今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行8日 「修行をさせていただく悦び」〉(師のブログ 2015.5.8 付)である。師はまだ、風邪を引きずっておられたようである。この日、切り絵作家の西村幸祐(こうすけ)さんご夫妻が、大和郡山市からお参りに来られた。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
私はこないだ(2024.2.18)、西村さんの作品をNHK Eテレ「こころの時代 歎異抄にであう(5)」(再)で拝見したばかりである。複雑な構図の見事な大作だった。作品の一部は西村さんの公式HPで拝見することができる。では、全文を紹介する。
「修行をさせていただく悦び」
蔵王供正行8日(5月8日)。快晴。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は10時、ただし午前1時まで寝付けず。咳が止まらない。
5時に起床。
5時半、第15座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第16座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者2名。
写真は、今日、西村さんにいただいた切り絵と、正行8日目ー今日の私の同じポーズを試みた自撮り写真。
****************
「修行をさせていただく悦び」
今日は遠く大和郡山市から西村幸祐さんご夫妻が護摩のお参りに来て頂いた。初日以来の参拝連続記録がまだ途切れていない。ただ、3日の月例護摩を除くと全部、自坊林南院の信者さん以外の方で、私が吉野や奈良でお世話になった繋がりの方や、例のEテレをみて来た方など、はじめて林南院においでになる方ばかりである。
西村さんはFBのお友達で、切り絵作家としてこの2月に作品展をお開きになってお出会いしたばかりの方である。遠路、有り難いことである。しかし林南院は終わっているよなあ。まあ10年以上、開店休業状態だったし、父の代の信者様はほとんどが代替わりをしているし、当然と言えば当然です。
ところで、今回の蔵王供百座修行は私にとって、自発的に行う3回目の参籠行となっています。最初は昭和60年ー30才の時でした。自坊の脳天堂で、49日間、護摩を焚いた。
2度目は平成5年ー38才の時の、一千座護摩供修行。同じく自坊の脳天堂に籠もって、一日9回の護摩を1000回焚き続けた。この時は前行を入れて、120日間籠もったのである。最後の100座は五穀断ち・塩断ちもした。
そして3度目が今回の「化他行蔵王供百座千願祈祷行」。朝から2座の蔵王権現供養法修法と、午後からは法楽の護摩を一座焚くという毎日である。
考えてみれば、こういうように、勝手に自分で発願して、一定期間籠もって行ずることが出来る環境というのは、あるようであまりないものである。思えば思うほど、有り難いことだと思う。
今回は、宗務総長の離職がきっかけではあったが、還暦を迎え、いままでの人生をリセットさせるまたとないチャンスであるし、また、そういう我が儘な私を支えてくれる周りの人たちに恵まれている幸せも大いに感じる。
家族にも感謝している。身を惜しまずに、助法をしてくれるお弟子さんや多くの方々にも感謝している。もちろん何もしてくれない人もいるので、お弟子さんといってもいろいろではありますが・・・(^_^;)
足かけ15年の総長職、そして34年という人生の半分以上を過ごした金峯山寺生活を離れるのに、様々な思いがよぎったのは間違いないが、ここしばらくの忙しさの中で、それを思い煩う間もなく、気がつけば修行三昧の日々に身を置いていたのである。
まさに「修行させていただく悦び」の毎日を送っている。みなさんに感謝である。そして、「みんな大好き」です。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
私はこないだ(2024.2.18)、西村さんの作品をNHK Eテレ「こころの時代 歎異抄にであう(5)」(再)で拝見したばかりである。複雑な構図の見事な大作だった。作品の一部は西村さんの公式HPで拝見することができる。では、全文を紹介する。
「修行をさせていただく悦び」
蔵王供正行8日(5月8日)。快晴。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は10時、ただし午前1時まで寝付けず。咳が止まらない。
5時に起床。
5時半、第15座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第16座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者2名。
写真は、今日、西村さんにいただいた切り絵と、正行8日目ー今日の私の同じポーズを試みた自撮り写真。
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「修行をさせていただく悦び」
今日は遠く大和郡山市から西村幸祐さんご夫妻が護摩のお参りに来て頂いた。初日以来の参拝連続記録がまだ途切れていない。ただ、3日の月例護摩を除くと全部、自坊林南院の信者さん以外の方で、私が吉野や奈良でお世話になった繋がりの方や、例のEテレをみて来た方など、はじめて林南院においでになる方ばかりである。
西村さんはFBのお友達で、切り絵作家としてこの2月に作品展をお開きになってお出会いしたばかりの方である。遠路、有り難いことである。しかし林南院は終わっているよなあ。まあ10年以上、開店休業状態だったし、父の代の信者様はほとんどが代替わりをしているし、当然と言えば当然です。
ところで、今回の蔵王供百座修行は私にとって、自発的に行う3回目の参籠行となっています。最初は昭和60年ー30才の時でした。自坊の脳天堂で、49日間、護摩を焚いた。
2度目は平成5年ー38才の時の、一千座護摩供修行。同じく自坊の脳天堂に籠もって、一日9回の護摩を1000回焚き続けた。この時は前行を入れて、120日間籠もったのである。最後の100座は五穀断ち・塩断ちもした。
そして3度目が今回の「化他行蔵王供百座千願祈祷行」。朝から2座の蔵王権現供養法修法と、午後からは法楽の護摩を一座焚くという毎日である。
考えてみれば、こういうように、勝手に自分で発願して、一定期間籠もって行ずることが出来る環境というのは、あるようであまりないものである。思えば思うほど、有り難いことだと思う。
今回は、宗務総長の離職がきっかけではあったが、還暦を迎え、いままでの人生をリセットさせるまたとないチャンスであるし、また、そういう我が儘な私を支えてくれる周りの人たちに恵まれている幸せも大いに感じる。
家族にも感謝している。身を惜しまずに、助法をしてくれるお弟子さんや多くの方々にも感謝している。もちろん何もしてくれない人もいるので、お弟子さんといってもいろいろではありますが・・・(^_^;)
足かけ15年の総長職、そして34年という人生の半分以上を過ごした金峯山寺生活を離れるのに、様々な思いがよぎったのは間違いないが、ここしばらくの忙しさの中で、それを思い煩う間もなく、気がつけば修行三昧の日々に身を置いていたのである。
まさに「修行させていただく悦び」の毎日を送っている。みなさんに感謝である。そして、「みんな大好き」です。