毎月第3水曜日、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。10月17日(水)付で掲載されたのは「今井町並み保存の63年」だった。昭和30(1955)年、東大の助手だった伊藤鄭爾(ていじ)氏は、当時の今井町長のご自宅に逗留し、町家調査を行った。「中世の町がこれだけ大きい規模で残されているところは珍しい」と町長に進言され、それが出発点となって町並み保存運動が興った。
※これら7枚の写真は2017年9月8日、今井町内で撮影。向かって右端が若林さん
この今井町で20年以上、町おこしと町並み保存に取り組んで来られたのが、若林稔さん(今井町町並み保存会会長)である。今井町出身の大茶人・今井宗久(いまい・そうきゅう)を掘り起こし、毎年5月に開催される「今井町並み散歩」(地域おこしイベント)で「茶行列」を創始(平成8年)。平成21年からは毎年夏に「今井灯火会」を開催。
自宅に大学生や留学生を受け入れ、まちづくりを指導し、同時に今井町のまちづくりの戦力として活動の場を提供。今井小学校の6年生向けには重要文化財の民家で「かまど体験」、研修で来町された方の昼食として「大和今井の茶粥」の振舞いもはじめた。また山添村の羊をJR線路脇での除草に活用したり、県立医大とコラボして「お寺で着物でジャズ」を開いたり。今は「最後の道楽」として、町内の古民家を購入し、若者のたまり場として活用してもらえるよう、手ずから改装工事をされている。
そんな今井町の歩みと若林会長のことを紹介したのが今回の記事だ。ぜひ、最後までお読みください!
今井町並み保存の63年
橿原市今井町はわが国で屈指のむかし町(歴史的町並み保存地区)だ。「中世末、寺内町として形成され、近在から在郷武士を含む有力な信徒が移住し」「四周を環濠と土居で囲んだ現在の町割りが成立した」「大幅な自治権が認められた大和の商業の中心地として発展し、大名貸しを行うような商人も誕生している」(以上、『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』)。
昭和30(1955)年、当時東京大学の助手だった伊藤鄭爾(ていじ)氏は町内に滞在して町家調査を行い「中世の町がこれだけ大きい規模で残されているところは珍しい」と町長に進言した。「この大切な町を保存しよう」という機運が一部町民の間で生じ、「古くて暗い町」のイメージが変わる兆しが現れたときで、高市郡今井町が隣接町村と合併して橿原市となる1年前の話だ。
その力が昭和46年、称念寺の住職だった今井博道氏らによる「今井町を守る会」結成へとつながり、49年には妻籠宿(長野県木曽郡)、有松町(名古屋市)の地域づくり団体との連携により「町並み保存連盟」が発足。
同連盟の尽力により、翌年「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)制度が実現した。従来の住環境を維持しながら住民の保存に対する意識を高める制度で、今井町は長年の議論ののち平成5(1993)年に重伝建の制度を受け入れた。「守る会」の遺伝子は現在の「今井町町並み保存会」に受けつがれている。
保存会の若林稔会長(78)にお話をうかがった。「今井町が注目され国から多額の助成金が降りるようになりましたが、落とし穴がありました、高度成長期の頃です。『あれも助成金で、これも助成金で』と他人やカネに頼るような体質になったのです。助成金で見た目だけが立派な町になりましたが、この町を築いてくれた先人たちの進取の気性やもてなしの心が失われていくのを強く感じました。本当の宝物は建物ではなく『心』だったのです」。
そこで若林さんが取り組んだのはシンボルづくり。安土桃山時代の豪商で茶人、千利休・津田宗及とともに天下三宗匠の1人、今井宗久は、今井町の出身といわれる。しかも奈良はわび茶の発祥地だ。若林会長は「今井町並み散歩」というイベントの規模を大幅に拡大、フリーマーケットを並べるほか、宗久の時代の茶行列を創案した。このイベントは大ヒットし、今年で23回(年)目を迎えた。
茶行列の先頭を歩く今井宗久。今井町並み散歩で撮影(2017年5月21日)
「私のイベントは手間暇がかかり、そんな効率の悪い町づくりに、当初はしぶしぶ賛同してくれる人が大半でした。しかし徐々に遠方の学生たちが協力してくれるようになりました」。学生たちのために、若林さんは自宅を開放して寝食をともにする。ピーク時には20~30人にもなるそうだから、これは奥さんも大変だ。そんな学生の1人が「昔のものにふれることが少ない今の時代に、昔のものの温かさ・よさを感じることができた」と感想を語っている(『いまいは今』第41号)。
その後も若林さんは数々のイベントを仕掛けた。今は「働き者が育ってきていることを頼もしく感じます」。今井町の保存は若林会長の統率力のもと、これからも全国の保存地区から注目され、輝き続けていただきたいと願う。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
※これら7枚の写真は2017年9月8日、今井町内で撮影。向かって右端が若林さん
この今井町で20年以上、町おこしと町並み保存に取り組んで来られたのが、若林稔さん(今井町町並み保存会会長)である。今井町出身の大茶人・今井宗久(いまい・そうきゅう)を掘り起こし、毎年5月に開催される「今井町並み散歩」(地域おこしイベント)で「茶行列」を創始(平成8年)。平成21年からは毎年夏に「今井灯火会」を開催。
自宅に大学生や留学生を受け入れ、まちづくりを指導し、同時に今井町のまちづくりの戦力として活動の場を提供。今井小学校の6年生向けには重要文化財の民家で「かまど体験」、研修で来町された方の昼食として「大和今井の茶粥」の振舞いもはじめた。また山添村の羊をJR線路脇での除草に活用したり、県立医大とコラボして「お寺で着物でジャズ」を開いたり。今は「最後の道楽」として、町内の古民家を購入し、若者のたまり場として活用してもらえるよう、手ずから改装工事をされている。
そんな今井町の歩みと若林会長のことを紹介したのが今回の記事だ。ぜひ、最後までお読みください!
