■ 中島岳志氏の『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』 白水社 を読んだ時、いい文章を書く人だなと思った。同氏の『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』 岩波書店 を読み始めた。
**長野県諏訪盆地。その中心には豊かな水を湛える諏訪湖がある。**(2頁)小説のような書き出しを読んでやはり同じ感想を持った。衒いのない、いい文章を書く人だな、と。
岩波茂雄が1881年に諏訪湖畔の村に農家の長男として生まれ、神田で古本屋を始めるところまで読み進んだ。**「屋号だけ世間が知ってて店主が何といふ人か一向知れずにゐるのいがいやだと思ふから姓をそのままの岩波書店としては如何」と言った。**(59頁)
岩波書店という店名はこのように奥さんの提案で決まった。岩波茂雄については岩波書店を創業した信州人ということしか知らない。だからこのエピソードももちろん知らなかった。
読み進むと次々とびっくりする出来事が出てくる。岩波茂雄は諏訪実科中学(現在の諏訪清陵高校)の四年生を修了したところで上京(この時にはすでに父親が亡くなっている)。日本中学の五年生の編入試験を受験するも不合格・・・。
**自分は四、五日前先生を慕って日本中学へ入らうと決意して田舎から出てきたのです。外の学校へ入らうといふ気は毛頭ないのです。日本中学へ入れて貰へなければ死ぬより他に道はありません。家へもおめおめと帰れません。**(24頁)
必死で懇願して再試験を認めてもらい、結果岩波は日本中学の五年生に編入することができたという。今では到底あり得ないことだ。その後第一高等学校に入学するも最終的には除名処分となる。この間の経緯にもいくつかの驚きの出来事がある。
「人生の悩み」を抱え込んだ岩波は東京を離れる決心をして、野尻湖の琵琶島(弁天島)に渡り、俗世との関係を断った自炊生活を始める。島に渡って十日が過ぎた日、母親が船頭に頼み船で岩波を訪ねてくる、風雨が強く荒れていたのでずぶ濡れで・・・。
**母は岩波と五時間余り語り合った。母は岩波を心配し、学業への復帰を願った。**(48頁)岩波は母の愛に触れ、自殺を思いとどまったのだ。
こんなことがあったのか・・・、驚きの事実を知った。
岩波は神田で古本屋を始めるときに中村屋の相馬愛蔵に相談していることもこの本で知った。古本屋から出版社へと業態を変えていく過程で夏目漱石の『こころ』を出版するが、この経緯についても出てくる。
『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』 興味深い本に出合った。