透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

唐破風には機能的な意味がある!? 

2009-01-12 | A あれこれ



 建築トランプ(←南洋堂のトランプを全てみることができます)、桂離宮と常に対比して語られる日光東照宮。徳川家康を祀る霊廟。

『日本名建築写真選集』に納められている写真を見ています。いくら費用お構いなしで造られたとはいえ、このギンギラギンはすごいです。私はブルーノ・タウトさん同様、サリゲナクの桂離宮の方が好きです。

桂もこの東照宮も共に17世紀(江戸初期)の建築です。ギンギラギンもサリゲナクも共に日本人の美意識にある、ということなのでしょう。

トランプのイラストは東照宮の建築の中でも特に有名な陽明門。「頭でっかち」で不安定な印象ですが、見る者を圧倒する迫力も同時に感じます。入母屋屋根に唐破風の軒。

幼少のころ走っていて転ぶと「頭でっかちだから」、と言われたことがあります。

この唐破風、機能的な意味ってあるんだろうかと前から思っていたのですが、正月に初詣に行った善光寺で、本堂正面の唐破風を見ていて、ふと気がつきました。大屋根から流れる雨水は唐破風で両側に向きを変えるから「唐破風をつけたところには雨が落ちない」のだと。


長野の西光寺本堂の唐破風 撮影日090104 

神社拝殿正面の屋根や門の屋根に唐破風が付けてあるのはこのためだろうと思います。そう、唐破風には雨除けという機能的な意味がある! これホント!? それと正面性を強調するとう意匠的な意味もあるでしょうね。


 


しめ縄と野だて傘に共通すること

2009-01-11 | A あれこれ

 休日の午後、松本市内のカフェにて

「きのうの夕方、奈良井川沿いの道路を通ったとき、三九郎をやってた」
「そうですか。今朝、新聞で読みましたけど、松本市内で480ヶ所位で三九郎をやるそうですね」
「え?そんなに多いの?」
「ええ、市の教育委員会で把握しているようです」

「三九郎って、しめ縄やダルマを焼いて無病息災を祈る伝統行事、なんだけど、都会だと正月飾りも可燃ごみで出すのかな」

「え~、どうなんでしょう。家庭ごみとは分けているんじゃないですか」
「そうかな、でもニュースには取り上げられないよね。やはり、そっと、ごみで出してたりして。ところで、Mさんってお茶をやるんだよね」

「ええ。随分前から習ってます。ですから茶室にも私、関心があるんです」

「じゃ、いつか四畳半の喫茶店でお茶したいね。ボクは作法を知らないけど。ところで、野だての時に立てる紅い和傘のこと、なんていうのかな」
「え、普通に野だて傘って呼んでますけど」
「野だて傘ね。じゃその野だて傘としめ縄に共通することはな~んだ?」
「野だて傘としめ縄に共通すること、ですか? 日本に古くから伝わる文化?」
「そうだね。しめ縄って、結界を表しているんだよね。神域っていうのかな、それと俗界とをあのしめ縄で区画しているわけで、地鎮祭のとき、縄を張って神域をつくるのと同じ」

「しめ縄を飾ってあるお宅には正月の間、神様が降りて来ているとかって聞いたことがあります・・・」

「そう、しめ縄って神聖な空間をつくる装置というか、そういう飾りだよね」

「それと野だて傘の共通点って・・・」
「野だて傘を立てることで、周りの空間とは違う空間をつくり出しているわけでしょ。違う空間をつくる、その意味ではしめ縄と同じ。どちらも精神的な領域規定かも知れないけど」

「そうですか・・・空間をつくり出す・・・」
「どちらも空間創出装置、建築ってわけ」
「しめ縄も、野だて傘も建築なんですか?」
「そう、建築の定義次第だけど、そういう捉え方もできるね」
「そうですか・・・、なんとなく分かるような、分からないような・・・」

