■ 芭蕉の しばらくは 花の上なる 月夜かな という句を前々稿に載せたが、兼好が 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは と「徒然草(第百三十七段)」に書いていることを今日読んだ『和の思想』長谷川櫂/中公新書 で知った。
満開の桜や満月を観るのだけが花見や月見ではない。**雨の夜に見えない月を恋い、花が散ってしまうのも知らず、簾のうちにこもっているのもなかなかいい。**ということだそうだ。なるほど!深い。
著者の長谷川氏は和とはさまざまな異質のものをなごやかに調和させる力のことだと解く。異質の共存が和の本質だと。
古池や 蛙飛こむ 水のおと この句の「蛙飛こむ水のおと」が現実の物音であるのに対して古池は心の世界にあるのだそうだ。現実の物音にそれとは次元の異なる心の世界を取り合わせた、ということで大いなる「和の句」なのだそうだ。
小堀遠州は仙洞御所の庭園で切石で直線的に池の岸を仕切り、松を植え、自然石を組んだ。これは西洋と日本という異質なものを調和させる企てではなかったかといい、隈研吾はサントリー美術館で遠州とは逆のこと、ミッドタウンという最先端の街に和紙や桐という日本古来の素材を持ち込んだと指摘している。
遠州は和に洋を取り込み、隈研吾は洋に和を取り込んで調和させた、ということか・・・、なるほど!! 3連休の最後に興味深い本を読んだ。
巻末の略歴によると長谷川櫂氏は大卒後、読売新聞記者を経て俳句に専念、朝日俳壇選者で「季語と歳時記の会」代表。
しばらくは
花の上なる
月夜かな
芭蕉
30日は今月2回目の満月、ブルームーン。東京あたりでは満開の桜と満月を観ることができるだろう。
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小林秀雄と岡潔の対談を収録した『人間の建設』、小池昌代の『タタド』を読んだ。
『人間の建設』
小林秀雄と岡潔、本のカバーでふたりを文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才と評しているが、お互い相手の領域についても見識を持っており会話が成り立っていることからして凄い。
岡さんがドストエフスキーと比べて**トルストイは端まで一目で見渡される町に似ている。一目でわかるものを歩いてみる気はしない。(後略)**といえば、小林さんは**そういうことはありません。トルストイも偉いです。** と少しムキになってきっぱり。
しばらく文豪ふたりについての会話が続き、**善人で努力家。トルストイを悪く言うのはやめましょう。(後略)**と岡さんが言う。
話題は多岐にわたるが、ふたりは和して同ぜず、自分の見解をきちんと述べている。
『タタド』
人は恋人、夫婦、友人や同僚など他人との関係に規定されて生きている。その関係を「決壊」させた世界を描きたい、と小池さんは以前、NHKの「週刊ブックレビュー」というテレビ番組で語っていた。
東京から車で四時間半(ずいぶん遠い)という海辺にあるセカンドハウスに集まった四人。一組の夫婦、ふたりと旧知の男性、夫の仕事上の知り合いの女優。中年四人のエロスな週末などと書けば少し違うような気もするがラストの一文は・・・。
以前から読んでみたいと思っていたこの小説は川端康成賞を受賞している。詩人でもある著者の感性には同調できなかった。エロスなら川端康成の作品の方がよさそうだ。