透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「老化と寿命の謎」を読む

2024-08-14 | A 読書日記


■ 信濃毎日新聞の科学面に2023年1月から2024年4月まで連載された記事「老化と寿命の謎を探る」を基に書籍化された『老化と寿命の謎』飯島裕一(講談社現代新書2024年)を読んだ。ぼくはこの新聞連載記事を毎回読んでいて、本になればいいな、と思っていた。

この本は次の3章で構成されている。
第1章  寿命をめぐって
第2章  なぜ老いるのか
第3章  健康長寿への道  ―  加齢関連疾患とつきあう

第1章  寿命をめぐってでは寿命400年とされるニシオンデンザメや寿命30年のハダカデバネズミなどの長寿動物を取り上げて、寿命を左右する代謝量について解説している。

この中で、なぜ大人になると子どもの時より1日が短く感じるのか、という疑問にも答えている。
代謝量の変化で説明がつきそうだとして、**体温が共通しているヒト同士の代謝量の比較は、体重の違いだけで割り出される。渡辺教授(筆者注:渡辺佑基 総合研究大学院大学統合進化科学研究センター教授 32頁)は、「25キロの子どもと65キロの大人を比較すると、時間の濃度は子どものほうが1.3倍も濃い。大人の1日24時間に換算すれば、子どもの1日は31時間で、7時間も余分にあることになる」と説明した。**(35頁)

哺乳類では世代時間も寿命も、体重の4分の1乗に比例して増える(34頁)という説明から上記のことを計算してみると、時間濃度≒1.2697倍となった(計算違いをしていなければ)。

第2章  なぜ老いるのかでは老化のメカニズムに関する最先端の研究を紹介している。専門的で難しい内容だが、新聞連載中も興味深く読んでいた。残念なことに新聞記事ではカラーだった説明図が本ではモノクロ(白黒)になっている。

自然免疫:好中球 マクロファージ 樹状細胞 ナチュラルキラー細胞
獲得免疫:ヘルパーT細胞 キラーT細胞 制御性T細胞 B細胞
ミトコンドリア、サイトカイン、アポトーシス、オートファジー、ルビコン、エピゲノム・・・

例示したような専門用語は、例えば今年の1月に読んだ『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)にも出てきたと思うが、その意味は既に忘れているが、ヒトの体の加齢に伴って自然免疫も獲得免疫も働きが低下するということ、いや免疫機能だけでなくあらゆる機能が低下するということはさすがに知っている。

実に用心深くできている免疫システムの解説を読んでいて、コロナワクチンって免疫システムを混乱させるんじゃないのかなと思った。必要な免疫反応をしなかったり、過剰に反応したり(サイトカインストーム)。『免疫「超」入門』を読んだ時も同じ様に思ったけれど。手足口病などのウイルス性疾患が流行しているのはそのせいじゃないのかな、などと考えてしまう・・・。

第3章  健康長寿への道  ―  加齢関連疾患とつきあうでは、加齢とともに老いる体に表れる様々な病状の解説と、それらと如何につき合うかが論じられている。




2024年1月22日付信濃毎日新聞科学面(9面)より

上掲した新聞記事には「睡眠時間  年齢とともに短く」「無理に寝なくてもいい」という見出しで睡眠時間やその質が加齢に伴って変化することについて書かれている。ぼくはこの記事を読んで、そうなんだと安心感を覚えた。それで記事を取っておいたが、この本でも第3章の17節「眠りをそれほど必要としていない高齢者」に掲載されている。新聞連載時と同じ構成ということが判る。

本書の最後(第3章  第24節)の見出しは「人生の実りの秋(とき)を豊かに過ごすために」。これは高齢の読者へのエールだろう。


 


「水中都市・デンドロカカリヤ」を読む

2024-08-13 | A 読書日記


 安部公房の短編集『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫1973年発行、1993年25刷)再読。1993年に読んだのであれば31年ぶりの再読ということになる。

表題作の『水中都市』についてカバー裏面の本書紹介文から引く。**ある日突然現れた父親と名のる男が、奇怪な魚に生れ変り、それまで何の変哲も無かった街が水中の世界に変ってゆく(後略)** 

安部公房の代表作『箱男』が映画化され、今月(8月)23日に公開される。もし、この『水中都市』も映画化されれば、描かれているあるシーンの映像は直視できないと思う。そのくらいホラー。

上の紹介文は次のように結ばれている。**人間存在の不安感を浮び上がらせた初期短編11編を収録。そう、既に書いたけれど、人間が存在することとはどういうことなのかという問いかけ、これは安部公房がずっと問い続けたテーマだった。

収録作品では『手』が印象に残った。主人公のおれはどんな人物なのか、と思って読み進めると、かつて伝書鳩だったということが判る。飼い主は鳩班の兵隊だった。戦争が終って、その鳩は見世物小屋でマジックに使われ、その後、はく製になる。そして「平和の鳩」というブロンズ像になり、それから秘密工場に運ばれて溶解され、別の工場に運ばれて様々なものに加工され、一部はピストルの弾になる。おれをつめ込んだピストルが狙ったのは・・・。展開の意外性。

