鎮まってきたので、筆をとることにした。国葬について、私はとても賛成する気になれなかった。赤木俊夫さんのことが、心にひっかかっているからである。赤木雅子・相澤冬樹共著『私は真実が知りたい~夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?~』(令和2年文藝春秋社刊)の衝撃は大きかった。

赤木俊夫さんは昭和38年(1963)岡山県に生まれる。地元の高校を卒業し国鉄に就職。民営化に伴い昭和62年旧大蔵省に転職。平成29年近畿財務局管財部上席国有財産管理官の時、公文書改ざんをきっかけにうつ病を発症して休職。同30年3月7日、自宅で首を吊り命を絶つ。享年54。

正義漢だった赤木さんの自死の原因となった森友学園への国有地売却問題が明るみに出たのは、同29年2月8日。この土地だけ売却価格が明らかにされていないことを不審に思った豊中の市議が、情報公開を求めて裁判を起こした。ここには森友学園の小学校が建つ予定で、名誉校長には安倍氏の妻・昭恵さんが就任していた。

国会での野党の追及に、財務省は鑑定価格9億円以上の土地を8億円以上値引きして売却した事実を明らかにした。同29年2月17日、妻の取引などへの関与を国会で追及された安倍氏は「私や妻が関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきり申し上げておきたい。まったく関係ない」と答弁。この強気の発言が、改ざんを誘発した。

一週間後、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は国会で「交渉記録はない」「売買契約締結をもって事案は終了、速やかに(記録を)廃棄した」と答弁した。実際には改ざん前の公文書には「安倍昭恵首相夫人」の名前が繰り返し記されていた。佐川氏の答弁の2日後、これら公文書の改ざんが始まった。俊夫さんは上司の命令により、現場で公文書の改ざんを強要された。

同30年3月2日、朝日新聞の報道により、公文書改ざんが明るみに出た。3月7日に俊夫さんが亡くなると、9日には国税庁長官に栄転していた佐川氏が依願退官、12日には財務省が改ざんの事実を認めた。

佐川氏ら土地取引や改ざんに関わった38人が刑事告発されたが、大阪地検特捜部は同年5月末日、全員を不起訴にした。翌年3月、検察審査会は佐川氏ら10人について「不起訴不当」を議決したが、大阪地検は改めて不起訴処分とした。

令和2年3月、俊夫さんの三回忌を迎えたことを期に、妻・雅子さんは佐川氏と国を相手取り裁判を起こした。同時に『週刊文春』は俊夫さんの手記を公開し、大きな反響を呼んだ。手記には新たな情報が記されていたが、安倍氏も麻生財務大臣(当時)も、「再調査はしない」の一点張りだった。

同3年12月、国は主張を一変させ国家賠償請求を「認諾」し、遺族に1億700万円支払うことを決めたため、国との民事裁判は終結した(佐川氏を相手とした裁判は継続中で、今年11月に一審判決が出る予定)。

本書は雅子さんが一人称で語る部分と、元NHK記者でジャーナリストの相澤氏が客観的に書く部分の連携が見事だ。とりわけ雅子さんが書くディテールが精彩を放つ。

例えば俊夫さんの同期で親友と信じていた男が俊夫さんの死の翌日に自宅を訪ね、「近財(近畿財務局)は赤木に救われた」とつぶやく場面。俊夫さんの上司が同日、雅子さんを訪ね「遺書があれば見せてほしい」と頼み、断られると「マスコミを避けるように」と言い残して帰ったこと。岡山で行われた葬儀には、約20人の近財職員が参列したが、誰一人として記帳せず、香典袋にも単に「近畿財務局幹部一同」と書かれていたことなど。

雅子さんの孤独な戦いは続く。今年9月16日、雅子さんたちは佐川氏らの刑事処分を求める告発状を東京地検特捜部に提出した。告発が受理され起訴されれば、佐川氏は刑事事件の法廷に立つことになり、証言を聴くことができる。9月27日の安倍氏の国葬は、このような状況のなかで行われたのである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする