透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

マグニチュードって?

2008-06-19 | A あれこれ

■ 岩手・宮城内陸地震で被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。

今回は地震がある度に発表される「地震の規模を示すマグニチュード」について。

数日前に偶々聞いたNHKラジオのニュース番組で解説者が阪神大震災はマグニチュード7.3、岩手・宮城内陸地震はマグニチュード7.2でほぼ同じだとコメントしていました。そのコメントにあれ?と思いました。0.1の違いはかなり大きいはずでは。

マグニチュードが0.1増えると一体エネルギーはどのくらい増えるのだろう。調べてみました。

ネット検索して、グーテンベルグ・リヒターの式なるものがあって、
logE=4.8+1.5Mだと知りました。Eはエネルギー(ジュール)でMはマグニチュードです。logか・・・、数学は、いえ、数学苦手でした。

この式に阪神大震災のときのM 7.3を、岩手・宮城内陸地震のM 7.2をそれぞれ代入して
logE=15.75、logE=15.60を得て(Eは阪神大震災のエネルギー、Eは岩手・宮城内陸地震のエネルギー)関数電卓を使って得たE、Eの値からE/E求めると約1.4125となりました。

はEの1.4倍(計算が合っていれば)ってことはふたつの地震のエネルギー量はほぼ同じ、とは言えないということになると思います。1次関数のように単純ではないから分かりにくいんですね。もっと直感的に分かるような指標ってないのでしょうか。

 *****



この本にも前稿で取り上げた看板建築のことが出てきます。


路上観察 看板建築

2008-06-18 | A あれこれ



■「看板建築」、今から30年くらい前に建築史家・藤森照信さんよって命名された。その定義は必ずしも明確ではないように思うが、手元の資料「看板建築考 様式を越えて」横手義洋(10+1 NO.44 特集藤森照信/INAX出版に収録されている論考)には木造商店の表側をついたてのようにつくりそこに面白い装飾をつけた住居併用商店建築と説明されている。

私は①の写真(060408銀座にて撮影)のような銅板一文字(亀甲張りや菱張りなどもその仲間)張り又は②のようなモルタル装飾仕上げのフラットなファサードの木造商店建築だと勝手に解釈している。但し狭義には銅板仕上げに限定したい。そして所在地は東京に限定。






先に挙げた資料で横手さんは**一般に観察される看板建築は藤森の観察眼をはるかに越えてC級以下のものにまで展開し、その発見される地域も銀座や日本橋をとりまくドーナツ状地帯のさらに外縁、さらに、地方都市にも広がってゆく。(中略)名称の認知度が上がるにしたがい拡大解釈され、命名者藤森の手から巣立ってゆく。**と指摘している。

③は松本市内で昨日(080617)撮った写真。手前の白い建築は「白鳥写真館」、この建築が修復・再生されることを報じた地元の新聞(タウン情報071222)には**「看板建築」と呼ばれる内部は木造、外壁はコンクリートという造り。**などと意味不明な説明がなされている。

私が狭義に捉えている外壁が銅板張りの看板建築は今や絶滅危惧建築だ。保護する手立てはないものだろうか・・・。


本郷食堂

2008-06-17 | A あれこれ





■ 松本市役所から程近い本郷食堂。常連さんが足繁く通う老舗です。聞けば昭和元年に始めたとか、もう80年以上も営業しているということですね。

夕方所用(というほどのことでもありませんが)で近くまで出かけたついでに寄ってみました。のれんはいつもこんな様子です。何故かきちんと掛かっているところを見たことがありません。

本郷食堂の看板メニューはなんといっても焼きそばですが、今日は五目ラーメンを注文しました。「今日は暑いけれどいいのかい?」とおじいさんに確認されました。焼きそば同様、五目ラーメンにも目玉焼きがのっています。あとはご覧の通り、キャベツがいっぱいで麺が見えません。「誠実な味」と表現しておきます。B級グルメな夕暮れ時でした。


 


