今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行17日~19日目 「懺悔」〉(師のブログ 2015.5.19 付)である。3日分のお行日記をまとめて紹介された。
※トップ写真は吉野山の桜(2022.4.7 撮影)。今年の下千本の開花は3/30頃、満開は4/5頃
淡々としたお行の日々だが、19日には5名のご参拝者がいらっしゃり、なかにはNHKEテレ「こころの時代」や「ラジオ深夜便」を視聴されて茨城から来られた方もいらっしゃったそうだ、NHK恐るべし。では、以下に全文を紹介する。
蔵王供正行17日~19日目 「懺悔」
蔵王供正行17日目(5月17日)。快晴。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第33座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第34座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者1名。
今日はずっと随喜してくれていた息子が所用で留守のため、神戸から助法に利心さんにきていただく。 少し日程的にこなれてきたので、初めて境内を出て、近くの鎮守さままで、お参りに。久しぶりに戸外を40分ほど歩いた。
蔵王供正行18日目(5月18日)。雨のち曇り。日程同じ。35座、36座修法
参拝者2名。
護摩に併せて、20年来の盟友徳永宗会議長が行見舞いに来山。元気になります。もう一人は大阪からお見えになった善通寺派のお坊様でした。
蔵王供正行19日目(5月19日)。快晴。日程同じ。37座、38座修法
参拝者5名。
毎月19日は脳天さまのご縁日。林南院でもこの日は毎月の朝に護摩。今日は蔵王供修行中のため、午後1時の護摩で月例護摩供もかねて修法。助法者もいつものみなさんに来て頂く。弟子の界道くんに吉野から来てもらい、荒野神供をお願いする。またNHKのこころの時代・ラジオ深夜便を聞いて、わざわざ茨城県からお訪ねいただいた方がありました。茨城県は遠いなあ…。NHK恐るべし。
****************
「懺悔」
…入峰修行では、修行者は声を合わせて山坂に来るたびに懺悔懺悔(さんげさんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えながら足を進めます。体の芯から声を出していきます。声を出して歩いていくことで、次第に余計なことが消えていき、なにも考えられなくなります。頭も空っぽになっていくのです。
「懺悔」は「さんげ」と仏教では読みます。キリスト教の「懺悔(ざんげ)とは、同じ字句ですが、仏典には「ただ懺悔の力のみ、よく積罪を滅す」と示されています。
「あらたむるにおそきことなし」です。生きていくとは、二度と履み行うまいと、仏の前に頭を垂れなければならないことのいかに多いことか、そのことに気づかされます。山を歩いていると、まことに懺悔懺悔の連続なのです。このように、身をもって懺悔し、自己を見つめていくことが、すなわち身心を清浄にしていくことになるのです。
私は、そもそも懺悔こそが宗教心の基本ではないかと思います。罪悪深重のおのれに目覚めることこそが、慈悲の心をつちかい、広く人々の幸せを願う生き方になるのだと思います。それを身体から実感させていただく入峰修行は、まことにありがたいと感じます。
~拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』より
上記のごとく、拙著に記したとおり、山の行はまさに懺悔行…。そして里の行もまた懺悔の修行である。拝めば拝むほど、今までの己と向き合うことになる。ご本尊と向き合っているのだが、ご本尊を思う前に、自らに向かってしまう。妄念とともに、深く懺悔がわき出てくるのだ。化他行としてはじめた蔵王供であるが、懺悔によって、自利利他円満でなければ、成就もないと思う日々である。
※トップ写真は吉野山の桜(2022.4.7 撮影)。今年の下千本の開花は3/30頃、満開は4/5頃
淡々としたお行の日々だが、19日には5名のご参拝者がいらっしゃり、なかにはNHKEテレ「こころの時代」や「ラジオ深夜便」を視聴されて茨城から来られた方もいらっしゃったそうだ、NHK恐るべし。では、以下に全文を紹介する。
蔵王供正行17日~19日目 「懺悔」
蔵王供正行17日目(5月17日)。快晴。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第33座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第34座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者1名。
今日はずっと随喜してくれていた息子が所用で留守のため、神戸から助法に利心さんにきていただく。 少し日程的にこなれてきたので、初めて境内を出て、近くの鎮守さままで、お参りに。久しぶりに戸外を40分ほど歩いた。
蔵王供正行18日目(5月18日)。雨のち曇り。日程同じ。35座、36座修法
参拝者2名。
護摩に併せて、20年来の盟友徳永宗会議長が行見舞いに来山。元気になります。もう一人は大阪からお見えになった善通寺派のお坊様でした。
蔵王供正行19日目(5月19日)。快晴。日程同じ。37座、38座修法
参拝者5名。
毎月19日は脳天さまのご縁日。林南院でもこの日は毎月の朝に護摩。今日は蔵王供修行中のため、午後1時の護摩で月例護摩供もかねて修法。助法者もいつものみなさんに来て頂く。弟子の界道くんに吉野から来てもらい、荒野神供をお願いする。またNHKのこころの時代・ラジオ深夜便を聞いて、わざわざ茨城県からお訪ねいただいた方がありました。茨城県は遠いなあ…。NHK恐るべし。
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「懺悔」
…入峰修行では、修行者は声を合わせて山坂に来るたびに懺悔懺悔(さんげさんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えながら足を進めます。体の芯から声を出していきます。声を出して歩いていくことで、次第に余計なことが消えていき、なにも考えられなくなります。頭も空っぽになっていくのです。
「懺悔」は「さんげ」と仏教では読みます。キリスト教の「懺悔(ざんげ)とは、同じ字句ですが、仏典には「ただ懺悔の力のみ、よく積罪を滅す」と示されています。
「あらたむるにおそきことなし」です。生きていくとは、二度と履み行うまいと、仏の前に頭を垂れなければならないことのいかに多いことか、そのことに気づかされます。山を歩いていると、まことに懺悔懺悔の連続なのです。このように、身をもって懺悔し、自己を見つめていくことが、すなわち身心を清浄にしていくことになるのです。
私は、そもそも懺悔こそが宗教心の基本ではないかと思います。罪悪深重のおのれに目覚めることこそが、慈悲の心をつちかい、広く人々の幸せを願う生き方になるのだと思います。それを身体から実感させていただく入峰修行は、まことにありがたいと感じます。
~拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』より
上記のごとく、拙著に記したとおり、山の行はまさに懺悔行…。そして里の行もまた懺悔の修行である。拝めば拝むほど、今までの己と向き合うことになる。ご本尊と向き合っているのだが、ご本尊を思う前に、自らに向かってしまう。妄念とともに、深く懺悔がわき出てくるのだ。化他行としてはじめた蔵王供であるが、懺悔によって、自利利他円満でなければ、成就もないと思う日々である。