今週も、記事を書く時間がないから簡単に。
皆が日本史で教わった、かの「大化の改新」は、当時権勢を誇っていた、蘇我蝦夷(そがのえみし)と入鹿(いるか)親子が討たれるところが最大の山場だが、その前段では、中臣鎌子(なかとみのかまこ=後の藤原鎌足)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、奈良の飛鳥の外れにある多武峰(とうのみね)の山中に登って談合を行っていたそうだ。そして、その経緯が談山神社の社号の起こりとされている。
ともあれ、この神社は紅葉見物の場として日本有数とされているが、そのピーク時に参拝することが叶った。以下は写真で…。
この記事を書いている時点では“散り初め”という状況だが、落ち葉になって敷き詰められたモミジもまた綺麗であり、そもそも上下で紅葉具合に差があって、全山が一様に葉を落とすわけではないので、これからまだ10日程は楽しめるのではないかと思う。「是非一度ご訪問を!。」
皆が日本史で教わった、かの「大化の改新」は、当時権勢を誇っていた、蘇我蝦夷(そがのえみし)と入鹿(いるか)親子が討たれるところが最大の山場だが、その前段では、中臣鎌子(なかとみのかまこ=後の藤原鎌足)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、奈良の飛鳥の外れにある多武峰(とうのみね)の山中に登って談合を行っていたそうだ。そして、その経緯が談山神社の社号の起こりとされている。
ともあれ、この神社は紅葉見物の場として日本有数とされているが、そのピーク時に参拝することが叶った。以下は写真で…。
●ここから本殿へ●
●中央が本尊の藤原鎌足●
●本殿前●
●討たれ、首が飛ぶ蘇我入鹿(江戸時代の絵巻物)●
●東宝庫あたりの紅葉●
●本殿の中枢●
●本殿から見下ろす紅葉●
●十三重塔あたりの紅葉~その1●
●十三重塔あたりの紅葉~その2●
この記事を書いている時点では“散り初め”という状況だが、落ち葉になって敷き詰められたモミジもまた綺麗であり、そもそも上下で紅葉具合に差があって、全山が一様に葉を落とすわけではないので、これからまだ10日程は楽しめるのではないかと思う。「是非一度ご訪問を!。」
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