tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

Topic 萬葉ウォーク、締切迫る!

2009年11月24日 | お知らせ
以前このブログでお知らせしました「<ナント>萬葉チャリティーウォーク」の申し込み締切日は、11/25(水)です。

今回のウォーキングは、11/28(土)の実施で、秋篠寺、平城宮跡、磐之媛命陵などを回ります。参加無料で、弁当・水筒持参(雨天決行、荒天中止)。お申し込みは、南都銀行本支店の店頭です。ご希望の方は、お急ぎを!

奈良盆地は、はや冬の冷え込みです。服装には十分ご注意下さい。

※参考:紅葉の佐保・佐紀路を歩こう!(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0e46973fc645c058ec539a9f65bcb25b

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近畿文化会「二上山を登る」

2009年11月23日 | 奈良検定
11/3(火・祝)、近畿日本鉄道が運営する近畿文化会の臨地講座(現地見学会)「二上山を登る」に参加してきた。この講座への参加は、私にとっては3度目である。今回の講師は、阪南大学教授の来村多加史氏、参加費はバス代込みでわずか2100円だった。

このイベントには過去に2回参加しているが、とても内容が充実し、楽しみながら勉強ができる良い機会だった。奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)の試験日も近いので、その対策を兼ねて参加したのだ。当日、主催者の武部宏明氏(近畿日本鉄道秘書広報部 部長)から、「今回もブログで紹介してね~」という依頼を受けたので、記憶が薄れないうちに紹介させていただく。
※近畿文化会「古代葛城の仏像」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/c6e8410d55dc28fe64c5673def9443fb
※近畿文化会「東大寺と手向山八幡宮」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/5a94b2036018dcf2b100acc50b478e21


二上山雄岳(鹿谷寺跡付近から)

今回は徒歩7km。二上山(雄岳=517m、雌岳=474m)を登るということなので「要健脚」と但し書きがあった。萬葉ウォークではいつも10km近く歩いているし、500mの山なら、大したことはないだろう。定員60人(電話申し込み制)ということだが、私が申し込んだ時点で、すでに60番台の予約番号だった。当日は80人ほどの方が参加されていた。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0006321.html


「万葉の森」入口

集合は、近鉄南大阪線・上ノ太子駅。ここは、もう大阪府(羽曳野市飛鳥)なのだ。周辺にはブドウ畑と新興住宅地が広がる。まずは駅から路線バスで「太子町立竹内街道歴史資料館」へ。ここで基礎知識をつけたあと、再びバスで二上山麓の「万葉の森」入口へ。ここで一旦荷物を下ろし(スタッフに預けて)、急な坂を登って鹿谷寺(ろくたんじ・ろくたにじ)跡をめざす。ここには線刻三尊仏坐像(石窟内)と十三重層塔がある(=トップ写真とも)。

太子町のHPによると《奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られますが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていません。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から和同開珎が出土しています》。
http://www.town.taishi.osaka.jp/sightseeing/rekishi/rekishi12.html


鹿谷寺跡の十三重層塔(トップ写真とも)

この十三重層塔がすごい。大きな岩を彫り抜き、この部分だけを塔状に彫り残したのだ。これを「はえ抜き」といい、現代のはえ抜きという言葉(はじめから続けてその会社・部署に勤務していることなど)のモトになったのだ。立て看板には《かつての凝灰岩石切場の跡を寺院に利用したものといわれています》(石切場跡)とあった。ここを見学したあと、「万葉の森」入口まで戻る。

万葉の森や鹿谷寺の南東に竹内峠があり、竹ノ内街道が東西に走る。「竹内街道歴史資料館」には立体模型があったので、この辺りの起伏がよく分かる。竹内峠は《太古から交通の要所であり、聖徳太子もこの峠を越えて四天王寺と飛鳥を往復したとされる。また、遣隋使などの使節もこの峠を越えて飛鳥京を訪れた。現在は峠のすぐ北を深く掘り下げられ、国道166号が通っている》(Wikipedia「竹内峠」)。