『プルートーのわな』はブラックなイソップ、という感じ。ねことねずみの物語。あまり安部公房的ではないとおもうけれど、おもしろい。

『闖入者』はある日突然、一人暮らしの男の部屋に見知らぬ家族がやってきて、あたかも自分たちの部屋であるかのように居座り続ける。男を小国、家族を大国に、あるいは家族を日本に置き換えれば、侵略戦争の理不尽さを描いた作品とも取れるかもしれない。いや、暗喩的な表現だと解さない方が良いのかもしれない。ドナルド・キーンが解説で**説明できないところにこそ安部文学の魅力が籠っているのである。**(268頁)と書いているように。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。8月12日現在14冊読了。残り9冊。月2冊のペースで年内に読了できる。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


「帰郷」を読む

2024-08-06 | A 読書日記


 浅田次郎の『帰郷』(集英社2016年 図書館本)を読んだ。

太平洋戦争で激しい戦闘が繰り広げられた沖縄戦で生き残った指揮官と戦死した部下の遺族の往復書簡をめぐる実話『ずっと、ずっと帰りを待っていました』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んでいたので、図書館でこの本が目に入ったのかもしれない。

表題作の「帰郷」ほか5編を収める小説集。印象に残ったのは「帰郷」だった。終戦直後の新宿で復員したばかりの古越庄一は体を売って日々を食い凌ぐ女に声をかける。マリアという通り名のその女は綾子。

**「金ならこの通り持っているが、あんたを買うつもりはないんだ」
(中略)
「どこかで、俺の話を聞いてくれないか」**(11頁)

連れ込み旅館の一室で庄一は綾子に出兵から復員直後までの出来事を語る。庄一の出身地が信州松本ということ、そして綾子も信州だったことが、この物語にぼくを引き込んだ。

復員して神戸港から名古屋へ。そして中央線に乗り継ぎ、松本駅に着いた庄一は義兄(二番目の姉の亭主)の三郎に声をかけられる。

**「なあ、庄ちゃ。聞き分けてくれねえか」
ぴったりと俺に体を寄せ、うなだれた頭を合わせるようにして、三郎さんは言った。
「僕と出くわしたのは、偶然なんかじゃねえぞ。きっと、諏訪の大神様の思し召しだ。だでせ、庄ちゃ。ここは何も言わねえで始発の汽車に乗れってこっさ。どっかに落ち着いたら、松本高校の気付けで便りをほしい」
三郎さんは懐を探って、ありったけの金を俺の掌に握らせた。(後略)**(42頁)

庄一は西太平洋のテニアン島で戦死を遂げたと戦死広報が伝えた。庄一の家では葬式を出し、墓石も建てた。妻の糸子は庄一の弟の精二と再婚していた。庄一のふたりの娘・夏子と雪子は精二の子になり、**「あんなあ、庄ちゃ。糸子さんの腹の中には、精ちゃの子がいるずら」**(44頁)と三郎は庄一に伝える。

**「夏子も精ちゃをおとうさんと呼んでるずら。雪子ははなから、精ちゃを父親だと信じてるがね。糸子さんも了簡してる。な、庄ちゃ。僕は誰の肩を持ってるわけじゃねえでせ、庄ちゃも了簡しとくれや」**(44頁)

生きて帰ってきて、松本駅で義兄に説得される庄一。**(前略)糸子をねぎらい、夏子を膝に抱き、まだ見ぬ雪子に頬ずりをしたかった。**(44頁) 

ああ、これを戦争の悲劇と言わずして何と言う。三郎に説得され、新宿に出てきた庄一は綾子に声をかけたのだった。

宿の一室で綾子に一通り話をしてから、庄一は言う。

**「あんたに頼みがある」
(中略)
「俺と一緒に、生きてくれないか」**(48頁)

もうだいぶ前のことだが、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)を読んで、涙小説だと書いた(過去ログ)。表題作の「帰郷」も涙小説、切なくて何回も涙があふれた。

この先、庄一と綾子はどう生きて行くのだろう。ふたりが歩む人生物語を読みたかった。短編なのは残念。





望楼型 層塔型

2024-08-03 | A 読書日記

 


 『松本城のすべて 世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)に掲載されている麓 和善・名古屋工業大学名誉教授の特別寄稿「日本城郭史上における松本城天守の価値」を読んだ。以下、私の理解し得た内容を記す。

天守には「望楼型」と「層塔型」のふたつの様式がある。
望楼型は低層の櫓の上に、小さな望楼状の建物を載せた形式。
層塔型は何層にも重なった塔のように、各層の逓減率が一定の形式。
1579年竣工の安土城天守から1638年再建の江戸城天守に至るまでの約60年間に天守は望楼型から層塔型へと発達したという。

木造架構技術にも「井楼式通柱構法」と「互入式通柱構法」のふたつの架構方法がある。
井楼式は2階分の通柱を配し、その上に梁を井桁に組み、これを構造単位として重ねて天守を組み上げる構法。
互入式は各階交互に通柱を配し、天守を一体的に組み上げる構法。
※ 柱の平面的な位置、梁との位置関係の条件の記述を省略している。

大雑把に捉えれば望楼型の天守には井楼式通柱構法が、層塔型の天守には互入通柱構法が対応しているというが、スパッと対応付けられるものでもないようだ。


松江城(築城:1611年 国宝指定:2015年)撮影日2019.01.11(33会の旅行)

松江城天守は4重5階で1,2重が同規模で、2重目の大きな入母屋屋根の上に小さな3,4重目が載る望楼型だが、架構は互入通柱構法。


松本城(築城:1593,4年 国宝指定:1952年)撮影日2019.01.17

松本城天守は5重6階で1,2重がほぼ同規模だが、松江城とは異なり2重目に大きな入母屋屋根はなく、2重目から5重目の逓減率がほぼ一定ということが写真で分かる。だが、架構は井楼式通柱構法。

