今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行11日目「被災地への思いを込めて…」〉(師のブログ2015.5.11 付)である。
※写真はこの日のお護摩の様子、師の奥さまが撮影された。良いタイミングで炎をとらえている
師は2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地の慰霊、鎮魂そして「これ以上大きな地震が起こりませんように」との祈りを込めて、地震の翌日から1年間、地震の起きた午後2時46分に毎日、ご祈祷をされた。
そして2012年3月12日には被災地に立ち、惨状を目にした。この東北巡礼が、同年8月31日の石巻大護摩供(東日本大震災復興祈願 金峯山寺 採灯大護摩供)につながって行く。では、全文を以下に紹介する。
蔵王供正行11日目 「被災地への思いを込めて…」
蔵王供正行11日目(5月11日)。晴れ。今日の一日。
5時前に起床。
5時半、第21座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第22座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者0名(終わってからお2人ご参拝)。
****************
「被災地への思いを込めて…」
5月1日入行以来、ノー参拝者デーなしが続いていましたが、とうとう11日目にして、その日がやってきました。ゲストなしで、私と息子で、お護摩のひとときを過ごしたのです。今日は、いつもやかましい自坊の前の鉄工所も休みで、鶯の谷渡りの涼やかな鳴き声がこだまするなか、とても気持ちのよい護摩だったのですが…。でも終わってから2人がおいでになりましたので、ノー参拝者デーともいえないかも…。
さて今日は11日。4年前の3月11日は、東日本大震災でした。11日というと、思い出します。いえ、忘れてはいけない日なのだと思っています。私は4年前、大震災の翌日3月12日から一年間、地震の起きた午後2時46分に、慰霊と鎮魂と、そしてこれ以上大きな地震が起きないようにと願って、東に向かい、お祈りを続けました。
地下鉄の中であろうと、ビル中での会議であろうと、その時間には一日も欠かさずにお祈りをしたのでした。そしてまる一年が過ぎた平成24年の3月12日に、私ははじめて東北の被災地に立ったのでした。今でも南三陸や石巻で目にした、あの茫茫と広がる被災地の惨状が目に焼き付いて離れません。
このときの東北巡礼は、その後、石巻の鰹節工場の復興支援や、某水産工場地で開催させていただいた、慰霊大護摩供厳修に繋がって行きました。東北に確たる拠点を持たない金峯山寺としては、現地での活動は、阪神淡路大震災のときと違って、思うに任せぬ動きしか出来なかったのが正直な感想でした。
いろいろ、東北の方にも、お世話にもなりました。今日の護摩も、そういう被災地への思いを込めて、修法させていただいたのでした。
写真は今日のお護摩。家内の撮影です。
※写真はこの日のお護摩の様子、師の奥さまが撮影された。良いタイミングで炎をとらえている
師は2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地の慰霊、鎮魂そして「これ以上大きな地震が起こりませんように」との祈りを込めて、地震の翌日から1年間、地震の起きた午後2時46分に毎日、ご祈祷をされた。
そして2012年3月12日には被災地に立ち、惨状を目にした。この東北巡礼が、同年8月31日の石巻大護摩供(東日本大震災復興祈願 金峯山寺 採灯大護摩供)につながって行く。では、全文を以下に紹介する。
蔵王供正行11日目 「被災地への思いを込めて…」
蔵王供正行11日目(5月11日)。晴れ。今日の一日。
5時前に起床。
5時半、第21座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第22座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者0名(終わってからお2人ご参拝)。
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「被災地への思いを込めて…」
5月1日入行以来、ノー参拝者デーなしが続いていましたが、とうとう11日目にして、その日がやってきました。ゲストなしで、私と息子で、お護摩のひとときを過ごしたのです。今日は、いつもやかましい自坊の前の鉄工所も休みで、鶯の谷渡りの涼やかな鳴き声がこだまするなか、とても気持ちのよい護摩だったのですが…。でも終わってから2人がおいでになりましたので、ノー参拝者デーともいえないかも…。
さて今日は11日。4年前の3月11日は、東日本大震災でした。11日というと、思い出します。いえ、忘れてはいけない日なのだと思っています。私は4年前、大震災の翌日3月12日から一年間、地震の起きた午後2時46分に、慰霊と鎮魂と、そしてこれ以上大きな地震が起きないようにと願って、東に向かい、お祈りを続けました。
地下鉄の中であろうと、ビル中での会議であろうと、その時間には一日も欠かさずにお祈りをしたのでした。そしてまる一年が過ぎた平成24年の3月12日に、私ははじめて東北の被災地に立ったのでした。今でも南三陸や石巻で目にした、あの茫茫と広がる被災地の惨状が目に焼き付いて離れません。
このときの東北巡礼は、その後、石巻の鰹節工場の復興支援や、某水産工場地で開催させていただいた、慰霊大護摩供厳修に繋がって行きました。東北に確たる拠点を持たない金峯山寺としては、現地での活動は、阪神淡路大震災のときと違って、思うに任せぬ動きしか出来なかったのが正直な感想でした。
いろいろ、東北の方にも、お世話にもなりました。今日の護摩も、そういう被災地への思いを込めて、修法させていただいたのでした。
写真は今日のお護摩。家内の撮影です。