tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

年齢による違いが消えた!「消齢化(しょうれいか)」社会の到来/奈良新聞「明風清音」第99回

2024年02月24日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。早くも、次回で100本目となる。先週(2024.2.15)掲載されたのは〈「消齢化」社会の到来〉、博報堂生活総合研究所の『消齢化社会』(集英社インターナショナル刊)を紹介した。
※トップ写真は、フリー素材サイト「ぱくたそ」から拝借した

年齢による違いがなくなり、いわば「年齢別マーケティング」の通用しない時代になった、という話で、私は大いに興味をそそられた。以下に全文を紹介する。

「消齢化」社会の到来
興味深い本を読んだ。博報堂生活総合研究所著『消齢化(しょうれいか)社会~年齢による違いが消えていく!生き方、社会、ビジネスの未来予測~』(集英社インターナショナル刊)だ。

同研究所は〈博報堂が「生活者発想」を具現化するために、1981年に設立されました。人間を、単なる消費者としてではなく「生活する主体」という意味で捉え、その意識と行動を研究しています〉(同研究所の公式サイト)。

本書によると、生活者の意識や好み、価値観などについて、年齢による違いが小さくなっているのだそうだ。例えば「ハンバーグが好き」「木の床が好き」「超能力を信じる」などの設問の回答に、年代(20~60歳代)による差は小さく、しかも年々、その差が縮まっているという。

本書カバーの帯に「下の5人の年齢、分かりますか?」として5人の男性の服装の写真(顔なし)が紹介されていたが、私には全く区別がつかなかった。

私にも、こんな経験がある。私は満70歳で、長男は40歳。ある時、墓参りで久々に顔を合わせたところ、どちらもユニクロのスウェットパーカーにデニムのジーンズ姿だった。

消齢化は「家庭生活よりも仕事を第一に考える方だ」「夫婦はどんなことがあっても離婚しない方がよいと思う」というような人生観・価値観にも及んでいるという。

私の父は大正生まれだった。先の大戦では、訓練中に戦争が終わったので戦場には行っていないが、頭の構造は戦前のものだった。だから価値観も嗜好も、私とは全く違っていた。

私の4~6歳上の人たちは、団塊の世代だ。学生運動にのめり込んだ人も多いし、会社でも、なりふり構わずよく働いていた。だから体を壊した人も多い。これらの人たちとも、価値観の違いを感じていた。

しかし今の20~60歳代は、戦争も学生運動も経験していない。逆に「失われた30年」をともに経験していて、考え方に断絶がない。だからデモグラ(デモグラフィック=人口動態変数)が有効に働かない。言い換えると「年齢別マーケティングは通用しない」。そういえば、今の若者は昭和歌謡を好むと聞く。

では未来に向けて、どのように消齢化に向き合うか。本書の最終章に「発想転換のための8つのヒント」が示されている。私の言葉でその8つを説明すると、次のようになる。

1.少子化・高齢化を悲観的に見るのではなく「近い価値観を持つ大人たちがたくさんいる社会」と前向きにとらえる。
2.生活者の「年齢」という概念をなくし、いわば「年齢ニュートラル」な発想をする。
3.「高齢」の文字を「消齢」に置き換える。高齢化マーケティングではなく消齢化マーケティングと考え、発想に縛りをかけない。
4.「デモグラ」を疑い、年代を広く捉えて「同じ」を探す。

5.年齢の先入観にとらわれない。若者と高齢者を区別するのではなく、どちらも「消齢者」ととらえる。
6. 消齢化は「同質化」ではない。年齢以外の要素で意識や好みが多様化していることもあるので、それを見落とさない。
7.年齢による差がなくなっているが、それ以外にジェンダーレス化(いわば「消性化」)や、地域による違いがなくなる「消域化」しているものがないか、目配りを欠かさない。つまり次の「消〇化」を予測する。
8.年齢に代わる新たなモノサシを探す。所得レベルとか学歴、居住地、有職・無職など。

「高齢化社会」ではなく「消齢化社会」と考えると、何だか希望が湧いてくるから不思議だ。さて、今日もハンバーグを食べようか。
(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の「蔵王供正行/第5日 墨書」

2024年02月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、もとに戻って〈蔵王供正行第5日「墨書」〉(師のブログ 2015.5.5 付)、「化他行・蔵王権現供養法百座修行」の修行記(第5日)を紹介する。タイトルの「墨書」は、特別祈祷の「お札」と、蔵王供祈願の「護摩木」への墨書のこと。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