このことについて、著者の麓さんは**望楼型の架構形式をとりながらも、外観は先駆的に層塔型の様式を実現した天守、言い換えれば技術的には望楼型の時代に、外観意匠のみ層塔型としたと見るのが正しい。**(257頁)と解説している。

なるほど。  なぜ、そんなことをしたのだろう・・・。

麓さんはその理由を次のように説いている。**松本城天守は、豊臣政権による徳川家康への牽制・威嚇という戦略的意味が込められ、いまだ技術的には望楼型の時代に、5重の天守としての威容を誇示するために、外観意匠のみ層塔型として作られた。**(260頁)

なるほどねぇ。

今度、松本城を見学する機会があったら、井楼式通柱構法だということを確認しよう。


 


だれが日本を養うのか?

2024-07-24 | A 読書日記


『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』高橋五郎(朝日新書2023年)を読み終えて、ふと昔読んだ本のタイトルが浮かんだ。その本を自室の書棚から取り出してきた。『だれが中国を養うのか?』レスター・R・ブラウン(ダイヤモンド社)という本で、巻末に発行年が1995年と記されている。30年近く前に読んだ本だ。このタイトルに倣って、記事のタイトルを「だれが日本を養うのか?」とした。


『だれが中国を養うのか?』の章及び節の見出しはそのまま日本に当てはまる。「縮小する耕地」「限界にぶつかる土地生産性」「拡大する穀物不足」「穀物を求める競争」「食料不足の時代が始まる」・・・

スーパーマーケットで買い物する時、産地を確認すると多くが外国産だ。魚、肉、大豆製品、小麦製品・・・。日本は食料を自国で賄うことができず、輸入に頼っていることはみんな知っている。国産にこだわろうとすると品数は少なく、高価だ。

『食料危機の未来年表』を読むと、サブタイトルの「日本人が飢える日」が決してあり得ないことではないのだなと思う。序章に掲載されている未来の飢餓年表によると、2020年の世界の飢餓状態人口は17億3,800万人(世界の人口78億500万人)となっている。実に世界人口のおよそ22.3%、5人に1人が飢餓状態にあることになる。そして2100年には5人に2人が飢餓状態になることが予測され、同表に示されている(世界の飢餓状態人口43億2千万人/世界の人口103億6千万人)。

著者が示すカロリーベース食料自給率は18%で、農水省が示す38%を下回っている。どちらのデータを採るにせよ、日本は食料自給率が低いことに変わりはない。著者の試算による各国の食料自給率(カロリーベース自給率(全穀物・全畜産物)2020年)を見ると、日本は128位(182国中)となっていて、「隠れ飢餓」状態にあると指摘している。

著者は**危機感を煽るようなことは避け、真に国民が知るべきことはなにかということについて、原点に立ち返って考えてみることにしたのである。**(67頁)と記しているが、本書読むと、「日本の現状、まずいなぁ」と思う。

農水省のホームページに載っている食料・農業・農村基本法の第2条には国民が最低限度必要とする食料は、凶作、輸入の途絶等の不測の要因により国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、又はひっ迫するおそれがある場合においても、国民生活の安定及び国民経済の円滑な運営に著しい支障を生じないよう、供給の確保が図られなければならない。とあるんだけどなぁ(太文字化は私がした)。

国際社会が協力してこの問題に取り組まなければならないのに、戦闘機の共同開発なんかしている場合か。


 


「ずっと、ずっと帰りを待っていました」

2024-07-18 | A 読書日記

360
『ずっと、ずっと帰りを待っていました  「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んだ。

本書の著者のふたりは元朝日新聞のカメラマンと元読売新聞の記者の夫婦。沖縄本島で戦没者の遺骨や遺留品を収集、身元を特定して遺族に返還する活動にボランティアで取り組んでいる。

**米軍の戦史にも、「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる沖縄戦**(12頁)では20万人以上が犠牲となったと言われている。若き指揮官・伊東孝一大隊長は沖縄戦から奇跡的に生還するも、率いていた部下1,000人の9割は戦死していた。終戦の翌年(昭和21年)、伊東はおよそ600通の詫び状を遺族に送る。直後、伊東の元には356通もの返信が届く。伊東はその手紙を70年もの間、保管していた。

浜田夫婦が伊東孝一と面会したのは2016年3月。この時、95歳だった伊東は、**手紙は誰にも見せるつもりはない。私が最期を迎えた時、棺に入れて焼いてくれるよう遺言を残してある。**(8頁)と浜田哲二に伝える。だが、あることを理由に(ここでは書かない)伊東はその後、356通の手紙を浜田夫婦に託す。手紙を世に出して、沖縄戦の真実をより多くの人に伝えて欲しいという願いを込めて。

手紙を世に出すためには差出人(戦死した兵士の妻や父親、母親)の遺族の了承を得なければならない。困難を極める遺族探し・・・。**遺族の死去や転居、地名変更や自治体の消滅など**(11頁)70年の時という高い壁。行政に問い合わせても個人情報保護を理由に回答を拒まれる。それでも2024年2月の時点で手紙の四分の一を遺族に返還することができたという。

