エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

いつも平和の尊さを思う

2006-08-13 | 日々の生活
 早朝に犬と散歩している。いつも妙国寺を過ぎるとき、戦争の悲惨さを思い巡らさずにいられない。境内の一隅、道沿いに建つ一つの墓石に刻まれている文字が目に入る。
 そこには
 「大東亜戦争ニ勇戦奮闘セシモ遂ニ
  昭和十九年八月三十日南支那方面ニ
  戦死ス       行年三十三歳
とある。
 どれだけ大切な人であったか。家族の悲しみを思うと目頭が熱くなる。

 あれはいつのことであったか。長野県上田市郊外の無言館を訪ねた。長い時間をかけて戦没学生たちの絵を見て歩き、彼らの思いを手帳に綴った。やらなければならないことがたくさんあったのに、戦争で命を絶たれた若者の無念さを思うとき、いい知れない切なさが込みあげてきた。

 八月には忘れていた戦争の悲劇をあらためて思うが、私は散歩の度に、常に忘れてはいけない平和の尊さを確認させられている。

 (参)拙ブログ 2/9「無言館の戦没画学生を思う

無名者の歌

2006-08-07 | 日々の生活

 月に一度届く「みちくさ新聞」(拙ブログ2/18『みちくさ新聞』は心の癒し )にこころ癒されている。
新聞と一緒に無名者の歌が同封されている。それは昭和万葉集や朝日歌壇などから抜粋された20編ほどの短歌である。そこには先の大戦に関わる多くの歌が集められていて、一句一句の戦争の悲惨さに、いつも切なく涙があふれてくる。

 以下に、最近の【「みちくさ新聞」無名者の歌】より、そのいくつかを挙げる。
  ○ いたましく夫と妻とを引き裂いて戦う国は滅べと思う  森下虎尾
  ○ 終戦の詔はただただ嬉しかり子は三人夫は三度の招集なりき 鴻野千世子
  ○ 戦盲の夫に読みやる昭和万葉集「山河慟哭」に声つまらせて 川崎いりえ
  ○ アイゴー・オモニと叫び狂いて死にゆける兵を葬りしバイカルの雪 千葉武郎
  ○ ハルビンに父母と別れし孤児我等連れ帰り給いし井上牧師 山下一朗
  ○ 懲らしめらるる何あるべきや戦火に追われ逃れ馳ゆく子の細き足 大島かづ子             

 人の恩、父、母との思い出、家族の思い、自然の情景、暮れなずむ秋の空、戦場での忘れられない思い、等々が詠われ、悲惨な戦争によって失われた、数限りなく貴いものが語られている。
 慟哭の短歌を静かにかみしめ、今の平和が、どんなに幸せかと思っている。

原爆の日

2006-08-06 | 日々の生活
今年も、終戦を考える月、8月が巡ってきた。 
今日は原爆の日、記念式典のテレビ中継を見ながら、また巡った思いを新たにした。
周囲の現代的なビルに囲まれ、戻った緑の中に原爆ドームが映し出された。

8月6日だけが特別の日ではないが、この日はいつも姿勢を正し平和を考えている。 8時15分、1分間の黙とう。いろいろな思いが走馬燈のように巡った。何不自由なく生活する自分が、過去の先輩の数々の犠牲の上にあることを思い、今日の平和を感謝する。二人の小学六年生の「平和への誓い」を聞きながら、二十一世紀を託す子供たちに頼もしさを感じた。今年こそと思いつつ、いまだ広島を、平和記念資料館を訪れないでいる後ろめたさを感じている。

 今年も終戦記念日が訪れる。自分の歳が、敗戦から平和への歩の歳月であることにあらためて気づく。そして、お盆のこの時期と重なった因縁を思った。

 今も世界中で争いが絶えない。人間は実におろかな生き物だ。世界の平和を希求することは、空しい夢物語なのだろうか。やりきれない思いで一杯だ。

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いつもこの時期、テレビやラジオの終戦記念番組に目頭が熱くなる。
【テレビクローズアップ現代】
 ○ 8月2日(水)放送 ~戦後61年目の遺骨収集~
 戦後60年が過ぎたいま、戦地に散った肉親の遺骨を探し続ける遺族がいる。一方、20才前後の学生達の中に、遺骨の収集活動に参加しようという動きも現れ、戦争体験者や遺族の高齢化が進む中で戦争の記憶をどう受け継いでいったらよいのか、考えた。
 ○ 8月3日(木)放送 ~“第3の被爆”を追う~ 
 60年以上経って原爆の新たな影響を示す調査結果が発表された。直接被爆せずに爆心地近くへ入った「入市被爆者」にも、残留放射線を出す土壌から埃や煤が大気中に舞い上がり、長時間皮膚についたり体内に取り込まれ影響を及ぼしたことがわかってきた。
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庭を訪れるチョウ

