この水・木(10/14~15)は、奈良を離れていた。講演を終えた14日の夕方近くになって、知人から携帯に着信があった。「tetsudaさん、予想が的中しそうですねぇ!」。彼の声は弾んでいたが、私は別に面白くもない。意味するところは分かっていた。
14日の午後2時半、私のFacebookにMさんから《奈良そごうのときと同じようになってきましたが、森トラストはイオンモール大和郡山のように位置をずらす考えのようです。「奈良県有地 平城京の遺構?発見 揺れるホテル誘致計画」毎日新聞》という書き込みと、毎日新聞の当該記事(10/14付夕刊)へのリンクを送ってくれていたからだ。
以前、私は当ブログの「森トラスト社長の本心は?」という記事に書いた「こうなってほしくないなぁ」という懸念が、どうやら現実になってきそうだということであり、競馬の予想が的中しそうだというような愉快な話ではない。まずは毎日の記事全文を紹介する。
奈良県 ホテル誘致に影
開発予定地に遺構 平城京・大邸宅跡か
奈良県がホテル誘致などを計画する奈良市中心部の県有地で、県立橿原考古学研究所(橿考研)が埋蔵文化財の試掘調査をした結果、奈良時代の大型建物の一部とみられる遺構が見つかった。毎日新聞が入手した橿考研の報告書で分かった。予定地は平城京の一等地にあり、報告書は「大規模な邸宅跡が確認される可能性が高い」と指摘。県はホテル開発業者と今年度中に正式契約する方針だが、年内の予定で進められる本調査の結果次第では、遺跡保存などを巡って開発構想に影響が出る可能性がある。
奈良県はホテル・旅館客室数が9055室(2013年度、厚生労働省調べ)と全国最少で、ホテル誘致は県政の目玉事業。奈良市三条大路1の県警奈良署、県営プール両跡地の計約3万1000平方メートルに外資系の高級ホテルを誘致し、NHK奈良放送局の移転も計画する。さらに民間資金を活用したPFI方式で、会議場や物販施設、バスターミナル・駐車場などを約200億円かけて一括整備する。ホテル開発主体として不動産開発大手「森トラスト」(東京)など3社を昨年12月に選定。「四つ星」クラスの国際ホテル(7階建て、約150室)を建設し、東京五輪がある20年までの完成を目指す。
報告書によると、橿考研は昨年11~12月、県有地の北側に試掘溝を掘って調査。少なくとも3棟の掘っ立て柱建物跡など奈良時代の遺構が見つかった。うち1棟は南北が5間(柱が6本)以上ある構造で、長さ約8メートル以上。柱穴の底に基礎とみられる平瓦や石があり、報告書は「大型建物の存在が推定できる」とした。予定地付近では、百貨店建設に伴う1980年代の調査の結果、天武天皇の孫で、「長屋王の変」(729年)で自害した悲劇の宰相・長屋王の大邸宅跡が確認された。報告書は「同等の邸宅跡が確認される可能性は高い」としている。
森トラストの森章社長は毎日新聞の取材に「何か見つかったとしても場所をずらして建設すれば問題ない。我々は県から言われた場所でやるだけだ」と述べ、今後の契約には影響を及ぼさないとの見解を示す。ただ、ホテルの位置をずらせば、他施設の計画が変更を迫られる可能性が高い。県企業立地推進課の大西勇課長は「試掘だけでは詳しい内容や規模までは分からず、本調査の結果を見てみないと何とも言えない」としている。【伊澤拓也、矢追健介、塩路佳子】
「難波宮」は共存
長屋王邸宅跡は、大手百貨店「奈良そごう」(閉店)の建設に伴う1986~89年の調査で出土した。考古学者らは百貨店側に保存を要望したが、聞き入れられず、遺構は破壊された。元奈良文化財研究所(奈文研)主任研究官で発掘を担当した寺崎保広・奈良大教授は「開発業者が調査費用を負担していたためだ」と、当時の事情を説明する。
一方、開発と遺跡保存を両立した先例もある。大阪歴史博物館とNHK大阪放送局(大阪市中央区、2001年オープン)では、出土した難波宮跡の遺構を地下に保存し、一部を公開している。保存計画に携わった坪井清足・元奈文研所長は「重要な遺構ならば観光資源として活用できる。奈良も良い方法を考えるべきだ」と指摘した。
以前のブログ記事に、私はこのように書いた。《県営プール跡地は、長屋王邸のすぐ南東、藤原仲麻呂(恵美押勝)邸のすぐ北側の貴族の邸宅が密集していた一角(いわば高級住宅街)》。長屋王も藤原仲麻呂も、高校の日本史教科書に登場する「超重要人物」だ。手元の高校生用の参考書『シグマベスト 日本史でるとこ攻略法』(文英堂刊)にも「長屋王→藤原四兄弟に自殺に追い込まれる(長屋王の変)」「藤原仲麻呂→道鏡に滅ぼされる(恵美押勝の乱)」と出ている。そんなところが更地のままであるはずはなく、間違いなく遺構が存在する。県の担当者や森トラストの社長は、高校生程度の知識がなかったのだろうか。