本書では25通の手紙が取り上げられている。各々について、伊東孝一の手記や復員した兵士、戦没者やその家族の手紙や証言、その他の記録などを参照して構成された兵士の最期の姿がまず描かれる。続いてその戦没者の遺族探しの様子や出兵前の家族との暮らしの様子などが描かれた後、詫び状を受け取った家族の伊東に宛てた手紙が紹介されている。手紙に書かれているのは伊東大隊長への感謝、困窮する暮らし、父親を知らない幼子を育てる苦労、世間の冷たい視線・・・。

本書の目次には手紙の中の言葉が使われている。
「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」
「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」
「今は淋しく一人残され、自親もなく子供もなければ金もなく」
「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」
「御貴書により、あきらめがつきました」
「息子の帰りを、一日千秋の思いで待って居りました」
  ・・・・・
どの手紙を読んでも涙が流れる。

そして手紙を親族(子どもや甥・姪ら)に直接手渡した時の様子が描かれる。再婚した母親への不信感が解かれる息子、泣き崩れる妹・・・。それを読んで涙、涙・・・。

1945年(昭和20年)8月の終戦からまもなく79年経つ。だが、太平洋戦争はまだ終わってはいないのだな、と本書を読み終えて思った。

 *****

「新しい戦前になるんじゃないですかね」 

**昨年の暮れ(2022年12月28日)に放送されたTV番組「徹子の部屋」でゲストのタモリは黒柳徹子さんの「2023年はどんな年になるでしょう」という問いに、このように答えた。「新しい戦前」か・・・、私もこの番組を見ていて、なるほど戦後が終って、再び戦争へと向かうような状況になってしまったな、と思った。**(2023年9月12日の記事)

 *****

本書を多くの人に読んでいただきたいと切に願っています。


文中敬称略


海の日に

2024-07-15 | A 読書日記

 今日、7月15日は海の日。海から登る朝日、あるいは海に沈む夕日の印象的な写真が撮れたらいいけれど、ここは海無し県長野だから、ちょっと写真撮ってくる、というわけにはいかない。海釣りの趣味もないし。

廻りを山に囲まれた環境で育つのと、眼前に広がる海を日々目にして育つのとでは志が違ってくるだろうな、と思う。やはり龍馬は後者の環境が生んだのだと思う。廻りを山に囲まれた環境だと、あの山の向うはどうなっているんだろう・・・って思う子もいるだろうが、そこまで見えない世界を広げることができるのかどうか・・・。内側に向かう内省的な人間が育つのだろう。で、海無し県長野から岩波茂雄や古田 晁(筑摩書房の創業者)、小尾俊人(みすず書房の創業者)ら出版人が生まれ育った・・・。これ本当かな、眉唾な珍説をでっちあげちゃったかな。


何かタイトルに海の文字が入る小説やエッセイがないかな、それも文庫・・・。直ちに浮かぶのはやはり『老人と海』だが、自室の書棚にはない。高校生の時に読んだのかな。


2007年に村上春樹の長編小説を集中的に読んだ。今年安部公房を集中的に読んでいるのと同じように。その中に『海辺のカフカ』上下があった。だが今、手元にあるのは『羊をめぐる冒険』上下(講談社文庫)のみ。過去ログ


北 杜夫の『どくとるマンボウ航海記』も忘れちゃいけない。

 
安岡章太郎の『海辺の光景』もある。


南木佳士には『海へ』というエッセイだったかな、がある。南木佳士のこれらの作品も今は書棚にはない。

読んだことがある作品で直ちに浮かぶのはこんなところかなぁ。


フランスの作家・ヴェルコールの『海の沈黙・星への歩み』岩波文庫があった。10代の時に読んだ短編。内容は忘れてしまったけれどタイトルは覚えていた。

帯に**ナチス占領下、深い沈黙を強いられた〝自由の国フランス〟で人間の尊厳を守り自由のために生命を賭けた市民の姿に肉薄する抵抗文学**とある。『海の沈黙』はテレビ番組で紹介され、読んでみようと思ったことを覚えている。書棚から取り出して写真を撮った。


冬の海。五能線に乗って、酒(ビールじゃなくて日本酒)をちびちび飲みながら冬の日本海を見てみたいなあ・・・。人生って寂しいなぁとかなんとか想いながら・・・。


「散華 上下」を読む(加筆)

2024-07-15 | A 読書日記


■ 『散華 紫式部の生涯 上 下』杉本苑子(中央公論社1991年 図書館本)を読んだ。

上下巻各8章、約830頁の長編。副題が「紫式部の生涯」となっている通り、紫式部と後年呼ばれることになる小市が7歳の時から始まる物語には52歳で生涯を閉じるまでの45年間が描かれている。

悲しいかな僕はこの長編を「物語」として読むのに必要な登場人物の名前や人間関係を記憶する能力、短期記憶力が衰えている。老いは容赦ない・・・。掲載されているいくつもの系図を頼りに、あるいはあれこれノートにメモしながら記憶力を補い、何とか読み終えた、というのが本当のところ。

と、断った上で、この小説の圧巻は下巻の「宇治十帖」だと言いたい。「宇治十帖」は杉本苑子さんの「源氏物語論」だ。紫式部は本編をどう自己評価したのか、なぜ続編とも位置付けられる「宇治十帖」を書いたのかについて論じている。

