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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

魅力の藤沢周平

2008-05-13 | 文芸
【黎明磐梯 2008.5.12 am4:24 2F】

 最近、就寝前に藤沢周平の短編集を読んでいる。以前に読んだものだが、何度読んでも静かに心に落ちて、読後に余韻が残る。

 中野孝次はエッセイ「今に失われた人情世界への憧れ」で周平の時代文学について分析し、「藤沢文学のよろしさ」として、 ○メリハリのきいた文章  ○登場人物がごく普通の人間  ○剣の立ち会いの描写  ○友情のあつさを描く  ○自然描写のよさ  ○食いものの描写の良さ ○主人公の人物の魅力的なこと ○女の姿とと心のよさ  などを挙げている。そして彼を、かつてあった日本と日本人の美しい面を描き出す作家だと評している。また、彼の小説は必ず心の動きの急所を鮮やかに捉えているので、読む者を捉えると。

 かつて藤沢周平の故郷・鶴岡市へは何度も訪れている。
 鶴岡は魅力的な街である。一度は村上の町屋、酒田の土門拳記念館を訪ねた折りに、一度は羽黒山から今井美術館を訪ねた時、また、一度は斎藤茂吉を大石田に訪ねた時と、そのときどきに帰路鶴岡市を訪ねた。これらの小旅行の前、最初に鶴岡市を訪ねたのは、教育研究会の東北大会での研究発表の折りだった。そのときに庄内藩校の致道館を見学したことが思い出される。

藤沢周平は実に魅力的である。これから、まだまだ読んでいない藤沢作品を読み、感動を胸にしまい、また鶴岡市に海坂藩の面影を訪ねたいと思っている。

 藤沢周平は平成9年1月に69才で亡くなった。
『書斎のことなど』には、
「物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終わることが出来たら幸せだろうとときどき夢想する。」とある。


(参)拙ブログ 「藤沢周平の世界」(2006-12-11)


田に水入る

2008-05-12 | 自然観察
       【さわやかな飯豊山  市内河東地区から】

 田に水が入った。遠く飯豊山の残雪に、初夏の緑がいっそうさわやかだ。
 連休の頃、気温が夏日にまで上がりかなり暖かかったのに、田に水が入るこの時期、結構寒い日が続いている。
 町内の田んぼには耕耘機が入り、代掻きが始まった。
 田の水に映る磐梯山をねらって磐梯地区へ写真撮りに出かけたが、まだ水は入っていなかった。
 あぜ道に風に大きく揺れる、黄金に輝くウマノアシガタやサワオグルマがとても美しく咲いていた。


    
  【ウマノアシガタ】                   【サワオグルマ】
  

母の日

2008-05-11 | 日々の生活
     【リュウキュウに次いで咲き始めたシロリュウキュウ】

 今日は母への感謝の日だ。昔からカーネーションと相場は決まっていたが、何度か花屋から鉢植えを送った記憶はある。母も義母もすでにいない。5月の雨に濡れるシロリュウキュウを見つめながら、しばし母を偲んだ。

孫に代わって母である娘を、娘や息子に代わって妻へ、ささやかな感謝の気持ちをと考えていた。昨晩、日頃すべてをお世話になりっぱなしの妻を食事に誘った。洗濯でもない、掃除でもない、食事の手伝いでもない、子どもたちに代わっての思いつきの感謝の気持ちだった。かつて、家族で何度も食事に行った割烹料理店での食事を孫同伴で賑やかに楽しんだ。

 妻の日という記念日は無いのだろうかと思う。そうした記念日を利用すると、照れ隠しにもなり感謝の気持ちが伝えやすい。父の日は何時だろうか。感謝される何物もない、その日はあらためて日頃の自分を反省する日にしたいと思っている。


生きることの意味

2008-05-10 | 日々の生活
           【咲き出したアヤメ】



○ みちくさ新聞125号が届いた。隅々まで読み、また1ヶ月間忘れていた「生きることの意味」を、いま静かに考えている。

何時も同封される「朝日歌壇」(1973)から3首
 ・一人ずつ児を抱き上げし夫が見ゆこの浜征きて還り来ぬかも 
                     岡豊子(徳島)
 ・空腹の時心きよらかになりゆくと面やせて帰省したる子の言う 
                     吉岡秀子(大田原)
 ・朝もやの日田の川瀬に足をひたし妻となりしを水映し見む    
                     保田久仁子(秦野)
 
○ 昨日、何年かぶりで磐梯熱海温泉に浸かった。あいにくの雨降りだったが、慈雨とはこういう降りなのだろうか。小糠雨、霧雨、ほとんど水滴とは言えない霧のような雨が流れる。緑の露天風呂で静かに思いを巡らせた。
ケヤキかと思い近づくと、それはもう小さな実が垂れ下がったクマシデだった。足下にはクチナシ。伸びた新しい芽の先には小さなつぼみがいくつもみえた。いよいよ緑が濃くなり、しっとりした雨の風情を身をもって感じた。
 ふと、加島祥造の「求めない」のフレーズが浮かんできた。
   
