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毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。先月(2025.1.30付)寄稿したのは〈「人生の壁」をかわす知恵〉で、養老孟司著『人生の壁』(新潮新書)を紹介した。編集者からの質問に答える格好で書かれた、いわば「聞き書き」だが、氏の本音がストレートに出ていて、興味深い。
とりわけ、〈体力のあるうちは、煩わしいことにかかわっていたほうが幸せなのです。ここを今の人は理解していません。修行という考えが消えていったことと関係しているのでしょう〉というくだりには、膝を打った。私も会社で、数々の雑用に振り回されてきたが、おかげで、たいていのことはこなせる「スキル」が身についた。以下、全文を紹介する。
「人生の壁」をかわす知恵
養老孟司著『人生の壁』(新潮新書 税別880円)を読んだ。帯には〈生きていくうえで壁にぶつからない人はいない。それをどう乗り越えるか。どう上手にかわすか。(中略)自身の幼年期から今日までを振り返りつつ、誰にとっても厄介な「人生の壁」を越える知恵を正面から語る〉。養老氏の「壁シリーズ」は、累計690万部を突破したそうだ。
話題の「103万円の壁」の壁という言葉も、氏の著書からの連想なのだろう。本書は、子どもの壁、青年の壁、世界の壁・日本の壁、政治の壁、人生の壁の全5章。整然とした論評というわけではなく〈編集者に問われたことに対してブツブツ言ったのをまとめたのが、この本〉(本書「あとがき」)。まるで、落語の「横丁のご隠居さん」の語り口である。以下、私の目に止まったところを紹介する。
▼エッセンシャルワーカー
いつの頃からか、医療・福祉、運送や第1次産業に従事している人たちをエッセンシャル(本質的な)ワーカーと呼ぶようになった。〈本質的な仕事をしている人たちの収入が上がらないのに、東京のオフィスでデスクワークをしている人たちのほうが大金を得て、結果として格差が広がっている。乱暴に言ってしまえば、とても大切な仕事をしている人よりも、よくわからない仕事をしている人のほうが裕福になっている。この不健全さに不満を抱く人たちが革命を起こさないのが不思議〉。
▼「煩わしい日常」は修行
〈私はこの年になっても、人から頼まれて自分ができることはなるべくやるようにしています。それがなければ家で毎日ボーッとしていたでしょう。(中略)会社で若手に仕事が集中して、中高年にはヒマそうなやつがいる。それで「何だ、あのオジサンたちは」という不満が絶えない、という話はよく聞きます〉。
〈気持ちはわかります。下手をすると向こうのほうが高い給料をもらっているのですから、たまったものではないでしょう。しかし、程度の問題はありますが、体力のあるうちは、煩わしいことにかかわっていたほうが幸せなのです。ここを今の人は理解していません。修行という考えが消えていったことと関係しているのでしょう〉。
▼「30年間」は失われたのか
〈数字だけを見てこの30年は「失われた」期間であるというのが、主な論調となっています。でも、この30年間、高度成長期と同じようなスピードで「成長」を続けていたらどうなっていたのでしょうか。東京の地価はどんどん上がり、普通のマンションが3億円でも買えなくなっていたかもしれません。エネルギーをもっと消費する国になっていたのは間違いないでしょう〉。
〈(中略)そういう状況を想像してみれば、本当に「失われた30年」で片づけていいのか、と思う方もいるのではないでしょうか。良い面も十分にあったのではないか、むしろ日本が身の丈に合う大きさになる期間だったのかもしれない、と〉。
▼生きる意味を考えすぎない
〈「生きる意味」のようなことを問われることがあります。「先生、人が生きる理由は何でしょうか」これには、生きているからしょうがないじゃないか、としか言いようがありません〉。
〈(中略)「生きているからしょうがない」という考え方を認めない社会になってきています。しょうがないとは何事だ、真面目に意味を考えろという調子です。しかし何にでも意味を求める、あるいは何についても意味を説明できると思うほうが間違っているのです。人間に限らず、あらゆる生命が存在しているのは、「行きがかり」のようなものです〉。
〈あれこれ考えるよりも一所懸命働いたほうがいい。別にお金を稼げというのではありません。ボランティアでも趣味でも構いません。精一杯、本気で生きる。そして自分にとって居心地の良い状況を見出していく。そういう日々を過ごすことからはじめてみるのがいいのではないでしょうか〉。何とも含蓄に富んだ言葉の数々。養老先生、参考にさせていただきます!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