《竹内街道は日本書紀の推古天皇二十一年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた、日本最古の「官道」。 現在の竹内街道は、大部分は推古天皇時代の官道と重なっている。東側は奈良盆地南部を東西に横切る官道横大路につながっている。(中略) 官道として整備されたのは上記の通り7世紀初め頃であるが、二上山の西麓(現在の大阪府太子町)には4世紀から5世紀にかけての陵墓・古墳などの遺跡が数多く残っているため、すでにかなりの人々の往来があったと思われる。飛鳥時代には、遣隋使の使節や留学僧が往来し、大陸から中国や朝鮮の文化をもたらし、飛鳥文化のいしづえとなった。中世には伊勢街道の一部として存続し、現在では国道166号が通っている。したがって竹内街道は飛鳥時代より現在に至るまで街道として利用されていることになる》(同)。


凝灰岩の石切場への道標

二上山の南が竹内峠なら、北は穴虫峠(あなむしとうげ)である。ついでにおさらいしておこう。《穴虫峠は大阪府南河内郡太子町と奈良県香芝市の府県境にある峠である。大阪側の入りに南阪奈道路や、それに付随する道路整備がされている以外は、山の斜面を利用したブドウ栽培のハウスなどがある、自然豊かな景色である。近隣に屯鶴峯がある。同じく奈良と大阪を結ぶ竹内峠より勾配が緩やかなため、バイクや自転車で越境するものも多い》(Wikipedia「穴虫峠」)。

《近隣にある竹内峠と並び、奈良と南大阪を結ぶ交通の要衝である。現在は奈良県道・大阪府道703号香芝太子線と近鉄南大阪線が通る。府県境の丁度下をトンネルを潜る形で近鉄線が通り、その上をクロスする形で道路が通っている》(同)。竹内峠越の道も、穴虫峠越の道も、どちらも横大路(二上山~三輪山の南。伊勢本街道)につながっている。


葛木坐二上神社

さて、いよいよ二上山を登る。ここからは太子町を離れて葛城市に入る。雄岳には葛木坐二上神社と大津皇子二上山墓がある。この墓は、江戸耳時代に大津皇子の墓と定められ、宮内庁が「天武天皇皇子大津皇子 二上山墓」の看板を立てて管理している。しかしこの辺りは、1541年(天文10年)に木沢長政が築いた山城の二の丸があった場所であるため、もし墓があったら破壊されていたことになる。




大津皇子二上山墓

馬の背(雌岳と雄岳のつなぎの部分)に売店やベンチ、トイレがある。ここで、持参したお弁当をいただく。前日までの陽気とは打って変わって、冷たい風が吹き上げてくる。売店で熱い缶コーヒーを飲んで、ホッと一息。ここから雌岳頂上まではすぐだ。






「大坂をわが越え来れば二上(ふたかみ)に 黄葉(もみちば)流る時雨ふりつつ」(万葉集 作者未詳)

雌岳山頂は太子町である。樹木が生い茂った雄岳山頂と違い、雌岳山頂からは素晴らしい眺望が開ける。サザンカも咲き始めていて、この日、最もリラックスできた時間であった。







何人かの参加者の方から、「『日々ほぼ好日』のtetsudaさんですね」とお声かけいただいた。奈良好きが集まっているので、当ブログ読者の方もたくさん参加されているのだ。女性読者が多かったのは、意外だった。多くの方に読んでいただくのだから、もっとマジメに取り組まなければ。





ここから急坂をひたすら下っていく。山道からは、生駒金剛山地の山並みが楽しめる。中腹に岩屋遺跡(奈良時代前半の石窟寺院跡)があった。中世には修験者の道場になっていたそうである。


岩屋遺跡





ちょうどここで、富田林から来られた山伏講の方とお会いした。岩屋遺跡の前で、般若心経を唱えておられたのだ。有り難いことに、休憩中に「ちょっと練習します、新入りがいますので」と、ホラ貝を吹いて下さった。高らかな音が周囲の山々にこだまして、やや疲れ気味の背筋がピンと伸びた。



山道を下り葛城市に入ると、ため池の近くに鳥谷口古墳があった。奈良検定の公式テキストには《被葬者については、非業の死をとげ、二上山に葬られたという大津皇子の墓とする説がある》と出ている。古墳の場所も、二上山を背景に、藤原京を望む絶好の位置に古墳が築かれている。


発掘当時の鳥谷口古墳・埋葬施設(Don PanchoさんのHP「橿原日記」から拝借)






鳥谷口古墳は方墳である


真ん中が鳥谷口古墳、後方が二上山


回れ右をすると藤原京方面

當麻山口神社(大和山口14社の1つ)、傘堂(郡山城主本多政勝の菩提を弔うために郡奉行の吉弘統家[のりいえ]が建てた堂)、塚穴古墳(當麻氏の古墳群といわれる首子七塚の1つ)、只塚廃寺(寺院の基壇が出土)、石光寺を経て当麻寺駅で解散した。駅前では、ちゃんと中将餅も買うことができた。


當麻山口神社で、再び山伏講の方とお会いした


傘堂で来村先生のお話を聞く




塚穴古墳(跡)は荒地にしか見えない


只塚廃寺(の名残)

来村多加史氏のお話は、いつも奈良検定の「認定支援セミナー」でお聞きしているが、メリハリがあって明快なので、とても有り難い。今回も、たくさんの史跡を訪ねたが、1つ1つ丁寧に説明して下さり、感謝感激である。質問にも丁寧にお答えになっていた。

またスタッフの誘導や歩くペースも適切で、途中で荷物を預かって下さったり、小休止を入れたり、ビューポイントを教えていただいたりと、至れり尽くせりであった。よほど丁寧に下見されたのだろう。

冬に向かうこれからの時期、臨地講座からは少し足が遠のくが、春になれば、また次の講座に参加することにしたい。

皆さん、低予算で楽しく学べる「近畿文化会」は、おススメですよ。
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柳本は、魅力がいっぱい!

2009年11月22日 | 奈良にこだわる
会社のOBで、天理市柳本町出身・在住のFさんから「柳本が町おこしに頑張っているよ」というお電話をいただいた。早速、同僚(町内に勤務するMさん)にお願いして、関連資料を送っていただいた。「柳本もてなしのまちづくり会」が、いろんな方面で観光まちづくりに取り組んでおられるのだ。

この会の名前には、覚えがあった。去年の秋(08年10月)、平城遷都1300年記念事業協会が主催する1300年祭の「県民活動支援事業」にエントリーされていたからだ。審査にパスすると助成(総経費の半分以下かつ50万円以内)が受けられるという事業だ。私は審査員を仰せつかっていたので、同会のプレゼンテーションの模様も拝見した。審査の結果、同会は見事助成金を獲得された。
※遷都1300年祭の民間イベント(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/6e75607e131ce55ddaeab6a5b606f76a

同会がエントリーされた事業は「日本のふるさと(大和朝廷発祥の地)柳本地域の魅力さがし」で、《柳本町住人が総力をあげて、地元の魅力探しを行い、「柳本百選」編纂、見所パンフレットを作成。大和朝廷時代のパネル展示、歴史探訪クイズラリー、歴史フォーラムを開催》というものだ。


柳本町内で(05.12.4 撮影)

メイン事業である「柳本百選」(写真冊子)の編纂は、町内有志の勉強会「柳本学研究会」の活動がモトになっている。百選の選定のため、今年の10/10~11/10まで、柳本地域の魅力(歴史遺産、文化遺産、自然、景観、風習など)を公募された。その結果を柳本もてなしのまちづくり会に所属する「畑の住人」さんが、ご自分のブログ「山辺の里の生活」に紹介されている。とても詳しくて紹介文も面白いので、ほぼ全文を引用させていただく。
※柳本地域の魅力ランキングの発表(山辺の里の生活)
http://blogs.yahoo.co.jp/bcrpc523/9599943.html

《1ヶ月にわたり「柳本地域の魅力探し」の募集をして来ました。応募枚数277枚、魅力推薦件数434件の中から、推薦が多かったベスト10を発表します》。

1位(推薦70件)長岳寺
2位(51件)   黒塚古墳と黒塚古墳展示館
3位(49件)   山の辺の道
4位(31件)   崇神天皇陵
5位(25件)   竜王山
6位(15件)   二上山の夕日
6位(15件)   無人販売所(山の辺の道)
8位(12件)   灯りのイベント柳灯会(りゅうとうえ)
9位(11件)   天理市トレイルセンター(トレイル青垣)
10位(9件)   伊射奈岐(いざなぎ)神社
次点 (8件)   のぞき(畑の住人さんの休憩所)からの展望

