今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行第2日「妙音声」〉(師のブログ 2015.5.2 付)である。金峯山寺から自坊に帰られた師は、22年ぶりに自坊での護摩供修行と、「化他(けた)行・蔵王権現供養法(蔵王供)百座千願祈祷」を発願された。
※トップ写真は、師のブログから拝借した
今回はその2日目である。1日2回(2座)の修法なので、すべて(百座)やり遂げるには、50日かかる。なお「千願」とは、「多くの願」ということのようだ。
タイトルの「妙音声」とは、修行中に聞こえてくるウグイスの声や耕耘機の音。動物と人が調和しながら自然の中で暮らしているという有り難みを感じられたという。時々座禅を組む私の友人も、「目を閉じて座っていると、鳥のさえずりや野良猫などがガサゴソする音がよく聞こえる」という。時には、静寂の中に身を置くことも必要なのだ。では、全文を紹介する。
蔵王供正行第2日「妙音声」
蔵王供正行第2日ー5月2日。快晴。今日の1日。ちなみに昨日の就寝は11時半。
5時前に起床。
5時半、第1座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第2座眼蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
15時、新車の交通安全加持
************
「妙音声」
昨日とほぼ同日程だが、今日は護摩の後に信者さまの車加持を行った。それから2人のお弟子さんが護摩の助法に来てくれて、大変助かる。太鼓も鳴った。…事務処理も少し落ち着いて来て、ようやく身辺の整理も出来つつある。
落ち着いて気づいたことがある。今朝の蔵王供を修法中、お堂のまわりで、ウグイスやキツツキや蛙やいろんな動物たちの、ささやくような声に気づいたのである。
吉野住まいのころは、毎朝、春前からウグイスの声に起こされるような生活だったが、自坊もまた、同じようにウグイスのささやきが毎日聞こえていたのだ。本宅ではわからなかったが、行中の道場で、しかも蔵王権現様と対座する供養法の中で感じたその声は、紛れもない妙音声で、大きな感動を覚えた。
9時からの修法ではウグイスの声に混じって、遠くで農作業をする耕耘機の音も重なり、自然と人とが、いい具合に暮らしているという環境の中で行じさせていただいているというありがたさを感じたのであった。
42年前、父が実家を建て直し、信者さんとともに建立した自坊であるが、とても素晴らしい環境にあったことを今回の修行で改めて自覚させていただいている。というか、そういうことにさえ、目が回っていなかった自分の不徳を恥じてもいる。よい所に建っているという自覚は今までしたことがなかったのである。
といっても、田舎の片隅にある小さな堂宇である。来た方はきっと驚かれるだろうなあ。ともかく、まだ始まったばかりの修行であるが、学びが多い。
今日はNHK Eテレの「こころの時代 花に祈る山に祈る」の再放送があった。その時間は護摩の最中だったが、終わった頃、2,3の人から電話があった。爆睡したという人、感動したという人、いろいろだった。
※トップ写真は、師のブログから拝借した
今回はその2日目である。1日2回(2座)の修法なので、すべて(百座)やり遂げるには、50日かかる。なお「千願」とは、「多くの願」ということのようだ。
タイトルの「妙音声」とは、修行中に聞こえてくるウグイスの声や耕耘機の音。動物と人が調和しながら自然の中で暮らしているという有り難みを感じられたという。時々座禅を組む私の友人も、「目を閉じて座っていると、鳥のさえずりや野良猫などがガサゴソする音がよく聞こえる」という。時には、静寂の中に身を置くことも必要なのだ。では、全文を紹介する。
蔵王供正行第2日「妙音声」
蔵王供正行第2日ー5月2日。快晴。今日の1日。ちなみに昨日の就寝は11時半。
5時前に起床。
5時半、第1座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第2座眼蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
15時、新車の交通安全加持
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「妙音声」
昨日とほぼ同日程だが、今日は護摩の後に信者さまの車加持を行った。それから2人のお弟子さんが護摩の助法に来てくれて、大変助かる。太鼓も鳴った。…事務処理も少し落ち着いて来て、ようやく身辺の整理も出来つつある。
落ち着いて気づいたことがある。今朝の蔵王供を修法中、お堂のまわりで、ウグイスやキツツキや蛙やいろんな動物たちの、ささやくような声に気づいたのである。
吉野住まいのころは、毎朝、春前からウグイスの声に起こされるような生活だったが、自坊もまた、同じようにウグイスのささやきが毎日聞こえていたのだ。本宅ではわからなかったが、行中の道場で、しかも蔵王権現様と対座する供養法の中で感じたその声は、紛れもない妙音声で、大きな感動を覚えた。
9時からの修法ではウグイスの声に混じって、遠くで農作業をする耕耘機の音も重なり、自然と人とが、いい具合に暮らしているという環境の中で行じさせていただいているというありがたさを感じたのであった。
42年前、父が実家を建て直し、信者さんとともに建立した自坊であるが、とても素晴らしい環境にあったことを今回の修行で改めて自覚させていただいている。というか、そういうことにさえ、目が回っていなかった自分の不徳を恥じてもいる。よい所に建っているという自覚は今までしたことがなかったのである。
といっても、田舎の片隅にある小さな堂宇である。来た方はきっと驚かれるだろうなあ。ともかく、まだ始まったばかりの修行であるが、学びが多い。
今日はNHK Eテレの「こころの時代 花に祈る山に祈る」の再放送があった。その時間は護摩の最中だったが、終わった頃、2,3の人から電話があった。爆睡したという人、感動したという人、いろいろだった。