【見舞いの花かご (闘病ノートから)】
去年の8/29、3か月に1度の検診で神奈川の大学病院へ。
発病、大手術から4年目だった。検診日の前からずっと発熱を繰り返していて、体力の衰えを感じながらの生活だった。月に1度は地元の病院に通院していたものの、数週間前からはビビルビンによる痒みがひどかったのに、大学病院での検診日を待っていた。
診察と同時に緊急入院となり、すぐに処置をしてもらい、また救われた。実は、ぎりぎりの大変な状態で、思えば5年前の発病の際と同じだった。
数冊の、その都度の闘病記ノートから一冊を開いた。
去年の8/30に入院、2週間の入院中の緊迫した様子を思い出した。
カテーテルを付けたまま地元病院へ転院した。
救われてからそれまでの4年間、月々のマーカー検査に安堵しながらもときどき発熱、入退院も10回を数えた。でも、また、運が良かった。昨年末に地元の病院で大きな治療を受けて退院、新しい気持ちで新年を迎えた。それ以後、今年になっては発熱は数えるほどで、暑さもさほどでなかったこの夏も元気で乗り越えることができた。生存率0と言われた満5年を迎えた。
元気で当たり前の生活をしていると、とかくひどかった時の辛さを忘れてしまうものだ。 ときどき幾冊の「闘病の記」を読み返し、常に健康への気遣いを忘れずに、今の幸せをかみしめていきたいと思っている。
去年の8/29、3か月に1度の検診で神奈川の大学病院へ。
発病、大手術から4年目だった。検診日の前からずっと発熱を繰り返していて、体力の衰えを感じながらの生活だった。月に1度は地元の病院に通院していたものの、数週間前からはビビルビンによる痒みがひどかったのに、大学病院での検診日を待っていた。
診察と同時に緊急入院となり、すぐに処置をしてもらい、また救われた。実は、ぎりぎりの大変な状態で、思えば5年前の発病の際と同じだった。
数冊の、その都度の闘病記ノートから一冊を開いた。
去年の8/30に入院、2週間の入院中の緊迫した様子を思い出した。
カテーテルを付けたまま地元病院へ転院した。
救われてからそれまでの4年間、月々のマーカー検査に安堵しながらもときどき発熱、入退院も10回を数えた。でも、また、運が良かった。昨年末に地元の病院で大きな治療を受けて退院、新しい気持ちで新年を迎えた。それ以後、今年になっては発熱は数えるほどで、暑さもさほどでなかったこの夏も元気で乗り越えることができた。生存率0と言われた満5年を迎えた。
元気で当たり前の生活をしていると、とかくひどかった時の辛さを忘れてしまうものだ。 ときどき幾冊の「闘病の記」を読み返し、常に健康への気遣いを忘れずに、今の幸せをかみしめていきたいと思っている。