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■ 永井荷風の『夢の女』(岩波文庫2019年第7刷)を読み終えた。
印象に残るくだりを引く。**お浪はあたかも人なき深山の谷川辺に行暮れたような心持になって悲し気に空の方を仰いで見ると、一天拭うが如く鏡の如き十三夜の月は丁度自分の頭の上に万里の清光を漲らせている。お浪は実(げ)に今宵ほど立派に晴れ渡って夜の大空をかくまで限りもなく広々と打仰ぐ機会はなかったに相違ない。玲朧(れいろう)たる月の世界や、烟にような天河の他に、ありとあらゆる天体は、尽く爛々たる怪光を放って、蒼穹(そら)の上に浮かんでいるのである。**(165、166頁)
かつての東京にはこんな夜があったのだ。その空を仰ぎながら主人公のお浪は自身の境遇を思う。引用を続ける。
**しかし今この無窮なる空の有様を打仰ぎながら、なおも心の中に動いている長い過去の生活に接触すると、つくづく広い天地の間に、身一(みひとつ)の心細さを感ずると同時に、今日が日まで唯だ幻(うつつ)のように送って来た生活の夢から全く目が覚めたような心持がするのである。世に立つべき力なく思慮というものなき女の身一ッで、能く今日が日まで両親(ふたおや)と娘(*)に対して、重い責任を背負って来る事が出来たものだ。殆ど夢が夢中で何かしら自分の尽くすべきだけの事を尽くしていたなら、やがて知らず知らず人間最後の大い幸福(さいわい)の目的に達し得られるように思っていたが、吁、この世の中は決してそういうものではなかったろう。**(166,167頁)
* 筆者注:奉公先での不幸な出来事で身ごもってしまい、主人の妾に。この時まだ十代後半。波乱の人生が続く・・・。
23歳にしてこの境地を描いてしまう永井荷風。江藤 淳が『夏目漱石』を発表したのが22歳のときだったことに驚くが、永井荷風がこの『夢の女』を23歳で発表したということにも驚く。
後世に名を残す人はやはり才能がある、ということだ。