    求めない
    すると
    心が静かになる


感動を表す術

2008-05-09 | 文芸
 日々、畏敬する自然の美しさに感動している。日々の生活の中で、樹木や草花、昆虫や野鳥を写真に撮る。彼らに動かされる心を何とか残したい気持ちでもある。
 心の動きを残すことはなかなか難しいことである。詩や文学の世界もあるだろう。いろいろな思いをすらすらと俳句や歌に詠むことの出来る人をいつも尊敬している。
 人一倍にこころ動かされるが、そのこころをなかなか表現出来ないもどかしさを思う。とりあえず私は、拙い文章で情景を写実するか、心と景色をつなぐスケッチを楽しんだりしている。でも、まずは偉大機械、カメラの力に頼っているのが常である。
 今この素晴らしい情景を目に焼き付け、豊かなこころでいたいと思う。


 【マイズルソウとチゴユリが咲いた。】
  


旬をいただく

2008-05-08 | 食文化


 この時期、子どもたちが小さい頃は、山菜を採りながら里山に遊んだ。健康を損ねてからは、せいぜい路傍の蕗の薹くらいか。山菜採りも遠い昔の話になってしまった。

 でも有難いもの、あちこちから旬の山菜が届く。先だってはコゴミとタラの芽をいただき、今日は、娘の友達から、南会津のコシアブラとタラの芽が届いた。また、連休に久しぶりに帰ってきた息子が、嫁の里いわきからの筍を届けてくれた。

 早速食卓に並んだ。筍の煮物、コシアブラとタラの芽は天ぷらとお浸しに。沢山は要らない、季節の味を冷酒でいただいている。これ以上のご馳走はない。


 そういえば、庭のサンショも花を付け、若芽も伸びた。ニシンのサンショ漬けだけは私の仕事、そろそろ自作のニシン鉢に漬けようと思っている。


【サンショ咲く】

人知れず咲く花

2008-05-07 | 日々の生活

 今朝、庭の隅で人知れず咲く椿の花を見つけた。あの目立つ白の大輪だが、桐の木の根元でツツジに邪魔され見えない裏側だ。咲き終わり色褪せたスイセンの花がらを取りに入って見つけた。ときどき、人知れず咲く花に思いを抱いていたので、心が動かされた。

 最近、三浦綾子の以下の文章に触れた。
 (「旭川探訪Ⅱ」(2008-05-03):ブログ「Your Song」
             【http://nobonobo3161.blog79.fc2.com/】)


誰の目にも触れぬ深山の中に
 美しい花の咲いているのを
 見ることがあります
 おそらくその花に目を注(と)める人は
 何年に一度あることでしょう
 でも其の花は懸命に命の限りに
 美しく咲いているのです
 人は見ずとも神は見ていられることを
 花はきっと知っているのでしょう
 そのような謙遜と信頼を
 どうぞ私たちにも教えて下さい


思えば、人の心になど関係なく、それぞれのいのちを精一杯に生きる自然は尊い。
 いつも畏敬の念を抱きながら緑の自然を見つめている。


キバナイカリソウ

2008-05-06 | 自然観察

庭に毎年桜の時期にキバナイカリソウが豪華に咲いている。
同じ時期に変わった形の黄色い花を付けたとても豪華でかわいいイカリソウが咲く。 これは4,5年前に園芸店で求めた西洋種で、黄花イカリソウの名が付いていた。その後、この黄花イカリソウはどんどん殖えた。
 
 図鑑で調べたら、日本に自生するイカリソウの仲間は、紫のイカリソウの他、花形が梅花状のバイカイカリソウや、キバナイカリソウ、クモイイカリソウ、トキワイカリソウなどがあり、改良された品種は多数ある。
特別手入れもいらず、耐寒性もありかわいいので、株分けして少し増やしてみようと思っている。



庭に 風薫る

2008-05-05 | 自然観察

風薫る五月の空に鯉のぼりが元気に泳いでいる。今日はこどもの日、孫二人の身長を柱に刻した。お正月からもう約2センチも伸びていて驚いた。親たちが付けた、自分の子どもの頃の柱の傷が目に浮かんできた。同じような思いで子どもたちの成長を見守っていたのだろう。
 庭に出て、5月のさわやかさを撮った。
ライラックが満開だ。数本を手折り花瓶に挿す高貴な香りがした。また、わずかに紫色のキリシマツツジが清楚に咲きはじめた。白い大輪のツバキはあまりに見事だ。定規で計ってみたら13~15cmもあった。こんなに素晴らしい大輪だが、人に見せるわけでもなく細い枝先に重い頭を下に向けて咲いている。
 ドウダンに続いてサラサドウダンのつぼみが赤みを増し、明日にも咲きだしそうだ。桜桃に続いてカリンもかわいいつぼみを開いた。まさに、百花繚乱だ。目にするすべてがそれぞれに美しく、さわやかに感じられた。
  ついこの前咲き誇った高田梅がもうかなり膨らんできた。何時しか虫たちも元気に飛び回っていた。青緑色のキンバエが目の前に止まった。今まで撮ったこともなかったが、太陽に輝き美しかった。