「うっかりすると1時間半から2時間かかったりする。就寝時間が遅くなるのはそのせいもある」というから、これは大変だ。お坊さんの日常生活は、一般人には計り知れないが、このように日記スタイルで書いていただくと、「ふーん、こんな陰のご苦労があったのか」とよく分かるのでありがたい。

なお文中に登場する「スーパーサイヤ人」とは、漫画『ドラゴンボール』に登場するサイヤ人の変身形態である。では、以下に全文を紹介する。

蔵王供正行第5日「墨書」
蔵王供正行第5日ー5月5日。こどもの日。快晴。今日の一日。ちなみに昨日の就寝も11時。

5時前に起床。
5時半、第9座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法      於本堂 
9時、第10座眼蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行           於風呂場
13時、法楽護摩供修法       於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦    於本堂
その後、護摩に参拝においでになった方と面談する。友人が2日のEテレ(こころの時代)をみて、同伴しておいでになったのだった。

*******************

「墨書」
今から22年前に、今回と同じ行者坊に籠もって、前行を入れると120日間の「一千座護摩供」を行じた。さすがにこの22年という歳月は短くない。その間に、体も気力もやはり衰えてきたのを、日々、実感する。まあ、齢を経たからこそ、わかる境地もあるに違いない…などと、自分を慰めて、ひたすら今は拝ませていただいている。入行前後のスケジュールを考えると、60にしては、けっこうスーパーサイヤ人ですけど。

日記を書き終えて、このあとの日課は、入浴の前に、翌日の蔵王供祈願者の特別祈祷のお札と護摩木を墨書している。毎夜の日課である。実は、普段は、つい、簡便な筆ペンで字を書いているが、今回の特別祈願札はちゃんと自分で筆書きをしているのだ。ま、自慢するほどのことではないか(笑)。でも、残念なのは悪筆であるから、見栄えが悪い。書いててめげる。

お札、受けていただいた方、本当にすいません。下手な字をお許し下さい。心を込めて墨書しているので、お許し下さい。で、この墨書、けっこう時間がかかる。蔵王供祈願の方の護摩木も同時に書かせていただいているので、うっかりすると1時間半から2時間かかったりする。就寝時間が遅くなるのはそのせいもある。けっこう夜もいそがしいのだ。

なお千座祈願の受付は当初4月30日と案内しましたが、事務の準備不足から、案内が不十分で方々からおしかりもうけました。ずいぶんマメにご案内をしたつもりですが、大事な方や出す予定でいた方で漏れた方が少しありました。ここ3年ほど、年賀状の整理を怠ったせいもあります。戻りもかなりありました。反省をしています。

ともかく、千願まではまだまだ長い道のり。祈願の受付もしばらく継続しておりますので、よろしくお願いいたします。
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大和の総社か、下ツ道沿いの「国府(こくふ)神社」(高市郡高取町)/毎日新聞「やまとの神さま」第74回

2024年02月22日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.2.15)掲載されたのは〈「大和国の総社」と伝わる/国府神社(高取町)〉、執筆されたのは高取町在住の吉田英弘さんだった。
※国府神社の本殿=高取町で

よく車で大和郡山市今国府町(いまごうちょう)付近を通るが、「今国府ということは、どこかに旧国府があったのだろうな」と思っていたが、もしかするとそれが高取町だったのかも知れない。では、以下に全文を紹介する。

国府神社(高取町)
国府神社(高取町)の由緒は不詳ですが、説明板に「大和国(やまとのくに)の総社(そうじゃ)」だったと書かれています。総社とは特定地域の神社の祭神を集めて祭った社。古代の国司(こくし=現在の知事)は管内の神社を巡回するのが務めでしたが、省力化で平安時代後期、国司が政務を執る国府の近くに総社を設けることが広まったそうです。

総社とする理由は、旧高市郡役所発行の「高市郡志料」が➀国府跡と国府神社は共に高取町下土佐ナマコ山にある➁かつて拝殿に掲げられ、数百年前に作られた扁額(へんがく)に「国府宮」の文字があった➂役所の名称から転じたと思われる「松笠(まつかさ)」(役所の馬司=うまつかさ がなまったと可能性)や「ミヤマ」(貴人の馬小屋の御厩=みやま)などの地名があった――と記すのが根拠です。