《長岳寺が一番多く推薦を集めました。さすが全国区のお寺です。推薦の中身は「長岳寺の楼門が美しい」とか「日本最初の玉眼の阿弥陀三尊が良い」「つつじが綺麗」「大地獄絵を見てきた」と具体的でしたが、長岳寺関係の推薦をまとめました》。
※参考:長岳寺のそうめん(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b77778d947aa482085ab7501ca589bd3


長岳寺の紅葉(同)

《2位の黒塚古墳は、「古墳の上から見える大和三山の景色が最高!」とか隣接している「展示館の石室展示や三角縁神獣鏡がリアルで良い」「ガイドさんの説明が嬉しかった」なとたくさん推薦を頂きました。3位山の辺の道の中で推薦理由が多いのは「歩いていると癒される」「日本の原風景が残されている。このまま残して欲しい」「山の辺の道が大好きです」「山の辺の道は人情を感じます」たくさんの嬉しい推薦がありました》。

《4位崇神天皇陵は「御陵の周辺の景色」や濠に来る「渡り鳥」などに魅力が集っていました。5位竜王山は「山頂からの大和平野の眺望」「竜王山古墳群」が多かったです》《6位二上山の夕日。山の辺の道から見える景色を推薦される人が多かったですが、二上山の夕日は特に多く「二上山に落ちる夕日が素晴らしい」と絶賛でした。7位無人販売所。100円で新鮮な野菜や果物が買えるので人気です。人を信じる販売方法が良いと推薦理由にありました。嬉しいですね。山の辺の道は無人販売所も入れると1位かもしれません》。

《8位灯りのイベント「柳灯会」。柳本地域の新しい魅力が地域に定着したようです。我が会にとっては大変嬉しい結果でした。9位、トレイルセンターは山の辺の道を歩かれる人のオアシスになっています。推薦理由には皆さんの感謝の言葉で一杯でした。10位、伊射奈岐神社は地元の人の推薦が多かったです》。




《最後に11位「のぞきからの展望」 そうですわが畑から見る景色です。中にはブログを見ておられる人が「畑の住人さんの休憩所から見る大和平野は最高!」との推薦もありました。決して「ヤラセ」ではございません(笑) 8件の推薦がありました。ありがとうございます》。

《もっと細かく「柳本地域の魅力」を推薦理由と一緒に紹介できると良かったのですが…今回は、おおくくりのランキングでご勘弁を・・今後、柳本地域の魅力を少しずつ紹介をして行きます。また、この推薦をまとめて「柳本百選」の冊子編集にかかりたいと思います。完成しましたら紹介いたします。ご訪問ありがとうございました》。

これは完成が楽しみである。ちゃんと「のぞきからの展望」が11位に入っているところも、ご愛敬である。

柳本もてなしのまちづくり会のご尽力により、天理市柳本地区は県(くらし創造部協働推進課)の「もてなしのまちづくりモデル地区」にも選ばれている。
http://www.pref.nara.jp/kenmin/motenasi/model2.html

活動内容は《黒塚古墳の整備、山の辺の灯り「柳灯会」、柳本の魅力再発見写真展、里山保全の竹炭作り、柳本の歴史調査「柳本学研究会」などに取り組んでいます》。これに関するイベントとして「柳灯会」が紹介されている。《毎年9月中秋の名月の頃、もてなしの会最大のイベント「柳灯会」が開催されます。黒塚古墳の池に映える2,800個のローソクの灯りが幻想的な空間を創ります》。

柳本もてなしのまちづくり会は、財団法人健(すこ)やか奈良支援財団から資金助成を受けられたほか、様々なメディアで紹介されている。
※健やか奈良支援財団「すこやか・なら」(09年夏号)
http://www.nenrin.or.jp/nara/sawayaka/sukoyaka2009natu/01.html
※南都経済センター「センター月報」(「観光まちづくりレポート」08年12月分を参照のこと)
http://www.nantoeri.or.jp/geppou/backno.html

