1191 飯山市静間 4脚8〇型 撮影日190512
■ 電線が邪魔。電柱も火の見櫓も道路沿いに建てられることが圧倒的に多いので、こんなことになってしまう。
この写真では分かりにくいが(撮影方向が悪いから)、正面(道路側)のみ開口が確保され、櫓内部に出入りできるようになっている。ここはやはり脚としてのデザインをして欲しい。
12日に出合った火の見櫓は11基。本稿でそれら全ての紹介終了。
1191 飯山市静間 4脚8〇型 撮影日190512
■ 電線が邪魔。電柱も火の見櫓も道路沿いに建てられることが圧倒的に多いので、こんなことになってしまう。
この写真では分かりにくいが(撮影方向が悪いから)、正面(道路側)のみ開口が確保され、櫓内部に出入りできるようになっている。ここはやはり脚としてのデザインをして欲しい。
12日に出合った火の見櫓は11基。本稿でそれら全ての紹介終了。
1189 中野市柳沢 日高見神社 4脚8〇型 撮影日190512
■ 坂道沿いに立つ火の見櫓で遠くから見えていた。坂道の上方にからカメラを水平方向に向けて火の見櫓を撮った。逆光なのは仕方がない。全形は整っているが、過半のブレースがリング付きの細い丸鋼でないために櫓の透け感がイマイチですっきりしていないところがやや難、と言うのが私の感想。
梯子の床面から上部の長さがもう少し欲しい。手すりに飾りはなく、シンプル。今回の火の見櫓巡りでは飾り付きの手すりを見ていない。飾りの有無には地域性があるのかもしれない。
たっぷり時間がある身になったら、いろんな観点から撮りためた多数の写真を基に火の見櫓の地域性について調べてみたい。例えば松本地域には3角形の櫓が4角形の櫓より圧倒的に多く、諏訪地域(伊那方面まで含めた広域で捉えても)には松本地域とは逆に4角形の櫓が圧倒的に多い、ということは分かっているが、統計的には把握していない。単なる印象ではなく、客観的なデータとして捉える作業をしてみたい。
脚部。正面にのみアーチ部材を用いて開口をつくっている。
銘板により、この火の見櫓が昭和31年(1956年)に建設されたことが分かる。
火の見櫓を望遠する。鎮守の杜をバックに凛々しく立っている。