とりわけ、〈体力のあるうちは、煩わしいことにかかわっていたほうが幸せなのです。ここを今の人は理解していません。修行という考えが消えていったことと関係しているのでしょう〉というくだりには、膝を打った。私も会社で、数々の雑用に振り回されてきたが、おかげで、たいていのことはこなせる「スキル」が身についた。以下、全文を紹介する。
「人生の壁」をかわす知恵
養老孟司著『人生の壁』(新潮新書 税別880円)を読んだ。帯には〈生きていくうえで壁にぶつからない人はいない。それをどう乗り越えるか。どう上手にかわすか。(中略)自身の幼年期から今日までを振り返りつつ、誰にとっても厄介な「人生の壁」を越える知恵を正面から語る〉。養老氏の「壁シリーズ」は、累計690万部を突破したそうだ。
話題の「103万円の壁」の壁という言葉も、氏の著書からの連想なのだろう。本書は、子どもの壁、青年の壁、世界の壁・日本の壁、政治の壁、人生の壁の全5章。整然とした論評というわけではなく〈編集者に問われたことに対してブツブツ言ったのをまとめたのが、この本〉(本書「あとがき」)。まるで、落語の「横丁のご隠居さん」の語り口である。以下、私の目に止まったところを紹介する。
▼エッセンシャルワーカー
いつの頃からか、医療・福祉、運送や第1次産業に従事している人たちをエッセンシャル(本質的な)ワーカーと呼ぶようになった。〈本質的な仕事をしている人たちの収入が上がらないのに、東京のオフィスでデスクワークをしている人たちのほうが大金を得て、結果として格差が広がっている。乱暴に言ってしまえば、とても大切な仕事をしている人よりも、よくわからない仕事をしている人のほうが裕福になっている。この不健全さに不満を抱く人たちが革命を起こさないのが不思議〉。
▼「煩わしい日常」は修行
〈私はこの年になっても、人から頼まれて自分ができることはなるべくやるようにしています。それがなければ家で毎日ボーッとしていたでしょう。(中略)会社で若手に仕事が集中して、中高年にはヒマそうなやつがいる。それで「何だ、あのオジサンたちは」という不満が絶えない、という話はよく聞きます〉。
〈気持ちはわかります。下手をすると向こうのほうが高い給料をもらっているのですから、たまったものではないでしょう。しかし、程度の問題はありますが、体力のあるうちは、煩わしいことにかかわっていたほうが幸せなのです。ここを今の人は理解していません。修行という考えが消えていったことと関係しているのでしょう〉。
▼「30年間」は失われたのか
〈数字だけを見てこの30年は「失われた」期間であるというのが、主な論調となっています。でも、この30年間、高度成長期と同じようなスピードで「成長」を続けていたらどうなっていたのでしょうか。東京の地価はどんどん上がり、普通のマンションが3億円でも買えなくなっていたかもしれません。エネルギーをもっと消費する国になっていたのは間違いないでしょう〉。
〈(中略)そういう状況を想像してみれば、本当に「失われた30年」で片づけていいのか、と思う方もいるのではないでしょうか。良い面も十分にあったのではないか、むしろ日本が身の丈に合う大きさになる期間だったのかもしれない、と〉。
▼生きる意味を考えすぎない
〈「生きる意味」のようなことを問われることがあります。「先生、人が生きる理由は何でしょうか」これには、生きているからしょうがないじゃないか、としか言いようがありません〉。
〈(中略)「生きているからしょうがない」という考え方を認めない社会になってきています。しょうがないとは何事だ、真面目に意味を考えろという調子です。しかし何にでも意味を求める、あるいは何についても意味を説明できると思うほうが間違っているのです。人間に限らず、あらゆる生命が存在しているのは、「行きがかり」のようなものです〉。
〈あれこれ考えるよりも一所懸命働いたほうがいい。別にお金を稼げというのではありません。ボランティアでも趣味でも構いません。精一杯、本気で生きる。そして自分にとって居心地の良い状況を見出していく。そういう日々を過ごすことからはじめてみるのがいいのではないでしょうか〉。何とも含蓄に富んだ言葉の数々。養老先生、参考にさせていただきます!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
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