柳本の観光は、オールシーズン可能である。ドラマ「鹿男あをによし」のヤマ場に登場した黒塚古墳展示館や、天理市トレイルセンターなどの観光施設も充実しているし、長岳寺(庫裏)では、今の季節は温かい「にゅうめん」がいただける。おごそかな伊射奈岐神社の雰囲気も良い。
http://www.city.tenri.nara.jp/kanko/sisetu/newpage2.html

どんな写真冊子(柳本百選)が出来上がるのか、大いに期待している。出来上がった冊子やパンフレットを携えて、ディープな柳本をじっくり探索したいものである。
コメント (3)
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行ってきました!お堂でみる阿修羅

2009年11月21日 | 奈良にこだわる


やっと昨日(11/20)、「興福寺国宝特別公開2009 ―お堂でみる阿修羅―」(10/17~11/23)に行ってきた。《通常は国宝館に展示される阿修羅像をはじめとする八部衆・十大弟子像の現存する天平乾漆像14躰すべてを仮金堂に安置。古の時代に思いをはせながら、天平の仏像と対峙できるまたとない機会となります。堂内では、江戸時代に造られた本尊釈迦如来坐像、鎌倉時代の薬王・薬上菩薩立像と四天王立像も安置され、各時代を代表する珠玉の仏像の美を堪能いただけます》(興福寺公式HP)というものだ。
http://www.kohfukuji.com/

この展示は大変な人気で、とりわけ正倉院展(10/24~11/12)が始まってからは、3時間待ちがザラとなった(私が見つけた最高記録は3時間半待ち)。東京国立博物館(3/32~6/7)で94万人、九州国立博物館(7/14~9/27)で71万人集めた阿修羅像の凱旋イベントという格好になったのだ。

正倉院展が終わってからも3時間待ちが続いていた。遠方から京都に来る団体ツアー客が「ついでに阿修羅も」と奈良に立ち寄るケースが多く、お気の毒なことに、長時間並ばされたせいで、京都の宿に戻っての夕食が午後8時とか9時になるケースもあったそうだ。また、奈良県南部からの来場者も多いようだ。

私は地元民なので、行列を眺めながらタイミングを計っていたが、金・土・日・祝の閉館時間延長(1時間延長して午後6時まで。券売所は5時半まで)を利用して、昨日(金曜日)の退社後に滑り込んだ。さすがに夕方は人が少なく、仮金堂も北円堂も、待ち時間はゼロだった(お堂の中は結構な人だかりだったが)。この手は正倉院展でも使い、待ち時間はゼロだった。



「お堂でみる阿修羅」は、11/15に20万人を突破したそうだが、これほどまでに人気を集めたからには、1/10に実施される「奈良まほろばソムリエ検定」(奈良検定)に出題される可能性は大だろう。なので以下に、阿修羅(八部衆像)のおさらいをしておきたい。

《阿修羅はあまたの仏像のなかで最も有名な像の一体である。眉を寄せ憂いをうかべる少年のような表情は、像を実際にみたことのない人も知っているはずである。いま阿修羅は八部衆像のなかで造形的に最も高い評価を受けているが、それは一具のなかで最も端正な顔であり、謎めいた憂いの表情がわれわれの関心を引き付けるためであろうか。また、他の八部衆像が着甲であるのに対し、条帛(じょうはく)と裙(くん)を着けて少年のような細身で華奢な身体をみせることや、他の像が姿勢に大きな動きがないため周囲の空間に広がりがないのに対し、阿修羅だけは六本の腕を広げて大きな空間を造っていることも、他の像にないすぐれた特徴である》(「国宝 阿修羅展」図録=ブログ「まほろば(奈良大和路)」より。トップ映像とも)。
※ヨシノさんアスカさん姉妹のブログ「まほろば(奈良大和路)」
http://narayamatoji.blog105.fc2.com/blog-entry-56.html#more