2006-08-04 | 昆虫
 

 梅雨が明け、1年ぶりの真夏の暑さが巡った今日、いつものように庭に来た虫たちを見つめている。
 書斎からときどき庭を眺めると、蝶やトンボが入れ替わり立ち替わり訪れる。
その都度カメラを手に庭へ飛び出し、虫たちのいろいろな表情をファインダーで覗く。
 
 今年初めて訪れたカラスアゲハは、羽根を花粉で染めながら、夢中で蜜を吸っていた。
 ときどき射し込む光に輝く、あの神秘的な色彩は言葉に表せないほど美しい。

 虫や草花の個性の違いを知ることは実に楽しいものだ。
巡ったこの季節に見るチョウの一期一会のポーズ、表情をながめ満足している。

 以下は、最近わが家の庭を訪れたチョウ。
ベニシジミ、モンシロチョウ、トラフシジミ、オオチャバネセセリ、スジグロシロチョウ、
クロヒカゲ、ホシミスジ、カラスアゲハ、キタテハ、イチモンジチョウ、テングチョウ、イチモンジセセリ


 庭に来たチョウ   
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ベニシジミ                           モンシロチョウ                          トラフシジミ                         オオチャバネセセリ                      スジグロシロチョウ                    クロヒカゲ                            ホシミスジ                          カラスアゲハ                         キタテハ                           イチモンジチョウ                        テングチョウ               イチモンジセセリ <
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【オンマウスで止まる】














セミの抜け殻

2006-08-03 | 自然観察
 
 梅雨末期の大雨の夕暮れ、庭で仰向けにもがいているセミの幼虫を見つけた。幼虫は雨に洗われたせいかきれいで、ろうのような不思議な白い色をしていた。近くの固い地面にはドリルで開けたような丸い穴を見つけた。 
注意して探すとセミの抜け殻があちこちに見つかった。抜け殻をルーペで丹念に観察すると、頭部の複眼、触覚、細長い口がとても神秘的に見えた。前脚の先端の一ミリほどの針のような爪が、ライラックの葉を力強く貫いていた。

 アブラゼミは八年目に地上に出てくるというが、暗闇の中ではどんな音を聞いていたのであろうか。そして暗い穴を抜け出たとき、不自由な殻を破ったとき、セミはどんな気持であったろうか。ファーブルも研究の合間にそんなセミの心理を考えたろうか。

 昨日東北地方の梅雨明け宣言があった。つい3日前に初鳴きを聞いたミンミンゼミが、本格的な夏の日差しに一段と強く鳴き始めた。
セミのわずか数日の命を思うと夏らしい暑さが欲しいと思った。

夜明けの庭

2006-08-02 | 日々の生活
           《アシグロツユムシ》

 白々と夜が明けてきた午前4時過ぎ、ヒグラシの第一声が聞こえた。この時間には、何年ぶりだろうか思い切って庭に出てみた。
 まだ薄暗い足下にナツアカネが寝ぼけているかのように弱々しく舞い立った。草花も、まだ眠っているようだ。はるかに磐梯山は中腹から上には山頂を隠すように雲が漂い、昨日まで雨に洗われた山麓が青く、くっきり見えた。
 さわやかな風に揺れ、鮮やかな黄色のキクイモモドキの花にアシグロツユムシの幼虫が止まっていた。よほど居心地がいいのか、いつもここを離れないようだ。 接写でシャッターを切るとストロボが光った。久しぶりに雨の上がった、夏の一日の始まりだ。

夜明けの庭の様子は興味深かったが、そのうち、夜の庭も覗いてみたいと思っている。きっと知らないでいた新しい発見があるに違いない。

 *アシグロツユムシは緑の身体に黒いまだらがあり、足の関節部分が黒いのですぐに同定できた。雨が降れば花の下で雨宿りをしているし、いつも同じ場所にいる。 今日は隣に少し小さい仲間がいた。もう2週間ほどになるがなかなか大きくならない。愛おしささえ覚え成長を観察しているが、早く彼の声を聞きたいと思っている。

子どもの疑問と教えたいこと

2006-08-01 | 教育を考える
 ラジオの「夏休み子供科学電話相談」を楽しく聞いている。子供たちの素朴なそしてかなり専門的な問いと、それらに答える先生方のやりとりが、いつもとても興味深かい。
 子供たちが興味や関心を抱き、その中に見つける疑問はすべての出発点だと思う。それは与えられた問いでなく、観察等により自ら発見する疑問でなければならない。さらに疑問を主体的に解決しようとする姿勢こそが、昨今話題の生きる力であり、創造性なのだと思う。
 先生方の解答からは、知識と共に理解させるソフトが大切なことを再認識させられる。子どもたちにとってのわかりやすさは、内容の構成と総合化、そしてその基本となる各自に最も適した知的発達の援助である。
 番組を聞きながら、あらためて教えることの難しさを思った。

 疑問への答えは、知識が一番ではなく、○疑問を発見し、○課題を解決する意欲、○継続的な学習態度、○自己啓発していく力 等々の創造性を育む助言でありたいと思った。
疑問を抱いた子どもたちの個性に即して、学ぶことの意義に関わる多くのことを教えてあげたいと思う。