今井町並み保存の63年
橿原市今井町はわが国で屈指のむかし町(歴史的町並み保存地区)だ。「中世末、寺内町として形成され、近在から在郷武士を含む有力な信徒が移住し」「四周を環濠と土居で囲んだ現在の町割りが成立した」「大幅な自治権が認められた大和の商業の中心地として発展し、大名貸しを行うような商人も誕生している」(以上、『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』)。
昭和30(1955)年、当時東京大学の助手だった伊藤鄭爾(ていじ)氏は町内に滞在して町家調査を行い「中世の町がこれだけ大きい規模で残されているところは珍しい」と町長に進言した。「この大切な町を保存しよう」という機運が一部町民の間で生じ、「古くて暗い町」のイメージが変わる兆しが現れたときで、高市郡今井町が隣接町村と合併して橿原市となる1年前の話だ。
その力が昭和46年、称念寺の住職だった今井博道氏らによる「今井町を守る会」結成へとつながり、49年には妻籠宿(長野県木曽郡)、有松町(名古屋市)の地域づくり団体との連携により「町並み保存連盟」が発足。
同連盟の尽力により、翌年「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)制度が実現した。従来の住環境を維持しながら住民の保存に対する意識を高める制度で、今井町は長年の議論ののち平成5(1993)年に重伝建の制度を受け入れた。「守る会」の遺伝子は現在の「今井町町並み保存会」に受けつがれている。
保存会の若林稔会長(78)にお話をうかがった。「今井町が注目され国から多額の助成金が降りるようになりましたが、落とし穴がありました、高度成長期の頃です。『あれも助成金で、これも助成金で』と他人やカネに頼るような体質になったのです。助成金で見た目だけが立派な町になりましたが、この町を築いてくれた先人たちの進取の気性やもてなしの心が失われていくのを強く感じました。本当の宝物は建物ではなく『心』だったのです」。
そこで若林さんが取り組んだのはシンボルづくり。安土桃山時代の豪商で茶人、千利休・津田宗及とともに天下三宗匠の1人、今井宗久は、今井町の出身といわれる。しかも奈良はわび茶の発祥地だ。若林会長は「今井町並み散歩」というイベントの規模を大幅に拡大、フリーマーケットを並べるほか、宗久の時代の茶行列を創案した。このイベントは大ヒットし、今年で23回(年)目を迎えた。
茶行列の先頭を歩く今井宗久。今井町並み散歩で撮影(2017年5月21日)
「私のイベントは手間暇がかかり、そんな効率の悪い町づくりに、当初はしぶしぶ賛同してくれる人が大半でした。しかし徐々に遠方の学生たちが協力してくれるようになりました」。学生たちのために、若林さんは自宅を開放して寝食をともにする。ピーク時には20~30人にもなるそうだから、これは奥さんも大変だ。そんな学生の1人が「昔のものにふれることが少ない今の時代に、昔のものの温かさ・よさを感じることができた」と感想を語っている(『いまいは今』第41号)。
その後も若林さんは数々のイベントを仕掛けた。今は「働き者が育ってきていることを頼もしく感じます」。今井町の保存は若林会長の統率力のもと、これからも全国の保存地区から注目され、輝き続けていただきたいと願う。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
今井町も町づくりの先取りで 代々苦難の道を選んできました
でもいつも誰かが苦難を認めて支援の力をくださっているのが 歴史を振り返るとよくわかります
私の場合は鉄田さんをはじめ支えて下さる人の応援歌のお陰で くじけそうになった時も続けてこれました
今回の記事も小さい文面ですが 先人から現在までうまくまとめて頂きましたのでまた講義などでも資料として使わせていただきます
有難うございました
> 先走りするものは 苦難の道を選んでいかなければいけないものですね
はい、先頭を走る者の風圧は大変です。私も現役時代にいろんなことをやりましたが、一旦退職した今になって、やっと評価していただいています。
> 私の場合は鉄田さんをはじめ支えて下さる人の応援歌
> のお陰で くじけそうになった時も続けてこれました
恐縮です。かつての若林さんに対する不当な評価については、義憤といいますか「なぜ正当に評価していただけないのだろう」という思いを常に持っていました。
> うまくまとめて頂きましたのでまた講義などでも資料として使わせていただきます
はい、特に前半部分はあまり知られていないと思いますので、せいぜいご活用いただきたいと思います。最後になりましたが、資料のご提供や校正へのご協力、深謝です!