今日の「田中利典師曰く」は、「自坊生活3週間…」(師のブログ 2015.4.22 付)。この年の3月末、利典師は34年間お務めになった金峯山寺を退職され、京都府綾部市の自坊「林南院」にお戻りになった。今回は、この3週間の様子をお書きになっている。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
師は、学校を卒業されたご長男の助けを借りながら、相変わらず精力的に仕事をこなしておられる。5月からの「化他行蔵王供千願百座祈祷行」も目前だ。そんなあわただしい日々の生活(里の行)を読み取っていただきたい。では、全文を紹介する。
自坊生活3週間…
まあ、3週間と言っても、じっとしていたわけではなく、九州への出向巡拝や沖縄旅行などがあり、実質は10日あまりしか、いなかったのですが…。九州では10体の蔵王権現様を開眼させていただき、また弟子の棲む辻堂を本宗の非法人寺院に登録する手配をしてきました。離職直後の仕事としては、実りの多い九州行きでした。
さていずれにしても宗務総長職を辞して3週間が立ちますが、いろいろ気づかされる毎日です。足かけ15年間の総長職、そして34年の金峯山寺生活でした。つくづく。よく全うすることが出来たなあと思っています。
近頃、とみに思うのは、「人生は何事も全うすることが大事だ」ということです。教師は教師、公務員は公務員、大工は大工、会社員は会社員…。それぞれ自分の与えられた人生を、自分の出来る範囲内で全うすることが大変大事だと思っており、そういう意味では私も見事に全う出来ました。
それは全うさせてくれた数多くの人々の力と支えがあったからだと改めて感謝しております。職場や友人・知人や取り巻く社会の人々だけではなく、家族も当然そうですよね。
辞任の挨拶で、「解任」という文字を使いましたが、少々説明が入ります。ネットで一人歩きをしているところもありますが、本宗の宗務総長職は他の宗門と違って、選挙で選ばれるわけではなく管長猊下からの委嘱です。そういう意味では、辞任とか、退任というより、任を解かれるということになります。
世の中は自分のことしか考えられない人、目先のことしか考えられない人ばかりかもしれません。私もそういう心が自分の中にあります。離職に当たって、もう一度、国軸山金峯山寺の役割、修験道の果たす責任など、自分に問い直したいと思います。自分のことしか考えられない糞みたいな人生にならないように自分自体もいさめていきたいと思っています。
とはいえ、自坊のことは30数年、ほったらかしにしすぎてきました。とりわけ開山住職の父が病気になり、その後死去してからのここ10年以上は、お寺のしての機能が著しく退化したまま、本宗の宗務などの忙しさに、手が回らず、年2回の大祭と、月2回の護摩を行うのが精一杯で、
寺の法務だけではなく、修復や境内の整備も怠ってきたのが現実でした。そういうツケをここ3週間で痛いほど実感しています。勤行も事欠くようなここ10数年でしたから…。
幸い学生生活を終えた長男が、ともに自坊での生活を支えてくれています。ある種、誰かがそばで仕事の指示を受けてくれるという宗務総長病ともいえる生活に慣れた今の私には、とても助かりますし、有り難いことです。
5月1日から「化他行蔵王供千願百座祈祷行」に入りますが、日本の軸を1000年以上にわたってお守りされてきた蔵王権現様にお祈りし、権現様とともに、この国の信仰を育んでこられた役行者さまを自坊から拝むことで、私の今後の、残された人生の意義を再認識出来る修行としたいと思っております。
5月1日からはこのブログもしばし、おやすみしたいと考えています。フェイスブックの「化他行蔵王供千願百座祈祷行」で修行日記はアップしたいと思っています。あるいは日記だけ、アップできるかもしれません。