平城京朱雀大路から南に延びる官道「下(しも)ツ道(みち)」沿いの立地も総社にふさわしい。ただ、大和国の国府の在地については諸説あるうえ、高市郡志料も国府は平城遷都で現在の大和郡山市今国府町(いまごうちょう)付近に移ったと記します。

国府神社は明治期、「八幡(はちまん)神社」で内務省に登録されましたが、氏子の運動で現名称に戻りました。氏子は昔、例祭の日に国府の文字が入った高張提灯(たかばりぢょうちん)を軒につるしたといい、本神社は地域の暮らしに溶け込んでいます。(奈良まほろばソムリエの会会員 吉田英弘)

(住 所)高取町下土佐402
(祭 神)応神天皇(主神)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、言代主神(ことしろぬしのかみ)
(交 通)近鉄壺(つぼ)阪山駅から徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)高取町観光第1駐車場を利用(無料)
(電 話)なし
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田中利典師の「なぜ、一流のビジネスリーダーは修験道にハマるのか」(前編)

2024年02月21日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、2015年の師の「蔵王供正行」日記はお休みして、「NewsPicks +d」というサイトに掲載された師へのインタビュー記事「なぜ、一流のビジネスリーダーは修験道にハマるのか」(全2回のうちの前編)を紹介する。

このサイトについては、〈「NewsPicks +d」はNewsPicksとNTTドコモが共同で運営するメディアサービスです。日本各地のビジネスパーソンが身近に使える経済情報を届けます〉というものだ。

私が以前紹介した養老孟司著『唯脳論』のことにも、触れていただいている。以下、「地の文」を黒、「師の発言」を青で表示する。やや長いが、ぜひ全文をお読みいただきたい。

なぜ、一流のビジネスリーダーは修験道にハマるのか(2024.2.10)

Naraoka Shuko(AlphaDrive/NewsPicks for Business 編集者)
変化が激しく先の見えない時代において、経営者やビジネスリーダーが修験道──いわゆる山伏修行を体験するケースが増えています。「修験道」とは、山へこもって厳しい修行を行うことで悟りを得たり心の乱れを静めたりする、日本独自の宗教・信仰のこと。

「山伏」とはその修験道を実践する者を指し、山にこもり、山に伏して、山から霊力をいただいて修行をすることから生まれた呼び名です。単純なビジネス研修ではない山伏修行で得られるマインド醸成とは、いったいどのようなものなのでしょうか。そして山にはなぜその力があるのでしょうか。

修験道の総本山、奈良・吉野の「金峯山寺」で長臈(ちょうろう)職にある田中利典さんに、山伏修行の指導や、修行を受けた人たちの変化についてお聞きしました。(第1回/全2回)

座禅に勤行、滝行という「非日常的な行為」
グロービスが2016年から始めた、経営幹部のみ参加可能なプログラム〈知命社中〉。田中利典さんは現在、「“黒帯”(役員)同士が、リーダーシップを磨き込む旅」と称されたこのプログラムの登壇者の一人として、修験道の指導を行っています。

場所は、桜の名所として名高い奈良・吉野山の中腹に位置する「金峯山寺」。1泊2日のうち、初日は座学で、吉野が聖地である意味と修験道の歴史を説きます。

翌日は朝5時から座禅、6時半から「法螺も太鼓も鳴るとにかくにぎやかな」勤行が始まり、朝食後は金峯山寺の本堂である蔵王堂を拝観。さらに脳天大神龍王院まで450段の階段を下り、お滝場で滝行と護摩修行をします。

田中「滝行といっても一人10分足らずなのですが、やったことのない人にとっては非日常的な体験なんです。それで身体を清めてもらってから、龍王院の宝前で私が護摩を焚きます。そのとき、護摩の壇の側に一人ひとり来ていただきます。そのときの顔が、表情が違うんですよ。わずか1泊2日でもね」

田中さんは座学の際に「明日の体験が今後のリーダーの資質を養う血となり肉となる」と伝えるそうですが、実際に参加された方々は、

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滝行も行って心の洗濯が出来た所に田中利典先生のご講話が染み込みました。特に耳に残っているのは「今、身の周りで出来る事をする。それが地域に於いて意味を持ち、日本国に於いて意味を持ち、世界に於いて意味を持ち、果ては宇宙に於いて意味を持つ」と言う言葉です。自分が今この瞬間にこの場所にいる事、そしてその行動に何某かの意味があると考えるのは、生きて行く上で勇気付けられます。