森社長は以前、読売新聞のインタビューに答えてこのように述べた。《今回のホテルは地下に大きな駐車場やバスターミナルを造る計画がある。仮に遺構が見つかってホテルを誘致できなければ仕方がない。従来路線か、街おこしか。どちらを選ぶのかは、県民が決めることだ》。「従来路線か、街おこしか」とは、つまりは「従来のように保存を優先するのか、経済を優先して遺構を破壊しホテルを建設するのか、それは世論(県民)が勝手に決めれば良い」と突っぱねたのだ。
通常の高級ホテルは、従業員用の食堂やロッカールームや仮眠室などが必要なので、必ず地下を掘る。今回は「大きな駐車場やバスターミナルを造る」ので、さらに深く掘らねばならない。広い進入路も必要だ。あの奈良そごうも、遺構は破壊したが地階は造らなかった。しかも国際級のVIPを迎える場合は、周辺道路を閉鎖しなければならない。用地の北側は阪奈道路、少し西へ行くと国道24号線という大幹線道路が通っている。こんな道路を本当に閉鎖できるのか、大いに疑問である。また、そもそも海外からのVIP客を外資系ホテルに泊めるだろうか。志摩観光ホテルが外資系なら、あそこでサミットを開くという案も出てこなかっただろう。
森社長は今回も「何か見つかったとしても場所をずらして建設すれば問題ない。我々は県から言われた場所でやるだけだ」と強気の姿勢だ。しかしずらすほどのスペースはないし、そもそも「県から言われた場所でやる」とは県に責任を転嫁しているように読める。とにかく問題だらけの外資系高級ホテル誘致、あとは本調査の結果を待つばかりだ。
14日の午後2時半、私のFacebookにMさんから《奈良そごうのときと同じようになってきましたが、森トラストはイオンモール大和郡山のように位置をずらす考えのようです。「奈良県有地 平城京の遺構?発見 揺れるホテル誘致計画」毎日新聞》という書き込みと、毎日新聞の当該記事(10/14付夕刊)へのリンクを送ってくれていたからだ。
以前、私は当ブログの「森トラスト社長の本心は?」という記事に書いた「こうなってほしくないなぁ」という懸念が、どうやら現実になってきそうだということであり、競馬の予想が的中しそうだというような愉快な話ではない。まずは毎日の記事全文を紹介する。
奈良県 ホテル誘致に影
開発予定地に遺構 平城京・大邸宅跡か
奈良県がホテル誘致などを計画する奈良市中心部の県有地で、県立橿原考古学研究所(橿考研)が埋蔵文化財の試掘調査をした結果、奈良時代の大型建物の一部とみられる遺構が見つかった。毎日新聞が入手した橿考研の報告書で分かった。予定地は平城京の一等地にあり、報告書は「大規模な邸宅跡が確認される可能性が高い」と指摘。県はホテル開発業者と今年度中に正式契約する方針だが、年内の予定で進められる本調査の結果次第では、遺跡保存などを巡って開発構想に影響が出る可能性がある。
奈良県はホテル・旅館客室数が9055室(2013年度、厚生労働省調べ)と全国最少で、ホテル誘致は県政の目玉事業。奈良市三条大路1の県警奈良署、県営プール両跡地の計約3万1000平方メートルに外資系の高級ホテルを誘致し、NHK奈良放送局の移転も計画する。さらに民間資金を活用したPFI方式で、会議場や物販施設、バスターミナル・駐車場などを約200億円かけて一括整備する。ホテル開発主体として不動産開発大手「森トラスト」(東京)など3社を昨年12月に選定。「四つ星」クラスの国際ホテル(7階建て、約150室)を建設し、東京五輪がある20年までの完成を目指す。
報告書によると、橿考研は昨年11~12月、県有地の北側に試掘溝を掘って調査。少なくとも3棟の掘っ立て柱建物跡など奈良時代の遺構が見つかった。うち1棟は南北が5間(柱が6本)以上ある構造で、長さ約8メートル以上。柱穴の底に基礎とみられる平瓦や石があり、報告書は「大型建物の存在が推定できる」とした。予定地付近では、百貨店建設に伴う1980年代の調査の結果、天武天皇の孫で、「長屋王の変」(729年)で自害した悲劇の宰相・長屋王の大邸宅跡が確認された。報告書は「同等の邸宅跡が確認される可能性は高い」としている。