以下、そのように思う箇所を長くなるけれど何か所か引用したい(引用ばかりで気が引けるけれど・・・)。

**宮廷生活の華やぎに身を置き、物語の作り手として賛嘆の声にとりまかれる日常であればあるほど、そこから遊離し、暗い、孤独な淵の底へ、一個の石となって果てしなく沈んでゆく自分を感じる。
そして、そのような心の在り方を透(とお)して、改めて自作を読み返してみると、光源氏はあまりのも理想の人、美と栄光の権化でありすぎた。**(下巻319頁) 
このような反省を小市(紫式部)にさせて、その理由を内省的な性格に生まれついたことに因ると杉本さんは書いている。

**(このままでよいのか? 物語のどこに、わたしがいる? わたし自身の本当の声は、どこに聞こえる?)**(下巻321頁 太文字化は私)
**別人の作とすら思えるほど、しかし『宇治十帖』から受ける印象は前作とは異なっていた。**(下巻327頁)
杉本さんはこのように書き、続けて具体的にどう違うのか、指摘している。
**文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」ということだろう。(中略)小市の――紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである。(中略)数知れぬ読者の、主観や個性に合せ、その側におりて行って多様な注文に応じきることなど、しょせん一人の書き手にできることはない。することでもない。
では、どうすればよいか。答えはただ一つ、作者は自分のためにのみ書き、自分の好みにのみ、合せるほかないのだ。すべての読者が、おもしろくないと横を向いてしまっても仕方がない。自分が「よし」と思うその気持ちに合せて書く以外に、拠りどころははない。**(下巻333頁) 
このような指摘は言うまでもなく、同じ書き手としての杉本さんの文学論でもあるだろう。

以上のように書かれている「宇治十帖」を読んで、同じようなことを書いたな、と次の記事を思い出した。

**『源氏物語』全五十四帖のうち、最後の十帖が「宇治十帖」で、ここに最後のヒロイン・浮舟が登場する。柴井さんの見解によれば、浮舟はこの長大な物語の主人公、また三田村さんは浮舟に紫式部の願いが投影されていると指摘している。この「宇治十帖」については紫式部ではなく別人が書いたのではないか、という説が昔からあるという。ぼくもこの説を唱える本を読んだ。だが、ぼくはただ単に願望として、紫式部がしがらみを解き、書きたいことを書きたいように書いた結果だと解したい。**(拙ブログ2024.05.14の記事から引用した。文中の太文字化は本稿でした)

やはり、そうですよね杉本さん。

1月に始まった大河ドラマ「光る君へ」も前半が終わったが、まひろ(紫式部)はまだ「源氏物語」を書き始めていない。『散華』でも上巻ではまだ小市は書き始めない。貴族社会の次のような現実を冷徹な目で観察している。
**表面、優雅な日常の裏で、血で血を洗う苛烈な闘争がくり返されてきたのは、勝者の側に立つ者と、敗者の側に押しやられる者との明暗が、あまりといえば際だつからであった。追い風を受けていったん上昇気運に乗れば、栄華の極みにまでのぼりつめ、その逆だと乞食すれすれの境遇にも堕ちかねない。明と暗、栄光と没落の図式が極端に別れるところに、この時代の貴族社会の、むごたらしい現実が露呈していた。**(下巻330頁)

小市が次第に書いてみようかなという気持ちになっていく様も描かれている。

貴族社会における恋の不条理さを言う小市に向かって、叔母(父親の為時の妹)の周防は言う。**「難のない人間はいず、不条理や不公平を伴わない愛もない。それが現実ならば、せめて物語の中ででも、理想の男性像を求めるしかないわね。小市さん、書いてみたら?」**(上巻420頁)
おそらく小市もこの様な気持で書き始めたのだろうが、次第に光源氏が自分の気持ちと乖離していき、結果として続編「宇治十帖」を書くことになったということだ。

**幾度となく読み返し、一字一字、引き写していくうちに、文字の背後にひそむ底力のごときものに小市は触発され、わしづかみにされて、
(書いてみたい! わたしも!)
激しい願望の虜となった。
(あの人に書けるなら、わたしにだって・・・・・)
でも、それは単なる比較でも競争心でもなかった。『枕草子』を凌ごうなどという気はまったくない。清少納言と張り合うつもりも、微塵もなかった。**(下巻159頁) 
そうかなぁ・・・。

**「和泉式部は情の人、清少は感性の人、そしてわたしは・・・・・」理の人とでも位置づけて、書きつづけるほかないと小市は思う。**(下巻275頁)
和泉式部、清少納言(よく分からないけれど清少納言を清少としている箇所がある)そして紫式部。平安の女流作家3人に対する杉本さんの寸評ということになる。なるほど、これは覚えておきたい。

文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」と書いてあった。だからこんな読み方をしても構わないだろう・・・。

**「ながいこと本当にごくろうさまでしたね紫式部。わたくしたちばかりでなく、源氏物語ははるか後の代まで生きつづけ、たくさんの人々に読まれつづけていくことでしょう。物語の命、その力に較べたら、一ッときを支配する権力など、儚いものですね」**(下巻334頁)
これは杉本さんが彰子中宮に語らせた労りの言葉。


大河ドラマ「光る君へ」は恋愛ドラマだと思うけれど、『散華』にはあまりそのような雰囲気は感じない。ともに紫式部の生涯を描いているけれど、テイストはかなり違う。


「散華 紫式部の生涯」杉本苑子

2024-07-08 | A 読書日記

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『散華 紫式部の生涯 上』杉本苑子(中央公論社1991年図書館本)