今週の日曜日のNHKEテレ「こころの時代ー宗教と人生」をご覧下さい。 放送日時は4月26日(日)午前5時~6時、再放送:5月2日(土)午後1時~2時です。私にとって第1期の「修験道ルネッサンス」の総決算になる番組だと思います・まだ見てないので、ホントはかなり出来は不安ですが(^_^;) 40,50は洟垂れ小僧の、世界ですからね。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
師は、学校を卒業されたご長男の助けを借りながら、相変わらず精力的に仕事をこなしておられる。5月からの「化他行蔵王供千願百座祈祷行」も目前だ。そんなあわただしい日々の生活(里の行)を読み取っていただきたい。では、全文を紹介する。
自坊生活3週間…
まあ、3週間と言っても、じっとしていたわけではなく、九州への出向巡拝や沖縄旅行などがあり、実質は10日あまりしか、いなかったのですが…。九州では10体の蔵王権現様を開眼させていただき、また弟子の棲む辻堂を本宗の非法人寺院に登録する手配をしてきました。離職直後の仕事としては、実りの多い九州行きでした。
さていずれにしても宗務総長職を辞して3週間が立ちますが、いろいろ気づかされる毎日です。足かけ15年間の総長職、そして34年の金峯山寺生活でした。つくづく。よく全うすることが出来たなあと思っています。
近頃、とみに思うのは、「人生は何事も全うすることが大事だ」ということです。教師は教師、公務員は公務員、大工は大工、会社員は会社員…。それぞれ自分の与えられた人生を、自分の出来る範囲内で全うすることが大変大事だと思っており、そういう意味では私も見事に全う出来ました。
それは全うさせてくれた数多くの人々の力と支えがあったからだと改めて感謝しております。職場や友人・知人や取り巻く社会の人々だけではなく、家族も当然そうですよね。
辞任の挨拶で、「解任」という文字を使いましたが、少々説明が入ります。ネットで一人歩きをしているところもありますが、本宗の宗務総長職は他の宗門と違って、選挙で選ばれるわけではなく管長猊下からの委嘱です。そういう意味では、辞任とか、退任というより、任を解かれるということになります。
世の中は自分のことしか考えられない人、目先のことしか考えられない人ばかりかもしれません。私もそういう心が自分の中にあります。離職に当たって、もう一度、国軸山金峯山寺の役割、修験道の果たす責任など、自分に問い直したいと思います。自分のことしか考えられない糞みたいな人生にならないように自分自体もいさめていきたいと思っています。
とはいえ、自坊のことは30数年、ほったらかしにしすぎてきました。とりわけ開山住職の父が病気になり、その後死去してからのここ10年以上は、お寺のしての機能が著しく退化したまま、本宗の宗務などの忙しさに、手が回らず、年2回の大祭と、月2回の護摩を行うのが精一杯で、
寺の法務だけではなく、修復や境内の整備も怠ってきたのが現実でした。そういうツケをここ3週間で痛いほど実感しています。勤行も事欠くようなここ10数年でしたから…。
幸い学生生活を終えた長男が、ともに自坊での生活を支えてくれています。ある種、誰かがそばで仕事の指示を受けてくれるという宗務総長病ともいえる生活に慣れた今の私には、とても助かりますし、有り難いことです。
5月1日から「化他行蔵王供千願百座祈祷行」に入りますが、日本の軸を1000年以上にわたってお守りされてきた蔵王権現様にお祈りし、権現様とともに、この国の信仰を育んでこられた役行者さまを自坊から拝むことで、私の今後の、残された人生の意義を再認識出来る修行としたいと思っております。
5月1日からはこのブログもしばし、おやすみしたいと考えています。フェイスブックの「化他行蔵王供千願百座祈祷行」で修行日記はアップしたいと思っています。あるいは日記だけ、アップできるかもしれません。
今週の日曜日のNHKEテレ「こころの時代ー宗教と人生」をご覧下さい。 放送日時は4月26日(日)午前5時~6時、再放送:5月2日(土)午後1時~2時です。私にとって第1期の「修験道ルネッサンス」の総決算になる番組だと思います・まだ見てないので、ホントはかなり出来は不安ですが(^_^;) 40,50は洟垂れ小僧の、世界ですからね。