白水ロコ展 a day dream を観た

2008-06-15 | A あれこれ


高橋節郎記念美術館




 安曇野市穂高にある美術館に隣接する高橋節郎の生家の蔵は再生されてギャラリーとして開放されています。ここで開催(6月15日まで)されていた 白水ロコ展 a day dream を観てきました。

入口(外観写真の右側の扉)を入るといきなり上の不思議な鳥(作品名は分かりませんが双頭人面孔雀です)と対面することになります。かなり大きな木彫作品で高さが1.5mくらいあると思います。リアルな人の顔が彫られています。

双頭で人の顔が付いている孔雀など初めて見るので脳は混乱するのでしょう、脳内にストックしてあるどのデータにもありませんから「不気味なもの」と認識することになると思います。作者にしてみれば鑑賞者にこのような不気味な気持ちを抱かせることが狙いなのかも知れません。

もしかしたらこの作品を「きゃ、かわいい!」と思う人もいるかもしれませんが、私は正直ちょっと苦手です。他の作品にも人の顔がついていました。壁掛けの作品を寝室に飾って夜中に眼が覚めたら、こちらを見つめていて・・・。

白水ロコさんは安曇野在住だそうで、いつかまた作品を観る機会があるでしょう。 


 


オマージュ

2008-06-15 | A あれこれ


『磯崎新の「都庁」』より以下同じ

 『磯崎新の「都庁」』平松剛/文藝春秋にはこんな話が出てきます。

横浜港国際客船ターミナル(横浜大桟橋)国際コンペの審査員の磯崎さんは同じく審査員としてオランダからやってきたレム・コールハースと東京駅で落ち合い車で一緒に横浜に向かったそうです(1995年のことでした)。余談ですが横浜大桟橋は私も見学に出かけたことがありました。

コールハースは途中で工事中のある建築を目にして磯崎さんに言ったそうです。「おい、磯崎、あそこに君の都庁が建ってるじゃないか。コンペには負けたんじゃなかったのかい?」磯崎さんは「え?・・・・ああ・・・・・いや、違うんだ。あれは丹下さんの仕事なんだよ(笑)」(会話の部分は本書より引用しました)

上の断面図は磯崎さんの新都庁舎案ですが、立体フレームに球体が載っています。球体の材質はチタンだと本文に出てきます。これとよく似たビルで丹下さんの設計といえば・・・。そうお台場にあるフジテレビ本社ビルですね。建築に詳しくない方でもピンときたでしょう。テレビにも時々登場しますから。

コールハースは丹下さんの設計であることをちゃんと知っていて磯崎さんをからかったのかも知れないと平松さんは書いています。

ところで磯崎さんが丹下研に入った当初、旧都庁第一庁舎がちょうど建設工事中だったそうです。磯崎さんは旧都庁第一庁舎は日本の1950年代の建築の代表作だと思っているそうですが、磯崎さんの新庁舎低層案のプロポーションはこの旧都庁第一舎によく似ています。


丹下さんの旧庁舎


磯崎さんの新庁舎立面図

磯崎さんの新都庁舎案は丹下さんの旧都庁舎へのオマージュだった・・・。そしてそのことに気が付いた丹下さんがフジテレビ本社ビルで磯崎さんに応えた・・・。

こんなふうに想像して眉唾な説をもっともらしく語るって楽しいです。 


 


東京都新庁舎建設の影で

2008-06-15 | A あれこれ



 この本には完成した新庁舎の詳細な紹介の他にコンペ関係者の座談会(磯崎さんや審査員のひとり菊竹さんも参加しています)、丹下さんへのインタビュー記事、評論などが掲載されていてなかなか充実しています。「日経アーキテクチュア」も常にもう少し内容が充実しているといいんですけどね。

工藤国雄氏は「世界は今何時か」と題する評論で「丹下健三」は氏にとってミケランジェロであり、コルビュジエであり、日本でただ一人の“The”アーキテクトでさえあった、と断った上でイデオロギー的に低層案の磯崎に負けているとし、**テレコミュニケーションの発達している今日、中規模都市の人口に匹敵する都の職員が、このように過度に「一点」に集中する必要はない。**と指摘し、新庁舎をまるで時代錯誤の江戸城ではないかと手厳しく批判しています。