 毎週月曜日と木曜日の午前中、9時半ころから10時半ころまでなぎさライフサイトのスタバで朝カフェ読書をするのが私の日々の生活での1週間単位のルーティン(routine)。今朝(8日)は『散華』上巻を読んだ。『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いた小説と知り、読んでみようと思った。で、図書館で借りてきて、読み始めた。

登場人物が多い。「藤原為頼・為時略系図」「藤原文範関係略系図」「藤原義懐略系図」というように示されてはいるが・・・。『源氏物語』(現代語訳)を読んだ時と同じように、これらの系図を参照しながら読む。

読み始めて感じたことをどう例えよう。そう、出航前の客船に次々乗客が乗り込んでくる様を描いているかのよう。やがて出航し、航海するだろう。どんな航海なのか・・・。平穏な航海ではないだろうと予想する。

下巻の目次を見ると「越前国府」から始まっている。主人公の小市(紫式部、大河ドラマではまひろ)が『源氏物語』を書きはじめるのは下巻になってから、と分かる。下巻の第6章は「宇治十帖」。下巻を楽しみに読み進めよう。

読み始めたばかりだけれど、この小説をスタバで顔見知りの店員さんに薦めた。彼女はぼくと同じで、角田光代訳の『源氏物語』を読んだと聞いているので。


 


「第四間氷期」を読む

2024-07-04 | A 読書日記


 マイクル・クライトン(マイケル・クライトン)は『ジュラシック・パーク』(ハヤカワ文庫)で、琥珀に閉じ込められた蚊の体内に残っていた血液から抽出したDNAをスーパーコンピューターで解析、複雑な作業を経て恐竜をよみがえらせるというアイデアを提示した。


また、安部公房は『第四間氷期』(新潮文庫1970年11月10日発行、1971年3月10日2刷)で、胎児は生命の進化の過程を再現する(*1)ということから、水棲哺乳類、水棲人間を誕生させた。

**御存知のように、個体発生は系統発生を繰返すものです。厳密に言えば、祖先の形をそのまま繰返すわけではないのですが、ともかく基本的な対応関係をもっている。そこで、その発生的段階において、なんらかの手を加えてやれば、その生物を系統発生から引離し、まったく新しい種にしてやることもできるわけだ。**(141頁)作品中には鰓呼吸する水棲哺乳類、水棲人間の育成プロセスの詳細な記述がある。

安部公房の『第四間氷期』はサスペンス的な要素もあるSF。安部公房の想像力の凄さに感動すら覚えた。

太平洋海底火山群の活発化等による海面上昇で**ヨーロッパはまず全滅、アメリカにしても、ロッキー山脈をのぞけば完全に全滅だし、日本なんか、先生、山だらけの小島がぽつんぽつんと、五つ六つ残るだけだというんですからなあ・・・・・。**(231頁)

こんな未来予測にどう対応するか。水棲人、海中で生存できる人間に未来を託そうとする研究者たち・・・。安部公房がこの作品を発表したのは1959年(昭和34年)、テーマは古くなるどころか、今なお、極めて現代的だ。

3月から安部公房の作品を通読しているが、感じるのは論理的で緻密な思考。『第四間氷期』でもこのことを感じた。展開されるストーリーは説得力があってリアル。荒唐無稽な印象は全くない。ラストの紹介は省略するが、なんとも印象的でかなり上空から海面を俯瞰する映画のラストシーンのよう。



*2 **胎児たちは、あたかも生命の誕生とその進化の筋書きを諳んじているかのごとく、悠久のドラマを瞬時の〝パントマイム〟に凝縮させ、みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。**と『胎児の世界』(中公新書)の著者、三木成夫氏はまえがきに書いている。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。7月4日現在13冊読了。残り10冊。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読む

2024-07-02 | A 読書日記

360
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(集英社新書 2024年4月22日第1刷発行、5月19日第3刷発行)を読んだ。この本は今ベストセラーになっているそうだ(6月22日付日経新聞読書(書評)面ほか)。

著者の三宅さんは本が読めなかったから、会社を辞めたとのこと。本の虫。**好きな本をたくさん買うために、就職したようなもの**(14頁)とまで言う三宅さん。

本も読めない働き方が普通の社会っておかしくないか、という問題意識から明治以降の読書の歴史を労働との関係から紐解き、読書の通史として示している。読書史と労働史を併置し、どうすれば労働と読書が両立する社会をつくることができるか、を論じている。

本書の終盤のなぜ本は読めなくてもインターネットはできるのか、という論考は興味深い。三宅さんは本は知りたいことだけでなく、「ノイズ」も含まれている、インターネットの情報はノイズが除去されていて、知りたいことだけ提供されてると指摘し、次のようにまとめている。**読書は欲しい情報以外の文脈やシーンや展開そのものを手に入れるには向いているが、一方で欲しい情報そのものを手に入れるに手軽さや速さではインターネットに勝てない。**(207頁)


『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史(光文社新書2023年 過去ログ

映画を早送りで観る人たちが話題になったことも本書で取り上げられている。映画を鑑賞モードではなく、情報収集モードで見る人たち。効率よく情報を得るのに、ノイズ混じりの読書は不向きだ。ノイズのない情報をいかに効率よく収集するか、現在の労働社会では情報収集の効率性が求められる。だから読書ではなくインターネット、という図式。

