透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

豊田講堂の記事を読んで

2014-10-28 | A 読書日記



 「LIXIL eye」は株式会社LIXILが発行する無料の情報誌だが、内容が充実していて、有料の○○誌などは足下にも及ばない。

最新号(NO.6)の特集記事に名古屋大学豊田講堂が取り上げられている。建築家・古谷誠章氏と豊田講堂を設計した槇文彦氏、槇総合計画事務所副所長・福永知義氏との鼎談が14ページに亘って掲載されている。こんな記事は先の○○誌には望むべくもない。

1960年5月に竣工した豊田講堂は槇文彦氏のデビュー作で日本建築学会賞を受賞している。知らなかったが、この建築は2006年12月から2007年12月までの工期で増改築工事が行われている。

コンクリート打ち放しの細い柱を並べ、中央にマッス(用途は講堂)を配したファサードデザインを知ったのはいつ頃だっただろう。地震国日本でどうしてこんなにスレンダーなコンクリート柱(上の写真参照)が成立するのか、恥ずかしながらその訳がずっと分からないままだった。

「LIXIL eye」に収録されている鼎談に次のような槇氏の発言がある。**「豊田講堂は、打放しのコンクリートで、どちらかというとコルビュジエ的なところもあるんです。もちろんまだ出来ていませんので、模型写真ぐらいしかなかったんですが、彼(引用者注:コルビュジエ)がそれをずっと見ていて、わりと気に入ってくれたんです。ところが、建物の両端のコの字型の柱が耐震壁につながっているのを見て「これは何だ」と言われた。「日本は地震があるので耐震壁だ」、「自分は、あまりそれは気に入らない」と。地震のある国で仕事をしていないですから、耐震壁を見たことがないんですね。**

この件(くだり)を読んで改めて掲載されている外観写真を見て両サイドに耐震壁があることに気がついた。そうか、これか・・・、長年の疑問が解けた。

この壁が有効で改修にあたって行った耐震性のチェックで耐震補強がほとんど必要のない構造だと分かったことも鼎談で明かされている。

記事に載っている講堂の断面詳細図は見た記憶がないから、おそらく初めてだろう。ちなみに出典は「新建築」1960年8月号。図面から講堂の大空間を構成するシェル構造の屋根を4方から出したキャンティレバー(片持ち梁)の先で支えるという大胆なシステムが見て取れる。

施工した竹中工務店の現場所長はシェルの施工の前日に現場事務所に神棚をつくったらしい。キャンティレバーの先でシェルを支えるという大胆な構造が怖かった、本当に成立しているのか心配だったということだろう。確かに図面を見ていても構造的に成立しているということが直感的に分からない。

鼎談の中で槇氏は**僕は建築の評価を決めるのは“時”だと思っている。**と言っている。**建った時の竣工写真じゃなくて情景ですね。そこで人々がどんなふうに建物を使っているかとか、交わっているかというシーンで初めてそれが分かる。**とも。この発言が印象に残った。

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知的なモダニズム建築を創り続けてきた槇氏の設計による新しい長野市民会館、(仮称)長野市民文化芸術会館が来春竣工する。今から空間体験が楽しみだ。