吉野の研修で学んだ「気枯れ」ない心。里行での穢れを山行で洗い流す。リーダーはエネルギーを分け与えていくのが仕事なのに、リーダー自身に元気がなければ組織の活性化など覚束ない、つまり、気枯れている場合ではないのである。座禅・滝行・護摩行と利典先生との語らい。過酷な修行を無我夢中で実践する過程で、自身が背負っていた無駄なものがそぎ落とされ、リーダーとして常に謙虚であること。

「お天道様は見ている」という戒めを心に刻むとともに、説得力と慈愛に満ち、聞いている自分がどんどん引き込まれていく利典先生との語らいを通じ、一人の人としての圧倒的な深さを感じ、自分が少しでもその領域に近づくには何が必要か。リーダーとしてどうあるべきかの一つの解になりました。

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などの感想を残しています(知命社中「参加者の声」より)。しかも、その後、この研修が縁で吉野山にずっと定期的に通う人や、自社の幹部に対して同様のコースを依頼した人もいるのだとか。ここまで人を覚醒させる修験道とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

身体性を取り戻し、世界とつながり直す
田中「日本では古来、山にはある種の霊的な力があると信じられてきました。その人智を超えた力のある山に入り、身心(しんじん)を鍛え、法力を得て、智慧を磨く。その中で悟りを得る。これが、修験道が目指すところです」

山伏が毎夏行う修行には、吉野から山上ケ岳を経て熊野を目指す、大峯奥駈(おおみねおくがけ)があります。距離は約180km。1日12時間程度、歩き詰めます。

田中さんの著書『体を使って心をおさめる 修験道入門』によれば、この大峯奥駈に初めて参加した大手の自動車販売会社の社長は「途中で、両足のほとんどの爪がはがれ、痛くて足は進まないので」下山しようかと考えたそうです。結局歩き抜き、「そのときの達成感というか、満行での喜びは生涯に二度とないような感動」を覚えたとあります。また、田中さんご自身も、過去の大峯奥駈を振り返り、

私をとりまくすべてのものと、私とがつながっているという感覚が、旋律のように体を突き抜けたのです。降りつづく雨、そしてその雨を受けている草も樹も岩も、山も空も風も、すべてが自分とつながっている。いや自然や宇宙そのものが私自身なのだと自覚したのでした。

述べています。この修験道に経営者やビジネスリーダーが惹かれる理由は何か。田中さんはご自身の経験も踏まえ、「脳がつくった世界ではなく、身体が感じる世界を体感したいからなのではないか」と分析します。

田中「養老孟司さんの有名な著作に『唯脳論』(ちくま学芸文庫など)というのがあります。情報化社会となり、人工物に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住んでいるのだと。実際、建物にしろ車にしろパソコンにしろ、私たちは脳がつくった世界に囲まれていますよね。

しかし、人間というのは、脳だけですべての物事を解決できません。健全なる身体に健全な精神が宿り、健全なる精神に健全なる肉体が整う。これは相関関係にあって、脳も含め、身体を使い、心を整えていく必要があります。

修験道では、山に入り、峻険な登り道を『懺悔懺悔、六根清浄』と掛け念仏を唱えて進み、ときには雨風にさらされます。座禅を組む足は痛みがひどく、護摩の炎に焼かれ、冷たい滝に打たれます。そのうち、脳ではなく、身体で世界とつながる瞬間がやってくるのです」


つまり、修験道を通して身体性を取り戻すことにより、思考や論理の限界を突破できる。経営者やビジネスリーダーたちはまさにその経験を探し求めて山に入り、追体験するために二度、三度と山にやってくるのかもしれません。

吉野という聖地だからこそ得られるもの
奈良・吉野は修験道発祥の聖地とされています。金峯山寺はその総本山です。もともと吉野は神仙境(神仙が住む理想的な地)とされ、斉明天皇など多くの天皇が吉野離宮を中心に行幸した場所としても知られていました。

そして7世紀後半、役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山で1000日の修行をした際、行者の修行力に応えて釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩が次々と現れ、最後に悪魔降伏の怖い姿をされた本尊「蔵王権現(ざおうごんげん)」が出現したとされます。

この金峯山寺で得度した田中さんは、2001年から金峯山寺執行長と金峯山修験本宗宗務総長を兼任。在職中にはユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録運動でも活躍されました。また、これまでに大峯奥駈を17回行っています。