《(藤原)不比等と(橘)三千代との娘・光明皇后は、夫の聖武天皇が東金堂を建立したのに対し亡き母・三千代の一周忌供養のために「西金堂(再建後江戸時代に焼失)」を建立いたしました。この西金堂内には華やかに彩られた二十八躯の尊像が配置されておりましたが奇跡的に現代に伝えられているのは国宝指定の「八部衆像」「十大弟子像」のみであります。これらの像は脇侍でもなく脇役であります。その端役の「阿修羅像」があれだけ優れた作品であることから判断できることは、西金堂の今はなき主役だった本尊の「釈迦如来像」は超国宝級の仏さまでそれはそれは立派だったことでしょう》(中西忠氏のホームページ「古都奈良の名刹寺院の紹介、仏教文化財の解説など」)。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/koufukuji.htm

なお《鎌倉時代に再興された本尊「釈迦如来坐像」は、いま(興福寺)国宝館に展示されている木造仏頭と付属の光背化仏(けぶつ)の一部と仏手が残っていますが、最近、これを運慶の初期の作であるとの史料が確認されました》(紺野敏文著『奈良の仏像』アスキー新書)。

《西金堂に安置された八部衆像と十代弟子像の素材は、金と同価格の漆で制作された「脱活乾漆造」であります。脱活乾漆造は制作日数を長期間要するのと制作金額が高価となるため、活気に満ちた天平時代に限られております。これらの脱活乾漆像は興福寺や東大寺に多くありますことから両寺の天平時代の栄華が偲ばれます。脱活乾漆像は漆が固まるまで際限なく手直しが出来ますので写実彫刻にはぴったり
であります》(中西氏HP)。

八部衆とは何か。《インドで古くから信じられてきた異教の八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて、八部衆とします。仏教の教えに基づいた神ではないので、その生い立ちや性格、また姿やかたちは様々に説かれ、複雑で不明な部分が多くあります。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のまま表現されることが多いのです》(興福寺HP)。
 
《正倉院文書の中に西金堂造営記録『造仏所作物帳(ぞうぶっしょさくもつちょう)』が伝えられており、そこに八部衆像や十大弟子像を造ったのは、仏師将軍万福(まんぷく)と画師秦牛養(うしかい)であったと記されています。洲浜座(すはまざ)の上に直立し、守護神としての性格上、阿修羅像を除いて武装します。いずれも個性的な表情を取ります。8体とも造形はよく似ており、十大弟子像とともに同一工房で造られ、本来一具として安置されていたことが知られます。なお両群像ともに鎌倉時代に補彩されたことが記録にみえます》(同)。

《八部衆の名は『法華経』に「天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩ご羅伽(まごらか)」があげられますが、興福寺の場合は「五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、 迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)」です》(同)。



阿修羅は《梵語(ぼんご)(古代インド語)のアスラ(Asura)の音写で「生命(asu)を与える(ra)者」とされ、また「非(a)天(sura)」にも解釈され、まったく性格の異なる神になります。ペルシャなどでは大地にめぐみを与える太陽神として信仰されてきましたが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神として、常にインドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神になります。仏教に取り入れられてからは、釈迦を守護する神と説かれるようになります。像は三面六臂(さんめんろっぴ)、上半身裸で条帛(じょうはく)と天衣(てんね)をかけ、胸飾りと臂釧(ひせん)や腕釧(わんせん)をつけ、裳(も)をまとい、板金剛(いたこんごう)をはいています》(同)。

《手と足といい何故こんなに細く表現したのか永遠の謎でしょう。筋肉隆々の体質がこのように変わってしまってこれではガードマンとしても不適格ですね。悲しみに耐えるような悲愁を帯びた顔貌でこれほど神秘性に富んだ像はないでしょう。もし、慶派が作れば憤怒相の阿修羅像になったことでしょう。本像は眉を少し寄せて何か苦悩しているようで闘いに明け暮れした鬼神のイメージとは程遠くどうしてこんなに優しく造られたのでしょう。荒ぶる悪神から善神に変身する決意の瞬間を表現したものでしょう。その証がそっと手を合わせた温もりのある合掌でしょう》(中西氏HP)。

