今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行12日目「高野山と吉野山」〉(師のブログ2015.5.12 付)である。この年は、高野山開創1200年の年で、4月から高野山では慶讃法要が連日、大々的に行われていた。5月11日は金峯山寺が法要を勤める当番の日で、金峯山寺配下の山伏らが全国から集い史上で初めて、高野山で大護摩を修法したのだそうだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
また利典師が提唱された「世界遺産・紀伊山地三霊場会議」では、高野山座主の松長猊下に総裁職をお願いし6年間、お勤めいただいたという。また師と同じ京都府綾部市出身の村上保壽氏(当時は金剛峯寺教学部長)と利典師は、手を携えて「高野山開創の道プロジェクト」を成し遂げられた。では、全文を以下に紹介する。
「高野山と吉野山」
蔵王供正行12日目(5月12日)。晴れのち曇り。今日の一日。
5時前に起床。
5時半、第22座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第23座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者3名。
****************
「高野山と吉野山」
4月28日に前行入り、そして5月1日に正行に入ったが、入行以来、すごくよい天気が続いていた。行入り前の4月はずっと雨ばかりだったのだが、不思議なくらい天気続きだ。
実は22年前の、「一千座護摩供修行」のときは、連日大雨だった。約120日間の修行だったが、半分以上は雨、しかも大雨の日が多かった。覚えておられるだろうか?その年は日照不足と雨害で、お米が取れず、タイ米などを緊急輸入した年だった。
米騒動さえ起こったような悪天候の日々だったが、それに比べると今回は入行以来、スカッパレの上天気続きで、怖いくらいであった。で、今日から下り坂。雨、風も出てきた。台風のせいらしい…。
さて、この春は高野山開創1200年の慶賀の年で、4月から高野山では慶讃法要が連日、大々的に行われている。実は昨日は、金峯山寺が法要をお勤めする当番の日であった。今日だったら、天候が心配だったが…。しかし、昨日は快晴の元に、天気男の五條執行長以下、金峯山寺配下の山伏らが全国から集い、史上初めて、高野山で大護摩を修法したのである。昨日でよかったなあ。
高野と吉野とは近年ほとんど行き来はなかった。行き来が出来たのは、前の内局と私達がとても仲良くしていただくようになったからである。
私が提唱した世界遺産・紀伊山地三霊場会議では松長高野山座主猊下に総裁職をお願いし、6年にわたりお勤めいただいたし、なんといっても、同じ綾部出身の、当時、金剛峯寺教学部長だった村上保壽先生と私とで、高野山開創の道プロジェクトを成し遂げたことなど、歴史的な事業をともにさせていただいたのである。そういう事業を通じて、山同士の絆が出来たのであった。
ところが面白いことに、その直接の当事者同士である私も村上さんも、そして松長猊下も退任していて、昨日の歴史的な法会には参加していない。両山にとって意義深い一日だったに違いないが、時代は動き、ことは、新しい人たちに受け継がれていくのである。私はただ黙々と蔵王権現様に祈願の修法をつとめている。でも、ご本尊は全部みておられるに違いない、と思っている。
今日の参拝者は3名。まだかすれ声だが、お蔭様で風邪はほぼなおりました。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
また利典師が提唱された「世界遺産・紀伊山地三霊場会議」では、高野山座主の松長猊下に総裁職をお願いし6年間、お勤めいただいたという。また師と同じ京都府綾部市出身の村上保壽氏(当時は金剛峯寺教学部長)と利典師は、手を携えて「高野山開創の道プロジェクト」を成し遂げられた。では、全文を以下に紹介する。
「高野山と吉野山」
蔵王供正行12日目(5月12日)。晴れのち曇り。今日の一日。
5時前に起床。
5時半、第22座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第23座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者3名。
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「高野山と吉野山」
4月28日に前行入り、そして5月1日に正行に入ったが、入行以来、すごくよい天気が続いていた。行入り前の4月はずっと雨ばかりだったのだが、不思議なくらい天気続きだ。
実は22年前の、「一千座護摩供修行」のときは、連日大雨だった。約120日間の修行だったが、半分以上は雨、しかも大雨の日が多かった。覚えておられるだろうか?その年は日照不足と雨害で、お米が取れず、タイ米などを緊急輸入した年だった。
米騒動さえ起こったような悪天候の日々だったが、それに比べると今回は入行以来、スカッパレの上天気続きで、怖いくらいであった。で、今日から下り坂。雨、風も出てきた。台風のせいらしい…。
さて、この春は高野山開創1200年の慶賀の年で、4月から高野山では慶讃法要が連日、大々的に行われている。実は昨日は、金峯山寺が法要をお勤めする当番の日であった。今日だったら、天候が心配だったが…。しかし、昨日は快晴の元に、天気男の五條執行長以下、金峯山寺配下の山伏らが全国から集い、史上初めて、高野山で大護摩を修法したのである。昨日でよかったなあ。
高野と吉野とは近年ほとんど行き来はなかった。行き来が出来たのは、前の内局と私達がとても仲良くしていただくようになったからである。
私が提唱した世界遺産・紀伊山地三霊場会議では松長高野山座主猊下に総裁職をお願いし、6年にわたりお勤めいただいたし、なんといっても、同じ綾部出身の、当時、金剛峯寺教学部長だった村上保壽先生と私とで、高野山開創の道プロジェクトを成し遂げたことなど、歴史的な事業をともにさせていただいたのである。そういう事業を通じて、山同士の絆が出来たのであった。
ところが面白いことに、その直接の当事者同士である私も村上さんも、そして松長猊下も退任していて、昨日の歴史的な法会には参加していない。両山にとって意義深い一日だったに違いないが、時代は動き、ことは、新しい人たちに受け継がれていくのである。私はただ黙々と蔵王権現様に祈願の修法をつとめている。でも、ご本尊は全部みておられるに違いない、と思っている。
今日の参拝者は3名。まだかすれ声だが、お蔭様で風邪はほぼなおりました。