都知事を頂点とする官僚的なツリー状の組織を可視化するというのはコンペの暗黙の了解事項だったのかも知れません。

工藤氏は旧都庁舎の取り壊し問題についても触れて、**いかなる事情にせよ、いかなる分別にせよ、いかなる政治にせよ、これは許されるべきではない。**と書き、**あれはもはや丹下個人の作品ではない。かけがえのない日本の歴史的風景なのだ。(中略)我々戦後を駆け抜けた「民主主義の世代」が、記憶を失い、風景を失い、文化を失うのだ。(後略)**とまで書いています。





東大寺南大門と磯崎新

2008-06-14 | A あれこれ


■ 東大寺南大門
『磯崎新の「都庁」』平松剛/文藝春秋より
 



■ 大分県医師会館
「GA ARCHITECT 6 ARATA ISOZAKI 1959-1978」より


■『磯崎新の「都庁」』平松剛/文藝春秋 を読んでいる。丹下さんと磯崎さんについての話題が満載で実に興味深い本だがタイトルに沿って内容を少し絞り込んでも良かったのではないかと思う。

さて今回の建築トランプは東大寺、イラストは南大門だ。この本にも東大寺南大門の写真が載っている。

磯崎さんは学生時代、長期休暇で帰省する際、毎回関西で途中下車して古建築を見て回ることにしていたそうだ。もちろんこの東大寺南大門も見ている。

そうだ! 僕は思い出した。日本名建築写真選集「東大寺」新潮社 に磯崎さんがエッセイを書いていた!



エッセイの書き出しはこうだ。
**東大寺南大門は、日本建築の歴史のなかで最重要の建物だ、と私は考えている。
個人的に建築を専門にするずっと以前に奈良を訪れて、そのときにはじめてみたときの印象が、四十年余りも持続している。** 

更に磯崎さんは続けて書いている。

**その後に私は世界中の歴史に残る建築を、可能なかぎりみてきた。そのあげく、いくつかの日本の建物の評価を初期の印象から変更したいと思ったりしたが、この東大寺南大門だけは、やはり最重要だと、いまは確信をもって言える。**

そうか、磯崎さんの処女作、大分県医師会館のドーンと立ち上がる柱を使ったデザインって東大寺南大門から来ているのか・・・。


 


路上観察 土蔵造りの長屋門

2008-06-14 | A あれこれ




■ 土蔵造りの長屋門に遭遇、車を停めて路上観察(旧四賀村にて080613)。

細長い土蔵の中央に大きな開口を設けて屋敷への出入口としている、そうまさにこれは長屋門の形式だ。両側は収蔵庫でどっしりとした引き戸がついている。開口の上部に木柄の大きな材料を使った床組みが見える。桁の上に窓がついている。この開口廻り、なかなか渋い意匠だ。

手前に柱が2本立っているが、ここに両開きの扉が付いていたのかもしれない。家の方にお願いして内部も見学させていただこうかとも思ったが、路上観察で済ませた。

こんな空間構成や開口廻りの意匠を住宅の設計に採り入れたら面白いな、観察していてそう思った。開口部分の床は木製のデッキ、どちらかの引き戸を玄関にして、正面にはアイストップとして樹形のいい花木を植える。2階は階高を抑えた小屋組み表しのザックリとした空間、シンプルな垂木構造を見せる。南側半分は吹き抜けの空間にしてもいい。外壁は塗り壁、一部板張り。難しいのは窓か・・・。

 


環境が人を育てる

2008-06-13 | A あれこれ

 昨日6月12日はアンネ・フランクの誕生日でした(1929年)。そして「アンネの日記」を書き始めた日(1942年)でもありました。誕生日から書き出そうとアンネは決めていたのかもしれません。それからアンネは約2年間日記を書き続けたのでした。おそらく世界で一番読まれている日記でしょう。