森トラストの森章社長は毎日新聞の取材に「何か見つかったとしても場所をずらして建設すれば問題ない。我々は県から言われた場所でやるだけだ」と述べ、今後の契約には影響を及ぼさないとの見解を示す。ただ、ホテルの位置をずらせば、他施設の計画が変更を迫られる可能性が高い。県企業立地推進課の大西勇課長は「試掘だけでは詳しい内容や規模までは分からず、本調査の結果を見てみないと何とも言えない」としている。【伊澤拓也、矢追健介、塩路佳子】
「難波宮」は共存
長屋王邸宅跡は、大手百貨店「奈良そごう」(閉店)の建設に伴う1986~89年の調査で出土した。考古学者らは百貨店側に保存を要望したが、聞き入れられず、遺構は破壊された。元奈良文化財研究所(奈文研)主任研究官で発掘を担当した寺崎保広・奈良大教授は「開発業者が調査費用を負担していたためだ」と、当時の事情を説明する。
一方、開発と遺跡保存を両立した先例もある。大阪歴史博物館とNHK大阪放送局(大阪市中央区、2001年オープン)では、出土した難波宮跡の遺構を地下に保存し、一部を公開している。保存計画に携わった坪井清足・元奈文研所長は「重要な遺構ならば観光資源として活用できる。奈良も良い方法を考えるべきだ」と指摘した。
以前のブログ記事に、私はこのように書いた。《県営プール跡地は、長屋王邸のすぐ南東、藤原仲麻呂(恵美押勝)邸のすぐ北側の貴族の邸宅が密集していた一角(いわば高級住宅街)》。長屋王も藤原仲麻呂も、高校の日本史教科書に登場する「超重要人物」だ。手元の高校生用の参考書『シグマベスト 日本史でるとこ攻略法』(文英堂刊)にも「長屋王→藤原四兄弟に自殺に追い込まれる(長屋王の変)」「藤原仲麻呂→道鏡に滅ぼされる(恵美押勝の乱)」と出ている。そんなところが更地のままであるはずはなく、間違いなく遺構が存在する。県の担当者や森トラストの社長は、高校生程度の知識がなかったのだろうか。
森社長は以前、読売新聞のインタビューに答えてこのように述べた。《今回のホテルは地下に大きな駐車場やバスターミナルを造る計画がある。仮に遺構が見つかってホテルを誘致できなければ仕方がない。従来路線か、街おこしか。どちらを選ぶのかは、県民が決めることだ》。「従来路線か、街おこしか」とは、つまりは「従来のように保存を優先するのか、経済を優先して遺構を破壊しホテルを建設するのか、それは世論(県民)が勝手に決めれば良い」と突っぱねたのだ。
通常の高級ホテルは、従業員用の食堂やロッカールームや仮眠室などが必要なので、必ず地下を掘る。今回は「大きな駐車場やバスターミナルを造る」ので、さらに深く掘らねばならない。広い進入路も必要だ。あの奈良そごうも、遺構は破壊したが地階は造らなかった。しかも国際級のVIPを迎える場合は、周辺道路を閉鎖しなければならない。用地の北側は阪奈道路、少し西へ行くと国道24号線という大幹線道路が通っている。こんな道路を本当に閉鎖できるのか、大いに疑問である。また、そもそも海外からのVIP客を外資系ホテルに泊めるだろうか。志摩観光ホテルが外資系なら、あそこでサミットを開くという案も出てこなかっただろう。
森社長は今回も「何か見つかったとしても場所をずらして建設すれば問題ない。我々は県から言われた場所でやるだけだ」と強気の姿勢だ。しかしずらすほどのスペースはないし、そもそも「県から言われた場所でやる」とは県に責任を転嫁しているように読める。とにかく問題だらけの外資系高級ホテル誘致、あとは本調査の結果を待つばかりだ。
ただ見守るしかない無力さ感じます。
立場それぞれが持つ価値観が全く違うのは明らかですから。
ただ日本では経済優先で歴史やその土地の地形や個性も住んでいる方が分からずでここのところ思ってもない被害が起こっています。将来そこに建つ物が未来へも維持出来るためのヒントにもなるのでは?とも。
ある古墳らしき跡地の神社でお祭りなので派遣されていた神職さん達が東京でも掘ると遺跡がやたらでる区があるんだよね~みたいなこと小耳に挟みましたよ。利害が直接関わるはず。結局判断出来るのは、土地の所有者と工事に関わる方のその後の行動次第でしょう。
奈良には注視の目があること素晴らしく思います。奈良未来にとっていい方向に繋がる事お祈りいたします。5057
最近、「時代を超えた民主主義」ということが言われはじめました。我々の子々孫々は当然、今の(2015年時点の)決定には参画できません。
貴重な遺構を破壊すれば、取り返しがつきません。目先のあめ玉(経済的利益)に気を取られて遺構を破壊すれば、子々孫々から非難されることは必定でしょう。そのような長期的な観点から考えるべきです。
何しろ奈良時代の遺構は、1300年前の先祖が残してくれた貴重な遺産で、今まで残されてきたのですから。