「一見全く関係の無いと思われるふたつの事柄が、見方によっては繋がってくる」
「前にもU1さん、そんなことをおっしゃってましたね。お花見の時に場所取りでテープを張るとかシートを敷くとか、あれも建築ですか?」
「そう。空間を切り取ること、周りとは違う空間をつくること、建築って要するにそういうことなんだから。しめ縄とは違って、花見の場所取りはもっと物的な空間規定だから、より狭義の建築に近いね。雨が降ってもいいように天幕を張ったら建築そのものだね

「それなら建築だって分かります。建築って随分幅が広いんですね!」




太宰治と松本清張

2009-01-11 | A 読書日記

■ ああ、今回はあのことか、と気づかれたと思います。そうです、今年はふたりの生誕100年にあたる年なんですね。

新潮社のHPで昨年末に知りました。新年になって各紙このことを取り上げたようです。1909年生まれの作家は他にもいますが、このふたりを取り上げたのは、ずば抜けて人気が高いということなんでしょう。



太宰治が『人間失格』を世に残して玉川上水で入水自殺したのは40歳になる前でした。一方、松本清張がこの『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞したのが、44歳の時。それから作家活動を始めたわけですから、そのとき既に太宰はこの世の人ではなかった、ということになりますね。

人生いろいろ、ですね。

さて、ここからどう書き進めるか・・・。

松本清張記念館が北九州市小倉にありますね。松本市美術館の設計者、長野の宮本忠長さんの設計。清張ファンとしてはいつか訪ねたい、と思っています。再現されている書斎や3万冊の蔵書が見たいのです。

太宰治の生家「斜陽館」は築100年を過ぎた豪邸。太宰のファンではありませんが、この建築は是非見学したいと思っています。鶴岡あたりからしだれ桜の角館を経由して津軽へ。りんごの花が咲く頃はきれいでしょうね。

どちらもここ5年、いや10年くらいの間に実現したいと思います。

青森が先かな。


冬の京都、寒いだろうな

2009-01-10 | A あれこれ

■ そうだ、京都へ行こう(←クリック)と、以前書いたことがあります。この過去ログを読んでのことなのかどうか、確認しませんでしたが、こんな本があります、とMさんがわざわざ持ってきてくれました。



JR東海・京都キャンペーンポスターの写真と文10年間を収録。と表紙の下に紹介文があります(この写真では読めませんが)。この本のことは知りませんでした。

私がブログに付けたタイトル「そうだ、京都へ行こう!」とよく似ていますね。偶然です。図案でこのくらい似ていたら盗用を疑われたかもしれません。

**最高に美しい京都がここにある。大好きな京都がここにある。**ということで京都の有名な寺などを美しい写真と簡潔なコピーで紹介しています。

コピーがなかなか優れていると思います。例えば龍安寺の石庭は**石と砂でできたクイズです。何百年も、正解が出ていません。**と、こんな調子です。

**日本の「ガーデニング」です。どなたか、この美しさについて、論理的、科学的に説明していただけませんか。**というコピーもあります。これは別の庭園についていたものですが、この石庭のコピーにしてもいいな、と思います。

挑発的なコピーですが、このコピーライターは分かっていますね、日本の庭園についてそのように説明することなど出来ないということが。

来月、京都に行きますが、手元にある旅行案内によると青蓮院の見学も予定されています。ここの庭園も美しいですね。小堀遠州の庭(でしたよね)、楽しみです。

雪の金閣を観ることができれば最高ですが・・・。


パレスサイド・ビルの縦樋

2009-01-08 | A あれこれ

  
写真:T君提供

『林昌二の仕事』新建築社 年末年始の休みに「見た」。

林さんがチーフとしてこのパレスサイド・ビルの設計に取り組んだのは30代の時だったと知った。白い円筒状のダブルコアが印象的なデザイン。この本には配置図や平面図、矩計図など、手描きの実施図面が載っている。配置図を見ると変形敷地に上手く納めていることがわかる。