田中さんは、東京で修験道についての講演を聞くのと、自ら吉野の山に入って話を聞くのとでは「理解の浸透度がまったく違う」と言います。それをハレとケという言葉で説明しました。

田中「日本には特別な日を指すハレと、日常を指すケという言葉があります。日常というのは同じことの繰り返し。だからだんだん気(ケ)が衰え、枯れてくる。さらに気が衰え、弱ると、気が病んで病気になる。その状態を気枯れ(ケガレ)と言うわけです」

だったら気を元に戻せば元気になる。田中さんはそのために、日常(ケ)を離れ、非日常(ハレ)の場所へ行くことを勧めています。

田中「晴れ着は、天気がいい日に着るものではなく、ハレの日に着る服のこと。晴れ着を着て非日常の場所へ行くことが、昔は重要だったのです。例えば寺社仏閣にお参りに行ったり、お祭りに参加したり、聖なるものとの関係性を持つ。あるいはお正月や桃の節句にお屠蘇とか白酒を飲む。これも聖なるものを身体の中に入れるという意味合いがあります」

ものが豊かになり毎日がハレのような現代、何がハレの装置になるかと言えば、山岳修行です。吉野のような聖地で、神仏のおわす聖なる世界に触れることで、気枯れが元に戻って元気になる。だからこそ、これからの自分のあり方、会社の将来、ひいては日本や世界の幸福な未来について深く考えられるのでしょう。

習俗、習慣、文化、風土に入り込んだものこそ宗教
田中さんの昨今の懸念は、日本人の宗教観の揺らぎです。

田中「私は年間、30本ほどの映画を見ていて、先日も『ゴジラ−1.0』を見て感じたのですが、最近の邦画には宗教観がない。洋画だとまだどこかに宗教観が感じられるのですが……。ことほどさように今の日本は宗教が疎外されている感があります。だからわずか1泊2日の吉野滞在の勤行や滝行が心に響くのではないでしょうか」

経営者やビジネスリーダーに限らず、これからの社会を生きていくためには自分の個としてのアイデンティティーが大事、と田中さんは訴えます。そのために私たち日本人は日本的なるものを再度確認せねばならないのだと。

田中「日本人が無宗教、無信心などといいますが、実は日本人は過宗教。正月の初詣、クリスマス、宮参りからお葬式まで一年中、いや一生、宗教に関わる民なのです」

日本人は無宗教だとされる原因は、明治時代にeconomyを経済、natureを自然と訳したように、religionという概念を宗教と訳したことに大きな問題があります。religionとは一神教の宗教のことで、日本人がそれまで抱いていた多様な宗教や信心のあり方とはまったく違います。

田中「一神教はそれまでの宗教や民族的なものをいったん殺して、ヤハウェやアラーをあがめた。一方、日本の神道には八百万(やおよろず)の神々がいるといわれてきた。それこそ縄文時代からあらゆる森羅万象に聖なる魂を見続けてきたわけです。そして6世紀半ば、神道の国に仏教が伝来した。最初こそ、排仏派と崇仏派の争いがあったものの、その後は神仏習合という考え方を編み出しました。

ちなみに、金峯山寺の本尊である蔵王権現の『権』も『仮』という意味で、仏が神の姿を借りて現れたことを意味します。修験道はいわば仏教を父に、もともと日本にあった神道を母に、仲の良い蜜月関係の夫婦のあいだに生まれた子どものような存在なのです。

同心円状に、自分も自然も神もいる。その考えが習俗、習慣、文化、風土の中に入り込んでいる。これこそ日本人の宗教心だと私は思いますし、そういった背景をもって私たちは生きているのだということを自覚してほしい。それでこそ、経済面にしろ政治面にしろ日本人らしさを発揮できると思うのです」


次回は、「不安な時代を生きるための智慧を山伏修行や宗教的価値観からどのように得れば良いか?」を田中利典さんに伺います。
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第4回王寺町クイズ大会「ゆきまるQ」、王寺観光ボランティアガイドの会が初優勝!(2024 Topic)

2024年02月20日 | お知らせ
2月17日(土)14時から、「王寺町地域交流センター リーベルホール」で、第4回クイズ大会「ゆきまるQ」が開催された(王寺町観光協会・奈良まほろばソムリエの会 共催)。観覧自由(予約無用)、入場無料だった。出場チームは過去最高の10チームだ。今回は初めて、奈良検定の過去問など、地元奈良県に特化したクイズ問題が出題された(王寺町観光協会のHPは、こちら)。