 今回は東京都中央区立泰明小学校。

下の写真の後方に写っているのは帝国ホテルだと思います。大都会の真ん中にこんなに「古い」小学校があるなんて驚きです。北村透谷や島崎藤村もこの小学校の出身だと知りました。





「歴史」を感じさせる外観です。3階には半円形の窓がリズミカルに並んでいます。どうしても繰り返しに目がいきますが、いわゆる表現主義の特徴がこの窓などのデザインから読み取れる、のだそうです。

この姿を毎日目にする児童たちはおそらく、気持ちが落ち着くでしょう。「環境が人を育てる」という言葉がリアルに伝わってきます。

「時を経た建築には記憶力がある」と既に書きました。建築に染み込んでいる知識が児童たちに語りかけてくるなどという表現を敢えてしますが、ガラスや金属パネルなど「記憶力の無い材料」から成る学校では到底得ることの出来ない知的で濃密な環境ですね。


泰明小学校 
東京都中央区銀座5丁目 明治11年創立 現在の校舎の完成は昭和4年

教育環境の充実ということが目的で学校を新築する、そのことで長年の時の流れによって培われた大切なものを失ってしまう・・・。いかにも残念です。歴史を継承する解決方法って個々に異なるでしょうがきっと見つかると思います。


 


え~ 磯崎さん低層案ですか

2008-06-13 | A あれこれ


本のカバーをスキャンして必要な部分を切り取りました。

■ あの東京都庁舎のコンペは中央の組織事務所も何社か指名されましたが、実質的には磯崎さん(左 カバー表)と丹下さん(右 カバー裏)の一騎打ちだったと私は思っています。当選案となるのは超高層案、と分かっていて磯崎さんは敢えて低層案を提出したのでした。書店でこんなカバーの本を見つけたら、そりゃ~もう即買います。出版社は文藝春秋(定価2190円+税)。

**建築界の知の巨人の夢と格闘の軌跡を追う、建築ノンフィクションの大作。**(帯より引用)




 


ほうば巻を食べながら今夜も建築の保存について考えた。

2008-06-12 | A あれこれ



 ほうば巻で一息。

さて、前稿の続きを。 経済を採って文化を捨てたこの国で(ちょっと表現が過激に過ぎますか)、文化より経済を優先しているこの国で民間の建築を保存することは困難だということには前稿で触れました。

公共建築とて事情に違いはあまり無いような気がしています。文化的な価値があるということが建築の保存について大きな力になるなどとは言えないのが現状でしょう。

学校でさえ文化的な価値などあまり考慮されること無く、いとも簡単に取り壊して新築してしまう・・・。教育環境に文化的価値など不要というのも如何なものかと。

前稿に書いた中谷宇吉郎は古い建物の実験室では学生たちの実験がスムーズに進むと実感していたようで、そのことについて自身の著作で触れているそうです。このようなことがもし実証されれば、自治体の首長も学校の改築について違う結論をあるいは出すかもしれませんが、無理でしょうね。


このブログでは政治的なことには触れないことにしています。公共建築を残す、残さないについて、政治と切り離して述べることは無理だということを承知で試みましたが、やはり難しいです。

途中省略で最後のまとめを簡単に。

ある建築を取り壊すという結論に異を唱えてその方針を変えさせようとするならば、地元住民の声をそのように「つくらなければならない」でしょう。かなり難しいことだとは思いますが・・・。


 


今回も建築の保存について少しだけ考える の巻です。

2008-06-10 | A あれこれ

前稿からの続き。

 保存するか否か、民間の建築についてはオーナーの意向で決まることは明らかで、そこに住民の要望が反映される余地など皆無に等しいと思います。もちろん例外もあるとは思いますが。事実ギャラリートークで参加者の質問に対して村野藤吾研究会の森さんはそのように明言していました。

文化的な価値があると社会的に認知されている公共建築も「残す」か「残さない」かは住民の意向によって決められているかのようにみえても実は案外極少数の人たちによって決められているのではないか、そう思います。