**本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。**(234頁)

だが、自分とは異なる価値観、自分には関係がないと感じる知識、ノイズこそ大切だ、と三宅さんは説く。**他者を人生に引き込みながら、人は生きていかなくてはならない。**(230頁)のだから。他者を自分の人生に引き込むとは、自分とは関係ないと思われるノイズを排除しないで受け入れること。

それを可能にするために三宅さんは全身全霊をやめよう、全身労働社会から半身労働社会、分かりやすく言えば働きながら本を読める社会への転換を提言する。

「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ってどんなことが書かれた本ですか?」とKちゃんに問われれば(Kちゃんでなくても)、「要するにワーク・ライフ・バランスを最適化しましょう、と説いた本」とぼくは答える。「読書好きな著者の三宅さんはワーク・ライフ・バランスのライフを読書に代表させて「仕事と読書の調和」の必要性を説いている。これを個人の問題に帰着させてしまうのではなく、働き方と関係づけて論じたところがミソかな」と。そして、「巻末に示されている参考文献は10頁にも及ぶ。このような多くの文献をベースに分かりやすく論じているところも本書の魅力」と付け加える。


 


「絶景鉄道 地図の旅」を読む

2024-06-29 | A 読書日記


 上高地線の下新駅の駅舎で開かれる古書店『本の駅・下新文庫』で買い求めていた『絶景鉄道  地図の旅』今尾恵介(集英社新書2014年)を読んだ。

この本の著者・今尾恵介さんは地図研究家で地図を眺めていると風景がかなり現実に近く想像できるという。例えば次のように。**たとえば和歌山県の地形図なら、狭い等高線間隔の中に果樹園の記号が規則正しく配置されていれば、急斜面をびっしり埋め尽くしたミカン山であり、そこを二センチおきに等高線を跨いでいく鉄道の記号があれば、二〇パーミルの急勾配を走る列車の姿も思い浮かぶ。いや、和歌山県だと場所によっては梅干しの梅と採るための梅林(同じ果樹園の記号)かもしれないが。**(8頁)

そんな今尾さんが25,000分の1の地形図でイメージする鉄道のある風景。ただ地図が好き、鉄道が好きというだけの私は本書のマニアックな世界にはなかなか入り込めなかったが、興味深い記述もあった。


立場川橋梁(撤去することが決まっている) 2012年9月撮影 

本書は富士見町にある立場川橋梁についても触れている。この橋梁はボルチモア・トラス(平行弦分格トラス)だという説明がある。平行弦トラスは、上の写真で分かる通り、上下の弦(横方向の部材)が直線で平行のトラスのこと。ここまでは知っていた。

で、分格トラスって何? 調べてみた。格点とは部材と部材の結合点のことで、節点とも言う。なるほど、分格って格点をいくつかに分けたトラスという意味なのか。

ボルチモア・トラスは載荷弦(立場川橋梁では上弦で、ここに列車の荷重がかかる)側に副材を配置して斜材の歪みを防ぐという説明がある。なるほど。 記載されている内容を正しく理解すればまた新たな興味が湧く。

また、本書は余部橋梁についても触れている。**この余部橋梁は長さ310.6メートル、高さは最大で41メートルに及ぶ大きな橋で、日本では珍しいトレッスル橋の最大の橋として知られていた。トレッスル橋とは複数の高い櫓(トレッスル)の間に橋桁を渡す形式で、幅広く深い谷に架けられることが多かった。**(142頁)

この橋梁(鉄橋)は『途中下車の味』宮脇俊三(新潮文庫)にも出てくる。** 道が右に急カーブすると、山間(やまあい)にわずかな平地が広がり、前方に余部鉄橋が全容を現した。火の見櫓のような橋脚が11基、ずらりと並んでいる。**(23頁) 


旧余部鉄橋 ウィキペディアより

宮脇さんはこの橋脚を火の見櫓に喩えた。今尾さんも高い櫓(トレッスル)と書いている。ウィキペディアにtrestleとは末広がりに組まれた橋脚垂直要素(縦材)と出ている。なるほど。ここで注意すべきは末広がりという条件。

本書の構成は次の通り。
第一章 地形図で探す「鉄道の絶景」
第二章 過酷な道程を進む鉄道
第三章 時代に左右された鉄道
第四章 不思議な鉄道、その理由
第五章 鉄道が語る日本の歴史

私は地図がもっと大きければよかったなとか、車窓の風景写真がもっと掲載されていればよかったなと思ったが、マニアな人たちにはこれで充分というか、これでなければいけないと思うのだろう。


 


「箱男」を読む

2024-06-29 | A 読書日記

 安部公房の代表作の一つ『箱男』が映画化され、8月に公開されるという。是非観たい。どのような映像表現がされているのだろう・・・。映画を観る前に読んでおこうと、残りの他の作品に先んじて『箱男』(新潮文庫1982年10月25日発行、1998年5月15日31刷)を読んだ。


『箱男』を箱本(などという言葉はないと思うが)、箱入りの単行本で読んだのは1977年だった。その後、文庫本で1998年、2009年に読み、2021年にも読んでいる。

やはり安部公房の代表作である『砂の女』は要するに人間が存在すること、とはどういうことなのかという問いかけだった。既に書いたけれど、これは安部公房がずっと問い続けたテーマだった。『箱男』のテーマも『砂の女』とそう差異はないのではないか、と思う。箱をかぶることで自己を消し去るという、実験的行為。他者との違いは何に因るのか、他者と入れ替わるということは可能なのか・・・。

