■ 10日に行われた長野県の公立高校入試の試験問題が新聞に掲載されていました。「難しい・・・、こんな問題を中学生が解くのか」というのが感想です。数学の問題などは考える気にもなりません。国語の問題を読んでみました。
第一問は『国土学再考』大石久和/毎日新聞社からの出題。なかなか興味深い論考です。早速この本を注文しました。
西洋人の自然観は宗教がベースになっているのでしょう。神様が創造された自然はシンプルな秩序に基づいているはず、という考え方が根底にあると思います。ケプラーが惑星の運動法則を発見できたのもこのような考え方によるものだと『世界の名著 ガリレオ』中央公論社 あたりで読んだように思います。
自然科学の分野で得られた研究成果の多くはこのような「先入観」によるものでしょう。ニュートン然り、アインシュタイン然りでしょう(と根拠もなく書いてしまいます)。彼らは「雪は天からの手紙」(中谷宇吉郎)とは決して考えなかったでしょう(後述)。
西洋の庭園は自然を制御して人工のかぎりを尽くそうとする、と試験問題にはまとめられていますが、その考え方に素直に同意する気にはなれません。前述の「シンプルな秩序に基づく自然」という考え方が西洋の幾何学的に構成された庭園にも反映されているのだと私は思います。そう、シンプルで幾何学的な庭園は西洋人の自然観そのものだと思うのです。
一方、変化に富んだ自然の背後にシンプルなルールが潜んでいるなどとは思いもよらない日本人。
雪の結晶の規則性ではなく多様性を捉えた先の「雪は天からの手紙」ということばは日本人の自然観を端的に示しているでしょう。
日本の庭園にも当然日本人の自然観が投影されています。「自然」のように見せるために日本の庭園からは作庭の緻密な計算が隠されています。
秩序付けられた西洋の都市と混沌とした日本の都市。西洋の小高い丘の上の教会は自然と同様に都市も秩序づけようという意志の表れ。都市の辺縁にひっそりと隠れるように佇む寺は日本人の自然観の反映。このように両者の自然観の違いが都市の構造にまで及んでいると思います。
国語の入試問題を読んでこのような眉唾な説を書いて、今回はオシマイです。