《頭髪は今流行の茶髪ともいうべき、珍しい金髪で毛筋を丁寧に彫刻しその一本一本に金箔を貼ってあります。近寄って確かめてください。当初は鮮やかな赤色の肌、顔でありましたが阿修羅には赤い肌は似合わないように思えます。阿修羅像の第三手は何かを支えるポーズですが左右の手で「雲崗石窟像」のように日輪(太陽)、月輪(月)を捧げ持っていたのではないでしょうか》(同)。

《「脱活乾漆造」で像の内部は空洞のため、身長の割りに大変軽いこともありますが何度も火災に遭いながらも無事に運び出されたのはそれだけ尊崇されていたからでしょう。阿が省略されて修羅とも言われますが像名だけは言葉の響きを大切にする我が国では使われません。一方、阿が省略されたのが「修羅場」「修羅の巷」であります。修羅場とは阿修羅と最高神の「帝釈天」との血で彩られて壮烈な決闘場面を表しますが常に戦いをする暴れん坊の阿修羅を象徴しております》(同)。

阿修羅像のおさらいは、以上である。
今回の「お堂でみる阿修羅」展のネーミングは、「仏さまなのにお堂で『見る』は失礼だ。『お堂で拝む』ではないか」「『お堂で会う』ではどうか」と、物議を醸した。「奈良に帰ってきて、阿修羅像がお堂の中で手を合わせ、他のみんな(八部衆・十大弟子像)に『ボクだけ話題になってゴメンね』と謝っている」というジョークもあった。
http://www.kohfukuji.com/fanclub/index.html

東京と太宰府市(福岡県)で開かれた「国宝 阿修羅展」は、日経トレンディの「2009年ヒット商品ベスト30」の第5位に選ばれた。今回、いわば逆輸入の形で「お堂でみる阿修羅」がこんなに人気を集めたことは、大変喜ばしいことであるが、私としてはやや後味が悪い。「ヨソの人に評価されるまで、良さが分からなかったのか」と言いたいのだ。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20091030/1029925/

阿修羅像は、以前から興福寺国宝館に展示されていて、500円払えば、いつでも待ち時間なしで拝観することができた。「奈良は文化財の宝庫なのに、『倉庫』に成り下がっている」とは私の持論だが、今回の「阿修羅ブーム」は、皮肉なことに、そんな奈良の「情報発信不足・PR下手」を私たち地元民に再認識させる好機となった。
※参考:阿修羅と仏像ブーム
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/508

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家庭料理 しま

2009年11月19日 | グルメガイド
以前「けいはんな市民雑学大学」(7/25)で、「奈良にうまいものあり!」という演題の話をさせていただいた。奈良の食材やグルメスポットをたくさん紹介したが、そのあと、関係者のUさん(生駒市在住)が《ご講義のお返しに(笑)、一軒のみ[出し惜しみ(笑)]教えて差し上げます》と、とっておきのお店を紹介して下さった。
※盛会裡に終了!「第15回 けいはんな市民雑学大学」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/6c95f6153140353e7b394a648d963565



《学園前には家庭割烹と吟醸酒のお店「しま」がございます》《女性が惚れる素敵な女将のお店です 要予約》だそうだ。Uさんは、かつて当ブログで紹介した「しゃぶしゃぶ鹿の子」を推奨された食通である。そんなUさんご推薦のお店は、特A級のグルメスポットに違いない。で、例によって会社のN先輩を誘って、訪ねてみた。
※「しゃぶしゃぶ鹿の子」は生駒牛(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b298bdc67c70c7e758a7a61cc1e42565





「家庭料理 しま」(奈良市学園北1丁目6-14)は、近鉄学園前駅から徒歩3分。北口で降り、西側にあるケンタッキーフライドチキン北の角を西に折れる。その2筋目の道(反対側はコインパーキング)の角から北へ2軒目。閑静な住宅地の1角にある。外見も、普通のお宅にしか見えない。以前は、近鉄富雄駅前でお店をされていたそうだ。4年間ほどのブランクを経て、今夏こちらへ移られた。お客は、Uさんのような常連さんばかりのようだ。





お訪ねしたのは10/1(木)のことだった。「こんばんは」とドアを開けて中に入ると、カウンター、左奥にテーブル席がある。カウンターの上には京都のおばんざい店のように、大皿に盛った総菜が載っている。