その際キーマンが個人的にその建築に愛着を感じているかどうか、建築は文化だという見識を持っているかどうかがその判断を決するのではないかと思うのですが、明確な根拠を示すことができるわけではありません。

住民はその結論の駄目押しにうまく利用されているに過ぎないのではないか(言葉が適切でないかも知れませんが)・・・。 おっと話があぶない方向に進みそうです。

 朝のラジオ番組「日本全国8時です」の火曜日のゲストは詩人の荒川洋治さんです。今日(6月10日)は時の記念日、ということで「建物と時の流れ」というテーマで話が進みました。「雪は天から送られた手紙」という言葉で有名な科学者、中谷宇吉郎氏を取り上げ、氏が古い建物には記憶する力があり、知識が染み込んでいるということを書いていると紹介していました。科学者とは思えないような文学的な表現ですが。

古い建物が発する何とも言い難い独特の雰囲気はそこに歴史が記憶されているからなんだと合点が行きました。

今回も途中ですがこの辺で。 


建築の保存について少しだけ考える の巻(修正稿)

2008-06-10 | A あれこれ

 前稿で村野藤吾の晩年の作品である八ヶ岳美術館で開催された長谷川尭さんの講演とギャラリートーク(実質的には天井のカーテン工事を担当した保科功さんの体験談)について書きました。

ギャラリートーク終了後の質疑応答で既にいくつかの村野作品が取り壊されてしまっていて保存はなかなか難しいということが話題になりました。例えば松寿荘(民間会社のゲストハウス)は竣工が1979年ですが既に2003年に取り壊されています。経済的な理由だと聞いています。更地にして売却されたそうで、土地を取得した不動産会社によるマンション建設の計画があるそうです。また村野さんの出身大学、早稲田大学の文学部校舎も解体が決定しているとか(既に解体工事が始まっているとも聞きますが)。

八ヶ岳美術館は地元原村出身の彫刻家、清水多嘉示の作品の寄贈を受けて計画された村立の美術館です。この美術館を村民は誇りにしているとは言え将来取り壊される可能性が皆無だとは断言できません。芸術的な価値が高いと評価されている絵画でしたら退色したことなどを理由に処分されることなど考えられませんが、建築は絵画や彫刻などのような純粋芸術ではなく基本的に人の生命と財産を守るという使命を負うているわけですから、それが保障できないという事態になった時、選択肢として解体もあり得るからです。文化勲章受賞者の村野さんの作品とて例外でないということを既にいくつかの作品が解体されてしまったという事実が示しています。

建築を経済活動(経済活動に限りません、建築の機能に応じて文化活動であったり教育活動であったりもしますが)の単なる「手段」と捉えることが一般的なこの国の実情からすれば、建築の保存など、何それ?どうして?ということなのでしょう。

もちろんこの国にも建築の文化的な価値を認めて積極的に保存している自治体もあるそうで、しばらく前に取り上げた「函館の弥生小学校の保存」について書いているyayoizakaさんのブログにはその例として東京都中央区が紹介されています。関東大震災後の復興事業として建設された復興小学校が前述の判断によって積極的に残され今でも使われているそうです。同様の例は民間企業にもあります。要は建築の捉え方、認識の問題だろうと思います。


以下削除しました。稿を改めて続きを書く予定です。


八ヶ岳美術館

2008-06-09 | A あれこれ


緑が美術館を包む


レースのカーテンが作品を包む(許可を得ての撮影)。



広島世界平和記念聖堂 平面図
新建築「現代建築の軌跡 1995/12月臨時増刊号」より

 昨日(8日)の午後八ヶ岳美術館をおよそ20年ぶりに訪ねた。


建築評論家長谷川尭さんの講演「村野藤吾の八ヶ岳美術館 ―偉大な建築家が残した晩年の傑作―」とレースのカーテンの吊天井の施工を担当した保科功さんの「八ヶ岳美術館のレースのカーテン」を聴いた。

