透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

山形村の青面金剛像

2013-11-02 | B 石神・石仏



 山形村の道祖神巡りに参加したことは既に書いた通り。

小坂という地区の道祖神「筒井筒」の右隣にこの青面金剛像が祀られていた。以前ここを訪ねた時は、この像を観察しなかった。庚申塔や青面金剛像のことは何も知らず、関心も無かったから。

さて、この像だがこの国のデザインではないような雰囲気だ。ではどこなのか、中国系? モンゴル系? 具体的に指摘しようにも知識が無い・・・。

六臂、それぞれに持っているものは何だろう。不動明王同様、憤怒の相で威嚇のための武器だろうが、具体的には分からない。

下に彫り込まれている三猿もなんだかのっぺりしていて、映画「2001年宇宙の旅」に出てくる冬眠人間(人工冬眠中の人間の姿)のようだ、なんて書いて分かってもらえるだろうか・・・。

建立年月は像の左右に彫り込まれた文字から寛政元己酉年九月日と分かる。干支は己酉(つちのととり)であって、庚申(かのえさる)ではない。多くはないが、このように庚申ではない年に建立された庚申塔もある。

石神石仏巡りは続く・・・。


 


スケッチの練習

2013-11-02 | A あれこれ



 先日画材店に行く機会があり、小型のスケッチブックとペン(写真)を買い求めた。京都・奈良旅行では風景や街並み、建築、仏像などを写真に撮るだけでなく、スケッチをしようと思って。

下描きを鉛筆で描くと線の太さや表情を変えることができて具合がいい。気に入らないと消すこともできるから、便利だ。だが、いままで敢えて修正できないペンを使い、彩色には水彩絵の具を使ってきた。

今回人生の節目のお祝に同僚からプレゼントされた色鉛筆を使ってみたが風景スケッチに色鉛筆を使ったことがあまりないから、どうのような描法にしたらよいのか分からない。この絵は全体にぱさついた感じで好ましくない。季節はいつであれ、日本の風景の特徴は「水っぽさ」にある。乾いた風景ではないのだ。その表情を表現するのにこの描法は向かない・・・。やはり水彩絵の具でさらっと彩色する方法が好ましい。

でも旅行に絵の具など持って行く気にはならない。ならば風景をあきらめて街並みや建築を画題にするか。待てよ、ペンと色鉛筆10色くらいで「水っぽい風景」を描くことはできないだろうか・・・。

そのためにはこのスケッチのような細切れの線ではだめだ。ペンでなめらかな線を引くのは難しい。だが、できないことはないだろう。色鉛筆でもっとラフに太い線を引くこともできる。今度試してみよう・・・。


 


山形村の道祖神巡り

2013-11-02 | B 石神・石仏

 松本市の隣、山形村で開催された「道祖神と新そば祭」に行き、申し込んでおいた村内の道祖神巡りに参加しました。参加者は20数人でした。



山形村には双体道祖神が21体あるそうです。今回はその内、7体の道祖神を村のマイクロバスで巡りました。以下、各道祖神を紹介します。



道祖神の説明を聞く参加者

 

「路傍の情熱(一)」と名づけられた道祖神。摩耗していて姿・形がはっきり分かりませんが、蓮の花に乗っていることから、仏教系の道祖神だとわかるそうで、一般的な道祖神とは逆で男が左、女が右になるそうです。


 

本州高遠住石工四良右門兼氏作 と石工の名前が彫ってあります。山形村は江戸時代に高遠藩領だったことから、高遠の石工が彫った道祖神が何体かあるそうで、これもその内の1体だと説明を受けました。石工の名前を彫ってあるものは珍しいそうです。

この道祖神の魅力は「笑顔」、左に立つ女神は娘さんのように若く見えます。にこやかな表情がとてもいいです。




 

昔、アメリカの研究者がこの道祖神の拓本を取って、紹介したことから海外にまで知られた「下大池の筒井筒」と呼ばれる道祖神です。筒井筒は幼なじみという意味だそうです。お互い相手の肩に手を掛け、反対の手で握手をしています。そんなに若そうではありませんね。もっとも神様には歳はないのかもしれませんが・・・。