問題の制作はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」だったので、私は浮世博史さん(西大和学園社会科教諭)とともに登壇して、問題文の解説をした。ちなみに過去3回の問題は、すべて浮世さんが作成された。いかにも中高生クイズ大会向けの「元素記号」とか「新人歌手の名前」「アニメのタイトル」を問うような問題だった。今回出場したのは、



〈大人チーム〉
①斑鳩の里 観光ボランティアの会 ②王寺観光ボランティアガイドの会③おうじ・まちの宣伝隊④交通三社JNK連合軍(JR西日本、奈良交通、近鉄)⑤チーム食(王寺町食品衛生協会)⑥チーム東横イン

〈中高生チーム〉
⑦大阪星光学院中・高等学校クイズ研究会(*前回優勝校)⑧四天王寺中・高等学校クイズ研究部 ⑨東大寺学園中・高等学校クイズ研究部 ⑩西大和学園中・高等学校クイズ研究部


これまでの3回は東大寺学園や大阪星光学院など、中高生チームの圧勝で、大人チームで決勝に進出したチームは皆無だった。クイズ内容をガラリと入れ替え、しかも「早押しクイズ」をなくした今回は、どんな展開になるか。私はワクワク、ドキドキしながら、14時を待った。


入り口付近では、ソムリエの会メンバーが、受付やかるた販売を担当

原田年晴さん(ラジオ大阪アナウンサー)の流暢な司会で、予選(三択問題・10問)が始まった。第1問「サッカーボールを頭に載せたカラスのモニュメントのある八咫烏(やたがらす)神社は、次のうち、どの市にあるか」、第2問「法隆寺に安置される百済観音と呼ばれる、観音菩薩立像の素材はどれか」…。

奈良検定の過去問からの出題に、皆さんスイスイと答えていく。「しまった、ちょっとやさしかったか」と早くも後悔。しかしまあ「予選は難しくせず、わずかな差がつく程度でいい」と聞いていたので、これでも良いのかなと静観していた。


「蘭奢待(らんじゃたい)天下一の名香収める( )」の( )内を答えてもらった

AリーグとBリーグ、各5チームの予選が終わり、それぞれ上位2チームの決勝進出が決まった。ちなみにAリーグは②王寺観光ボランティアガイドの会と⑨東大寺学園中・高等学校クイズ研究部 。Bリーグは①斑鳩の里 観光ボランティアの会 と⑥チーム東横イン。ここで今回初の「敗者復活戦」がある。下位各3チーム、計6チームが敗者復活をかけて戦うのだ。敗者復活戦の問題は、ソムリエの会の「奈良まほろばかるた」から出題される。三択問題ではなく、フリップに解答を書く穴埋め方式だ(漢字が分からなければ、ヒラガナでも良い)。

「( )奈良生まれの最古の歌集」「雄岳と雌岳( )眠る二上山」「( )行事 世界遺産の金峯山寺」…。これは皆さん、難しかったようで、誤答が続出した。「奈良まほろばかるた」から出題することは公言していたが、どうもあまり勉強されていないようだった。



敗者復活を勝ち抜いた1チーム(④交通三社JNK連合軍)と上位4チーム、計5チームで決勝戦が始まった。さすがにここまで来ると、レベルの高い戦いになる。奈良の方言や王寺町の歴史問題を入れるなど、問題は難しくしたし、15問も出題されるので、正答するのは大変だろうな、と同情していた。

しかし、皆さん結構正解される。特に地元の「王寺観光ボランティアガイドの会」は、ほとんど誤答がなく、完璧に正解を打ち出してくる。その結果がこの得点表だ。1問10点だから、王寺チームは、1問落としただけなのだ。



結果はこのとおり。接戦を制したのは、地元「王寺観光ボランティアガイドの会」だった、おめでとうございます! 孫のような中高生ではなく、おじさんたちが頑張る姿は、何とも頼もしい。今回の大会は、王寺町クイズ大会の歴史に残る「名勝負」となった。


当日のお手伝いをした奈良まほろばソムリエの会メンバーで、記念撮影

「奈良検定クイズの輪」が県下全域に波及して、次回はもっとたくさんのおじさんチームが参加してくれることを期待している。王寺ガイドの皆さん、本当におめでとうございます!
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