長谷川さんは村野藤吾の作品にはふたつの流れ、即ちモダニストとしての合理的で幾何学的な作品と過去の様式主義者としての非合理な内面、情念の表現があることを指摘した。160枚ものスライドを使っての説明は興味深いものだった。

戦後の作品「広島世界平和記念聖堂」(1955年)にはそのふたつの流れが見られるという。雑誌に出ている平面図(写真)を見ると、なるほど横長のモダニズム建築を長谷川さん言うところの情念が縦に貫いている。それに左端にある祭壇の天井はドームで八ヶ岳美術館に繋がっているという指摘。平面の縦の軸線も八ヶ岳を思わせる。

西宮の聖母修道院は禁欲的な幾何学、箱根樹木園は村野さんの情念。関西大学には幾何学的な校舎と円形の図書館、合理と非合理。作品にはふたつの流れのどちらかが、あるいは両方が表現されている。次第に曲線を多用した「情念」に傾いていったと思うが。

不勉強で村野藤吾の作品について多くを知らない私には興味深い講演だった。

村野藤吾は過去の作品を参照しているという指摘は以前、別の方の講演でも聞いたことがある。ストックホルム市庁舎からきているという森五ビルのファサード。別に村野藤吾に限ったことではないだろう。箱根プリンスホテルのドーナッツ型の計画は中国の客家(はっか)にイメージソースを求めていて、樹木園は四国の民家園(の建物の名前はメモできなかった)からヒントを得たと思うと長谷川さんは指摘していた。

レースのカーテンの天井を施工した保科功さん、現場で村野藤吾とやりとしたエピソードはなかなか興味深かった。貴重な証言を聞いた。

現場主義の村野さん、保科さんの目の前で彼が偶々持っていたスケッチブックを借りてじっと考えた後、線を5、6本引いて「君、これだよ」と言って現場を後にしたという。さてそれが何なのかさっぱり分からない。そこからレースのカーテンのイメージを読み取って試作を繰り返してようやくできた天井(写真中)。

竣工検査でダメ出しされたら会社がつぶれる・・・、保科さんはびくびくしながら待っていたそうで、「これは手づくり、同じでなくていいんだよ」と村野さんは左右対称に出来なくて気にしていた保科さんに言ったとのこと。

工事の途中で村野さんは「自然の木や草を建築がこわしてはいけない、これは岩だよ」と保科さんに美術館について説明したそうだ。ドーム状の屋根の連なりは「岩」だったのか・・・。

地中から噴き出てきたような「岩」の外観。それとは対照的な女性的で柔らかな内部空間。

美術館全体の俯瞰写真をみると、外部はドームの規則的な繰り返しで、村野藤吾の合理的な考え方を読み取ることができる。レースのカーテンがつくる内部の曲面は村野さんの感性の表現、と理解すればいいのだろう。

晩年は柔和な印象の村野さんだが、保科さんと共にギャラリートークに加わった村野藤吾研究会の森義純さんは死ぬまで宮本武蔵だったと村野藤吾を評した。長谷川さんのスライドの一番最初に出てきた若かりし頃の村野藤吾(黒髪でウイスキーグラスを手にしていた)は眼光鋭く、確かに武士のようだった。


 


アートな週末東京 寄り道

2008-06-08 | A あれこれ


080606 撮影

■ 路上からの観察では把握できないので内部に入ってちょっと観察しました。ここは学士会館 (千代田区神田錦町)。

やはり歴史を負う建築には独特の濃密な雰囲気があります。新築の建築からは決して出てこない落ち着き、静寂感。

建築は文化、老朽化や耐震不足を理由に安易に取り壊すなどということはもはやすべきではないでしょう。



東京駅もかつては取り壊しが検討されました。熱心な反対運動によって取り壊しは回避され、いま開業当初(たぶん)の姿に復元する工事が進められています。案内看板を見ると地下に構造物を設け、免震構造を施す大掛かりな工事です。

せっかく撮った写真なのでアップしておきます。