最初にいただいたのが、秋田直送の「いぶりがっこ」400円(上の写真)。燻(いぶ)った漬物という意味で、東北の保存食だそうだ。大根や人参を囲炉裏の天井につるし、燻煙乾燥してから糠漬け(=がっこ)にする。燻製の香りと、しっかりした歯ごたえが日本酒に合う。



こちらは「比内地鶏の塩焼き」1500円。比内地鶏は薩摩地鶏や名古屋コーチンと並ぶ「日本三大地鶏」だ。加熱してもあまり固くならず、肉も脂も旨みが濃い。いちど、ここで大和肉鶏の塩焼きをいただきたいものだ。


揚げたてあつあつ「小海老の唐揚げ」700円


2人前のお酒が入ったデカンター

このお店の「売り」は日本酒である。女将の松原時子さんは「きき酒(さけ)師」の資格を持っておられる。いわば日本酒のソムリエだ。だから、お店にはたくさんの日本酒がストックされ、お客の好みに応じたお酒がサッと出てくる。銘柄や味を指定するのではなく「普段は奈良の○○か、吉野の○○を好んで飲んでいます」というと、そのイメージに近くて美味しいお酒を選んでいただける、というシステムだ。



この日は写真の「ばくれん」(亀の井酒造 山形県鶴岡市)、「くどき上手」(同)、「色好い返事」(東北泉 高橋酒造 山形市)と、偶然にも山形のお酒ばかりをいただいた。私の好みの淡麗な「すっきり系」のお酒であった。お値段は、グラス1杯(1合弱)が600円~1000円というところだ。



こちらは、珍しい生南京豆(落花生)の塩茹でだ。通常は干してバターで風味をつける(バター・ピーナツ)が、これは殻つきの南京豆を、枝豆のように塩茹でしただけである。タイミングよく、良い生南京豆が手に入ったそうだが、確かに珍味である。


ピクルス盛り合わせ500円(11/19撮影・追加。トップ写真のせこガニ900円も)


燗酒は「梅の宿」だが、この日は「白水の井戸 山廃仕込純米酒」(鹿野酒造・加賀市)を選んでいただいた(11/19)



おしまいは鯖寿司。頃合いの鯖寿司を出していただいた。私はこの手の寿司が大好きで、よくゐざさ寿司中谷本舗の「さば棒寿司」1050円をお持ち帰りするが、こちらもフレッシュで脂の載った美味しい鯖寿司であった。

いつになく上品に飲んで食べ、お店を出た。N先輩と私は、どちらからともなく「ラーメンで締めようか」という話になり、近くの「王楽園(わんらくえん)」(「パラディⅡ」4階 午後10時まで営業)でチャンポンを平らげてから、帰途についた。「しま」は駅前にあるので、こういう場合にも便利である。
※中国西安料理 王楽園(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/e26ee5cf8b3283d1daa880fc6558acd6



「しま」は住宅地の中にあって、普通のお家と見分けがつきにくいので迷わないようにご注意いただきたい。美容室(FLOVE seed学園前店)と、アートサロン空(くう)の間の道を北に入る(アートサロン空の隣り=並び)。初めての方は、予約されることをお薦めする。予算的には@4~5千円が目安となる。
※FLOVE seed
http://www.flove-net.com/shop/index.html#gakuenmae
※アートサロン空
http://web1.kcn.jp/artsalon-ku/access.html


奈良のタウン情報誌「マイタウン奈良」(10/17号)に登場されたそうだが、一般にはあまり知られていない「隠れ名店」である。学園前駅北口からわずか3分でたどりつける日本酒と小料理の店、ぜひいちどお訪ねいただきたい。
■家庭料理 しま 奈良市学園北1丁目6-14 TEL 0742-45-1317
定休日:日・月 営業時間:18:00~22:00

※Googleマップ
http://maps.google.co.jp/maps?client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&source=hp&q=%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%80%80%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%8C%97%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%96%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%94&lr=&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%8C%97%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%96%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%94&gl=jp&ei=X1cES7X_IpqU6wOV_Jx_&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=1&ved=0CAwQ8gEwAA
コメント (2)
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