今日の「田中利典師曰く」は「神仏習合」(師のブログ 2014.9.25 付)。師と正木晃さんとの共著『はじめての修験道』(2004年春秋社刊)「第1章 修験道とはなにか」からの抜粋である。師はいろんなところで「神仏習合」について書かれている。今回の説明も、とても分かりやすいので、ぜひお読みいただきたい。
※トップ写真は利典師の自坊・林南院(京都府綾部市)。林南院さんは昨日(2023.11.3)
開山50周年をお迎えになった、おめでとうございます!(写真は師のFacebookから拝借)
「神仏習合」
ある段階から、山には、神や祖霊だけでなく、仏もいるようになったと述べた。このことについて、説明しておこう。6世紀に初めて仏教が日本に伝えられたとき、当時の人々は、仏を異国の新しい神と考えたらしい。『日本書紀』などでは、「蕃神」と書かれている。
いつの時代でも、新しいモノに対して反対する人が必ずいる。仏教が伝えられたときも、そうだった。日本にはちゃんと昔から神さまがいるのだから、仏とかいう異国の新しい神などいらないと、いちゃもんを付けた。有名な聖徳太子の時代には、仏を祀るかどうかをめぐって、戦争になったことさえあった。
しかし、そうこうするうちに、もともと日本にいた神々と、外国から入ってきた仏たちは、ひじょうに仲良くなってしまった。奈良時代の終わりから平安時代の初め頃には、神々と仏たちはハネムーン状態になって、仲睦まじく暮らすことになった。もちろん、ときには夫婦喧嘩もあったけれど、明治維新までの1100年間は、平穏な暮らしがずっと続いてきた。
神々と仏たちのハネムーン状態が実現したのは、ある考え方のおかげだった。その考え方というのが、「神仏習合」だ。「習合」というのは、「二つのモノがじつは同じモノ」ということを意味する。英語では、シンクレティズム(syncretism)という。直訳すると、「融合」だ。
したがって、「神仏習合」は、神と仏が融合しているという意味になる。日本の歴史や宗教に沿ってもう少し具体的にいうと、日本の神々はインドの仏たちが、日本の実情に合わせて、神々の姿をとってこの世に現れたものだ、という意味になる。多少むずかしくいえば、神も仏も本質は同じで、両者ともに日本列島に住む人々を救済するために働いていることになる。
だから、神々をあがめることと、仏たちをあがめることとは、同じことなのだ。たとえば、伊勢神宮が祀る天照大神は、仏教の大日如来が日本の実情に合わせて現れたものになる。同じように、熊野の本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智大社は観音菩薩。奈良の三輪山の神は地蔵菩薩。京都の祇園の八坂神社に祀られている牛頭天王=素戔嗚尊は薬師如来…。こういうぐあいに、日本中の神々に仏たちが配当された。
この考え方が大成功したのは、どちらか一方がもう一方を強制的に排除してしまわなかったからだ。もし、どちらかが強制的に排除されたりしたら、排除されたほうには恨みばかりが残ってしまう。
かつてキリスト教は自分たちだけが絶対に正しいと主張して、ほとんど暴力的に相手を排除してしまった。その結果、恨みつらみがどんどん積み重なっていって、ヴォルデモート(ハリー・ポッターの最強最大の敵)みたいな、とてつもなく悪い魔法使いが生まれてしまったのだ。
私たち日本人のご先祖たちは、そんなバカなことはしなかった。神々も仏たちも、両方が楽しく暮らせる道を選んだ。それが神仏習合だった。そして、その神仏習合をになってきたのが山伏たちであり、修験道だったのだ。
『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第1章 修験道とはなにか」より
※トップ写真は利典師の自坊・林南院(京都府綾部市)。林南院さんは昨日(2023.11.3)
開山50周年をお迎えになった、おめでとうございます!(写真は師のFacebookから拝借)
「神仏習合」
ある段階から、山には、神や祖霊だけでなく、仏もいるようになったと述べた。このことについて、説明しておこう。6世紀に初めて仏教が日本に伝えられたとき、当時の人々は、仏を異国の新しい神と考えたらしい。『日本書紀』などでは、「蕃神」と書かれている。
いつの時代でも、新しいモノに対して反対する人が必ずいる。仏教が伝えられたときも、そうだった。日本にはちゃんと昔から神さまがいるのだから、仏とかいう異国の新しい神などいらないと、いちゃもんを付けた。有名な聖徳太子の時代には、仏を祀るかどうかをめぐって、戦争になったことさえあった。
しかし、そうこうするうちに、もともと日本にいた神々と、外国から入ってきた仏たちは、ひじょうに仲良くなってしまった。奈良時代の終わりから平安時代の初め頃には、神々と仏たちはハネムーン状態になって、仲睦まじく暮らすことになった。もちろん、ときには夫婦喧嘩もあったけれど、明治維新までの1100年間は、平穏な暮らしがずっと続いてきた。
神々と仏たちのハネムーン状態が実現したのは、ある考え方のおかげだった。その考え方というのが、「神仏習合」だ。「習合」というのは、「二つのモノがじつは同じモノ」ということを意味する。英語では、シンクレティズム(syncretism)という。直訳すると、「融合」だ。
したがって、「神仏習合」は、神と仏が融合しているという意味になる。日本の歴史や宗教に沿ってもう少し具体的にいうと、日本の神々はインドの仏たちが、日本の実情に合わせて、神々の姿をとってこの世に現れたものだ、という意味になる。多少むずかしくいえば、神も仏も本質は同じで、両者ともに日本列島に住む人々を救済するために働いていることになる。
だから、神々をあがめることと、仏たちをあがめることとは、同じことなのだ。たとえば、伊勢神宮が祀る天照大神は、仏教の大日如来が日本の実情に合わせて現れたものになる。同じように、熊野の本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智大社は観音菩薩。奈良の三輪山の神は地蔵菩薩。京都の祇園の八坂神社に祀られている牛頭天王=素戔嗚尊は薬師如来…。こういうぐあいに、日本中の神々に仏たちが配当された。
この考え方が大成功したのは、どちらか一方がもう一方を強制的に排除してしまわなかったからだ。もし、どちらかが強制的に排除されたりしたら、排除されたほうには恨みばかりが残ってしまう。
かつてキリスト教は自分たちだけが絶対に正しいと主張して、ほとんど暴力的に相手を排除してしまった。その結果、恨みつらみがどんどん積み重なっていって、ヴォルデモート(ハリー・ポッターの最強最大の敵)みたいな、とてつもなく悪い魔法使いが生まれてしまったのだ。
私たち日本人のご先祖たちは、そんなバカなことはしなかった。神々も仏たちも、両方が楽しく暮らせる道を選んだ。それが神仏習合だった。そして、その神仏習合をになってきたのが山伏たちであり、修験道だったのだ。
『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第1章 修験道とはなにか」より
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