透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

961 御殿場の火の見柱

2018-01-29 | A 火の見櫓っておもしろい


961 静岡県御殿場市 1脚無4型 写真提供Aさん 撮影日180128

 今日(29日)の信濃毎日新聞朝刊1面に「新生山雅に熱視線」という見出しの記事が掲載されていた。**サッカーJ2松本山雅が28日、1次キャンプ地の静岡県御殿場市で今季初の練習試合。約400人のサポーターが駆け付け、活躍を願って熱い視線を送った。** Aさん・A君はこの約400人の中に入っていたのだ。山雅は熱心なファンに支えられている。

A君が御殿場市内で出合った火の見柱を撮ってきてくれていた(撮影したのはA君だろう)。

これはコンクリート柱だろう。見張り台から下の部分は赤茶色に塗装されている。なかなかスタイリッシュで、どういえばいいのか、そう、ヨーロッパ的なデザインだ。

今年したいことのひとつが静岡の火の見櫓巡り。


 


「おらおらでひとりいぐも」

2018-01-29 | A 読書日記

■ 久しぶりに芥川受賞作を単行本で読んだ。若竹千佐子さんのデビュー作『おらおらでひとりいぐも』河出書房新社。



妹がまだ芥川賞に決まる前に読んでいた本を借りてきた(貰ってきた?)。

夫に先立たれ、子どもたちは自立して、ひとり暮らしをしている桃子さん(74歳)が主人公。桃子さんは24歳のときに故郷(東北)を離れてかれこれ50年経っている。

**いつの間にか東北弁でものを考えている。晩げなのおかずは何にすべから、おらどはいったい何者だべ、まで卑近も抽象も、たまげだごとにこの頃は全部東北弁でなのだ。というか、有り体にいえば、おらの心の内側で誰かがおらに話しかけてくる。東北弁で。それも一人や二人ではね、大勢の人がいる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。それをおらの考えど言っていいもんだがどうだが。たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、なんだがおらは皮だ、皮にすぎねど思ってしまう。おらという皮で囲ったあの人がたはいったい誰なんだが。(後略)**(13頁)

**だどもなして今頃東北弁だべ。そもそもおらにとって東北弁とはなんだべ、と別の誰かが問う。(中略)東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらを汲み上げるストローのごときものである、と言う。**(15頁)

この自問自答、桃子おばあちゃん、タダモノではない。

おひとり様になった私、「いかに生くべきか、いかに逝くべきか」。哲学的テーマに関する桃子さんの東北弁による思索。