会社の先輩だった藤井さんのご長男は、日本中央競馬会(JRA)の騎手だ。御所市の中学を卒業後、オーストラリアに渡り騎手デビューを果たし、シンガポール、韓国などでレースに騎乗した。2019年にはJRAの騎手免許を取得した。当ブログでも、2011年と2013年の2回、彼を紹介している。
※写真は、ご本人のX(旧Twitter)から拝借した
しかし残念ながら2022年4月のレース事故で落馬し、脊髄を損傷された。今は懸命にリハビリに取り組まれているが、このたび引退が正式に決まり、今年2月17日(土)京都競馬場で引退式が行われるという。藤井さんはこの間の経緯を日本経済新聞「スポートピア」(2024.1.30付)に寄稿された。以下に全文を紹介する。
〈スポートピア〉藤井勘一郎 落馬後の歩みは「冒険」
レース終盤、近くにいた馬が故障し、自分の騎乗馬の前に倒れてきた。「どうにか跳び越してくれ」。そう願ったものの、かなわずに落馬。次に気付いた時は、競馬場内の医務室だった。2022年4月16日、福島競馬場でのレースで脊髄を損傷した。
競馬場から病院に運ばれる間の記憶は曖昧で、自分の足がマヒしていることも、まだわからなかった。病院で緊急手術を受け、目が覚めたのは次の日の夕方。この時点で下半身の感覚がないことを自覚した。胸から下が動かず、現在は車いすで生活しながら、リハビリに努めている。
競馬とは無縁の家庭で育った私が競馬と出合ったのは小学生の時。テレビで興味を持ち、その後、父に競馬場に連れて行ってもらった。馬が走る迫力や地響きなどを体感し、一気に魅了された。
中央競馬の騎手を志したが、騎手を養成する日本中央競馬会(JRA)競馬学校(千葉県白井市)に入学するための、当時の体重の基準をクリアできなかった。諦めきれずオーストラリアに渡り、騎手を養成する学校に入った。
豪州は騎手の人数も多く、競争が激しい。地方の小さい競馬場で結果を出し、シドニーのような大都市へとステップアップしていく。私の場合、海外で実績を重ね、日本に戻って中央の騎手免許試験を受けるという目標もあった。そのためにシンガポールや韓国にも渡り、経験を積んだ。
私は冒険家の話が好きで植村直己などの本をよく読む。異国の地で言葉の壁もあるなか、現地で準備を進め、一歩一歩、険しい山の頂へと歩みを進めていく。それが自分の騎手人生にも重なった。馬主や生産者、厩舎関係者の思いの詰まった馬に乗り、レースに勝つことはもちろん、自分のキャリアを着実に積み上げていくことも、騎手としてのやりがいだと感じていた。
落馬後の歩みも、それと似ている。最初は車いすに乗る練習をすると、起立性低血圧で気を失いそうになった。症状が改善し、こぐ練習に移っても自力ではちょっとしたスロープも上れなかった。
家族や病院の方々、競馬関係者、友人の助けもあり、そうした課題をひとつひとつクリア。徐々にできることが増えてきた。昨年後半には飛行機で豪州や香港へ渡り、現地のレースを観戦できた。これから新たに何ができるようになるのか。ワクワクする毎日を送っている。(中央競馬騎手)
ふじい・かんいちろう 1983年奈良県生まれ。中学卒業後にオーストラリアに渡り、2001年に現地で騎手デビュー。豪州のほか、シンガポール、韓国などを拠点に世界各国のレースに騎乗。6回の受験の末、19年に日本中央競馬会(JRA)の騎手免許を取得した。
※写真は、ご本人のX(旧Twitter)から拝借した
しかし残念ながら2022年4月のレース事故で落馬し、脊髄を損傷された。今は懸命にリハビリに取り組まれているが、このたび引退が正式に決まり、今年2月17日(土)京都競馬場で引退式が行われるという。藤井さんはこの間の経緯を日本経済新聞「スポートピア」(2024.1.30付)に寄稿された。以下に全文を紹介する。
〈スポートピア〉藤井勘一郎 落馬後の歩みは「冒険」
レース終盤、近くにいた馬が故障し、自分の騎乗馬の前に倒れてきた。「どうにか跳び越してくれ」。そう願ったものの、かなわずに落馬。次に気付いた時は、競馬場内の医務室だった。2022年4月16日、福島競馬場でのレースで脊髄を損傷した。
競馬場から病院に運ばれる間の記憶は曖昧で、自分の足がマヒしていることも、まだわからなかった。病院で緊急手術を受け、目が覚めたのは次の日の夕方。この時点で下半身の感覚がないことを自覚した。胸から下が動かず、現在は車いすで生活しながら、リハビリに努めている。
競馬とは無縁の家庭で育った私が競馬と出合ったのは小学生の時。テレビで興味を持ち、その後、父に競馬場に連れて行ってもらった。馬が走る迫力や地響きなどを体感し、一気に魅了された。
中央競馬の騎手を志したが、騎手を養成する日本中央競馬会(JRA)競馬学校(千葉県白井市)に入学するための、当時の体重の基準をクリアできなかった。諦めきれずオーストラリアに渡り、騎手を養成する学校に入った。
豪州は騎手の人数も多く、競争が激しい。地方の小さい競馬場で結果を出し、シドニーのような大都市へとステップアップしていく。私の場合、海外で実績を重ね、日本に戻って中央の騎手免許試験を受けるという目標もあった。そのためにシンガポールや韓国にも渡り、経験を積んだ。
私は冒険家の話が好きで植村直己などの本をよく読む。異国の地で言葉の壁もあるなか、現地で準備を進め、一歩一歩、険しい山の頂へと歩みを進めていく。それが自分の騎手人生にも重なった。馬主や生産者、厩舎関係者の思いの詰まった馬に乗り、レースに勝つことはもちろん、自分のキャリアを着実に積み上げていくことも、騎手としてのやりがいだと感じていた。
落馬後の歩みも、それと似ている。最初は車いすに乗る練習をすると、起立性低血圧で気を失いそうになった。症状が改善し、こぐ練習に移っても自力ではちょっとしたスロープも上れなかった。
家族や病院の方々、競馬関係者、友人の助けもあり、そうした課題をひとつひとつクリア。徐々にできることが増えてきた。昨年後半には飛行機で豪州や香港へ渡り、現地のレースを観戦できた。これから新たに何ができるようになるのか。ワクワクする毎日を送っている。(中央競馬騎手)
ふじい・かんいちろう 1983年奈良県生まれ。中学卒業後にオーストラリアに渡り、2001年に現地で騎手デビュー。豪州のほか、シンガポール、韓国などを拠点に世界各国のレースに騎乗。6回の受験の末、19年に日本中央競馬会(JRA)の騎手免許を取得した。