 



酒樽と名づけられた道祖神 男神の下にあるのが酒樽です。祝言跪座像です。男神は手に杯を持ち、女神は酒器を手にしています。3の道祖神の型は抱肩握手像と呼ばれます。どちらの型が多いのかは覚えていません(説明ではこのことには触れませんでした)。

嘉永2年建立の道祖神ですが、大正12年に手を加えたそうです。像の上、石の左側を少し欠いて
男のシンボルとして形を整えたそうです。説明を聞かなければ分かりませんね。道祖神はオールマイティの神様、子孫繁栄の願いも叶えてくれるということですから、分かります。


 



寛政6年、1796年の建立ということですが、着物の省略表現に因るのかモダンな印象の像です。


 

 

「豆沢のじじばば」という名前の道祖神です。なるほど確かに両神とも若いという印象ではないです。「ちょっと、じいさん 止めてくださいよ、いい歳をして」 ばあさんの声が聞こえてきそうです。


 

上大池の筒井筒 女神の顔に動きがあります。男神がぐっと引き寄せたところでしょう。石工が下絵(原案)を何枚か描いて村人に説明し、どれにしましょうかと相談して決めたと思われるとの説明を受けました。

道祖神は顔の表情が豊かで皆仲良く寄り添っています。石神石仏の中でも道祖神は地域の人たちに親しまれ、観光客に人気があることも頷けます。

* すでに紹介した道祖神もあります。再び本稿に載せました。


 


「岩波茂雄」を読む

2013-11-02 | A 読書日記

 中島岳志氏の『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』 白水社 を読んだ時、いい文章を書く人だなと思った。同氏の『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』 岩波書店 を読み始めた。



**長野県諏訪盆地。その中心には豊かな水を湛える諏訪湖がある。**(2頁)小説のような書き出しを読んでやはり同じ感想を持った。衒いのない、いい文章を書く人だな、と。

岩波茂雄が1881年に諏訪湖畔の村に農家の長男として生まれ、神田で古本屋を始めるところまで読み進んだ。**「屋号だけ世間が知ってて店主が何といふ人か一向知れずにゐるのいがいやだと思ふから姓をそのままの岩波書店としては如何」と言った。**(59頁)

岩波書店という店名はこのように奥さんの提案で決まった。岩波茂雄については岩波書店を創業した信州人ということしか知らない。だからこのエピソードももちろん知らなかった。

読み進むと次々とびっくりする出来事が出てくる。岩波茂雄は諏訪実科中学(現在の諏訪清陵高校)の四年生を修了したところで上京(この時にはすでに父親が亡くなっている)。日本中学の五年生の編入試験を受験するも不合格・・・。

**自分は四、五日前先生を慕って日本中学へ入らうと決意して田舎から出てきたのです。外の学校へ入らうといふ気は毛頭ないのです。日本中学へ入れて貰へなければ死ぬより他に道はありません。家へもおめおめと帰れません。**(24頁)

必死で懇願して再試験を認めてもらい、結果岩波は日本中学の五年生に編入することができたという。今では到底あり得ないことだ。その後第一高等学校に入学するも最終的には除名処分となる。この間の経緯にもいくつかの驚きの出来事がある。

「人生の悩み」を抱え込んだ岩波は東京を離れる決心をして、野尻湖の琵琶島(弁天島)に渡り、俗世との関係を断った自炊生活を始める。島に渡って十日が過ぎた日、母親が船頭に頼み船で岩波を訪ねてくる、風雨が強く荒れていたのでずぶ濡れで・・・。

**母は岩波と五時間余り語り合った。母は岩波を心配し、学業への復帰を願った。**(48頁)岩波は母の愛に触れ、自殺を思いとどまったのだ。

こんなことがあったのか・・・、驚きの事実を知った。

岩波は神田で古本屋を始めるときに中村屋の相馬愛蔵に相談していることもこの本で知った。古本屋から出版社へと業態を変えていく過程で夏目漱石の『こころ』を出版するが、この経緯についても出てくる。

『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』 興味深い本に出合った。