《シマハナアブ?》
《キンバエ》
《カリン》
《ウメ膨らみ始める》
《ブルーベリー》
《キリシマツツジ》
《サラサドウダン》

 楽しかった 「ふれあい牧場」

2008-05-04 | 日々の生活
              【飽かずに草をやる】

 孫たちと「石筵ふれあい牧場」に遊んだ。
ママと娘も4連休、手作りのお弁当を準備して、久々に広々したさわやかな自然の中で1日を過ごすことにした。
 萌香ちゃんはウサギを抱っこしたいと朝からご機嫌。武琉君は新調した野球帽を目深にかぶり早くから庭へ出て遊んでいた。

 ポニーの牧場のまわりの桜の花が、時折吹く風に美しく舞っていた。 シートを拡げ,おむすびを頬張った。静寂のなか、散り急ぐ花びらをながめながら、過ぎし日の思い出に浸った。
 「あはれ花びら流れ おみなごに花びら流れ ・・・」
澄みきった純真な心でポニーにふれあう孫を静かに見つめていた。

季節の流れ 人の世の流れ 散り急ぐ花びら


日頃は、我が家のラック、金魚くらいか、動物とふれあう機会は少ない孫たちにとって計り知れないプラスがあるに違いない。
ウサギを抱いている孫を見つめながら、小学生のころの学校でウサギの世話をした覚えがよみがえってきた。
 私の新しい発見は、クジャクのきれいだったことだ。しばらく待った甲斐があった、クジャクは大きく自慢の羽を広げてくれた。また、ヤギとヒツジの区別を知ったこと。

 結婚式やら法事やらで、このところゆっくり孫たちとつきあえなかったが、連休初日に、充実した楽しい1日を過ごすことが出来た。
(2008.5.3)


【ヤギと赤ちゃんヒツジ】


【美しかったクジャク】

磐梯山の雪形

2008-05-02 | 日々の生活

  磐梯山の雪形を楽しみに待っていた。
我が家の2階の窓から春霞に浮かぶ磐梯山を撮った。頂き近くの雪形は「狐雪」とか「虚無僧雪(こむそうゆき)」を言われ、春の農作業の時期の目安になってきた。確かに、狐の形に見えるし、袈裟を着て深編み笠をかぶって尺八を吹いて修行する虚無僧の姿に見える。今の時期、いつもの年より残雪が少なく中腹の「らくだ」の模様や蛇形ははっきりしなかった。
前景の雑木林はいま萌葱色が美しい。
【参考】拙ブログ「会津五桜鑑賞記(その5)大鹿桜 」(2006-05-05)

【ナミテントウ】
庭のドウダンツツジにナミテントウが止まっていた。ベニシジミを初見した。そういえば、ウスバシロチョウもそろそろ出始めるだろう。これから、虫たちの写真撮影に忙しくなる。





【磐梯町から】



甥の結婚式

2008-05-01 | 日々の生活
        【新緑の林の中での結婚式】

甥の結婚式に上京した。最近5年間、大病後、定期的に検診を受けに高速バスでの上京を重ねてきた。でも、昨年秋から地元の病院にお世話になることにしたので、これからは検診のための上京はなくなる。早朝の高速バスに乗ったときどきの思いが切なくよみがえった。車窓から朝靄にかすむ磐梯山を眺め、あらためて健康を祈った。

【思い出に残る結婚式】

 
大型連休の初日、高速道は空いていて予定よりかなり早く東京駅へ着いた。品川の式場は鬱蒼とした緑の森に囲まれ、披露宴はその公園の一角にある庭園レストランで行われた。 親類中心の内輪の披露宴だったが、趣向を凝らした思い出に残る楽しいひとときを過ごした。二人で力を合わせて温かい家庭を築いて、と祝辞を述べた。また、一言余計なことも添えた。今幸せの絶頂にある二人に、二人の努力精進もあるが、両親はじめ多くの人たちのお陰であることも頭の片隅に置いて欲しいと。
新婦方は鹿児島出身だった。薩摩と会津が一堂に会した不思議な縁を思った。都会育ちの若い二人には関係のない話だが、互いに意識の中にあり、140年前の戊辰戦争が宴の中でも多少の話題になった。

【浅草寺参拝】
  近くのホテルに泊まった翌日は、妻と40年ぶりに浅草寺を訪ねた。東京で会社勤めをしていた新婚のころ、今は亡き妻の両親と「はとバス」観光をしたことを思い出した。浅草の仲店通りは賑やかだったが、驚いたことに飛び交う言葉はほとんどハングルや中国語、日本の人はわずかなお上りさんや班行動をしている修学旅行の中学生くらい、不思議な気持ちがした。お土産に「舟和の芋羊羹」と「雷おこし」を求めた。
【ビルの中の水天宮】
網の目のように張り巡らされた地下鉄を乗り継ぎ、水天宮へ詣った。ほどなく授かる息子夫婦の安産を祈願したかった。お札を求め、無事の出産を祈った。

帰りのバス時間までは、いつものパターン。八重洲地下街をぶらぶらし、孫への土産を見繕い、大丸のデパ地下で楽しみの弁当選びをした。何時もバスの中でのお弁当が楽しみだった。健康を取り戻した今、格別に美味しいお弁当であった。