読んでいて、贋箱男なのか本物の箱男なのか混乱してくる。注意深く読み進めればそんなこともないのだろうが、どうもいけない。注意力も記憶力も読解力も低下している。いや、安部公房はテーマに沿って意図的に読者を混乱させようとしていたのかもしれない。

今のSNS上の人間って、ダンボール箱をかぶって、のぞき窓から人を観察する箱男と同じではないか。自分が誰であるかを明らかにしないで、即ち自己を消し去って、SNS上に情報を発信し、SNS上の情報を受信する人間と箱男は重なる。

『箱男』は表向きエロティックな小説である。このことを示す箇所の引用はさける。2021年2月に読んだ時の感想を次のように書いている。**単なる覗き趣味のおっさんの物語じゃないか、などという感想を持ってしまった。いや、そんなはずはない・・・。やはり僕の脳ミソはかなり劣化している。**

自己の存在を規定するものは何か、それを手放すとどうなる・・・。安部公房が読者に問うているテーマは今日的だ。そして難しい・・・。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。6月28日現在12冊読了。残り11冊。7月以降、月に2冊のペースで読了できる。 

※『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』を買い求めたのでリストに追加した(2024.06.29)。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


 


「研ぎ師太吉」を読む

2024-06-25 | A 読書日記


『研ぎ師太吉』山本一力(新潮社2007年12月20日発行、2008年1月25日2刷 図書館本)を読んだ。読後の感想としてプレバトの「がっかり」は厳しすぎるかもしれない。さりとて「お見事」というわけにもいかない。それはなぜか・・・。

長屋暮らしの腕利きの研ぎ師太吉のところに持ち込まれた出刃庖丁(小説では包丁ではなく庖丁と表記されている)。持ち込んだ若い女性はかおりと名乗り、出刃庖丁は料理人だった父親が使っていた形見だと言う。

**「おとっつあん・・・・・喧嘩相手に、小名木川の暗がりで殺されたんです」**(17頁)本所の料亭で板長に就いたかおりの父親が同じ調理場の料理人を厳しく叱ったために、その料理人から殺されたのだとかおりは言う。

ここからものがたりは、事件の真相を明かすべく動き出す・・・。

主人公の太吉が料理人の使う庖丁を研ぐ仕事をしているだけに、ものがたりには老舗料亭の板長や太吉が通う一膳飯屋のあるじといった庖丁遣いの職人が登場する。他に庖丁をつくる鍛冶屋の職人。それからかおりの他にも飯屋七福の娘・おすみ、太吉の奉公先で働いていた香織という若い女性たち。もちろん事件を解決する同心、目明し、下っ引きも。

ぼくがこの小説を「お見事」というわけにはいかない、厳しすぎるかもしれないけれど「がっかり」としたのは、別件逮捕した男に拷問を加えて自白させ、事件を解決するという終盤の流れに因る。これが読後感を悪くしている。太吉自らの名推理、活躍によって見事に事件が解決されると期待していたので、がっかり。

太吉と登場する娘たちの誰かとの関係が恋に発展するのかと思いきや、淡雪のごとく消えてしまうし・・・。太吉が殺人容疑をかけられたかおりの容疑を晴らして、ふたりは結ばれると予想していたが、それはなかった。香織が離縁されそうだと知り、かおりではなく、香織と結ばれるのか、とも思ったが、そうもならなかった。

**「わけえということは、あれこれ選り好みができるということだが、そろそろ、てめえの気持ちに正直になって落ち着いたほうがいいぜ」
あれはいい娘だ・・・・
代吉は、だれとは言わずに太吉を見詰めた。(後略)**(285頁)ラストがこれでは物足りない。で、がっかり。

このふたつのがっかりがなかったら、かなり甘いけれど「お見事」としたかも。ミステリーも恋も中途半端なのだ。もちろんこれは私見。読後に「お見事」とした読者も少なからずいただろう。


**両国橋のたもとの火の見やぐらが、擂半(近所の出火や異変を報せるために、半鐘を続けざまに叩くこと)を鳴らした。**(44頁)
**仲町の辻には高さ六丈(約十八メートル)の江戸で一番高い火の見やぐらが立っていた。櫓の側面は、黒塗りである。**(185頁)

火の見櫓が出てくる小説として記録しておかなくては。


 


「飢餓同盟」を読む

2024-06-23 | A 読書日記


 安部公房の『飢餓同盟』(新潮文庫1970年発行、1994年25刷)を読んだ。いや、読んだとは言えないか。前衛的な作品というわけでもないけれど、読みこなすことができなくて、ただ字面を追っただけだったから・・・。初期の作品は難しい、いや、脳の劣化著しく、読解力、記憶力がかなり低下していることが主因であろう。

カバーの裏面の紹介文を転載する。**眠った魚のように山あいに沈む町花園。この雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちは、革命にための秘密結社〝飢餓同盟〟のもとに団結し、権力への夢を地熱発電の開発に託すが、彼らの計画は町長やボスたちにすっかり横取りされてしまう。それ自体一つの巨大な病棟のような町で、渦巻き、もろくも崩壊していった彼らの野望を追いながら滑稽なまでの生の狂気を描く。**

ストーリーを要約すれば確かにこんな感じではあるが、滑稽なまでの生の狂気? そうなのか・・・。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版)

今年中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。6月22日現在11冊読了。残りは11冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして12冊。7月以降、2冊/月で読了できる。 


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月