この本を見るまで知らなかったが、このビルの屋上は庭園になっている。日本で最も古い屋上庭園のひとつ、と紹介されている。

林さんは屋上を5つ目のエレベーションとしてデザインしたそうだ。将来、空が交通手段の主軸になっていくことをにらんでのことだという。

槇さんもまた、屋上もきちんとデザインしなくてはならない、と主張してたと記憶している。

さて、このビルのファサードの特徴はやはりこの縦樋とルーバーのリズミカルな構成(写真)だが、各階ごとに樋には「漏斗(じょうご)」が付いている。材質はアルミ。このようにすれば仮に樋がつまってもその箇所が容易に特定できる。

屋上庭園の芝生の枯草が樋を詰まらせるおそれがあることを考慮して高層ビルでは珍しい外樋とし、さらにこのように各階で分節したのだそうだ。そう、これは特に意味のない「単なるデザイン」とは全く違う。

ところで、まつもと市民芸術館も屋上の一部は芝生の庭園だが、雨水はどのように処理しているのだろう・・・。いつか観察してみよう。


平成の道祖神

2009-01-08 | B 石神・石仏



 今年初めての路上観察、ではなかったです。善光寺に初詣に出かけた際、灯籠を路上観察しました。ですから、今回は今年2回目の路上観察です。

塩尻市洗馬(せば)の道祖神、裏側に平成四年十一月三日 芦ノ田拓本クラブ建立とありました。ずいぶん彫りが鮮明だな、と思ったのですが、その印象の通りこれは新しい道祖神でした。形のいい自然石に丸い額縁、丸みを帯びた双像。

お互い相手の肩に手をかけて、手には酒器を持っています。抱肩握手像ほど数は多くないかも知れません。


正月に読んだ本

2009-01-06 | A 読書日記



 巣ごもり正月。「HV特集 日本・庭の物語」や前稿で書いた「桂離宮 知られざる月の館」など、日本の美に関するテレビ番組を興味深く見た。

『建築家は住宅で何を考えているのか』PHP新書、『雪月花の心』栗田勇/祥伝社新書 共にビジュアル本。

『雪月花の心』。「繰り返さないという美学」を無謀にも考えてみようとすると、どうしてもこの手の本を読むことになる。

富士通グループの外国人経営者を対象としたセミナーで行われた講演内容をまとめた本。「雪月花」というキーワードで読み解く日本の芸術。


「桂離宮 知られざる月の館」

2009-01-05 | A あれこれ

 昨晩(4日)放送されたこの番組を観た。

「日本の美とは何かを語りかける建築があります。桂離宮。単純にして明快。しかし、そこに奥深い精神性があると世界から称えられてきました。」というナレーションから番組は始まった。

京都の西を流れる桂川のほとりにある桂離宮。空からその全景がまず映し出された。続いて茅葺の御幸門を潜って小石を敷き詰めた「あられこぼし」の御幸道を進むシーン。御殿の前庭にアプローチした後、古書院の中へ・・・。簡素で慎ましやかな佇まい。そして池に向かって張り出した月見台へ。広縁からさらに外につくられた月見台、丸竹を敷き並べただけのつくり。

月見台に手摺が無いのは庭との間に一切の結界を置きたくない、書院の生活空間と庭とを直結したいという気持ちの表れだという(中村昌生氏の解説)。

月の名所、桂の地名は中国の故事「月桂」に因んだもの。桂離宮は月見のための壮大な装置。特別に撮影を許可されたという月の夜の桂。

茶屋の月波楼、天井を張らない開放的な空間。池の反射光が天井に揺らぐ。桂離宮の中で最初に月を楽しめる場所。秋、十月。月波楼から眺めた満月、なるほど美しい。

古書院の月見台、その正面でとらえる満月。池の中にも月が映り、ふたつの月を楽しめる贅沢な眺め。深夜、浮月と名付けられた手水鉢に南天の月が浮かぶ。

回遊式庭園に配された茶屋。舟で繋ぐシークエンス。

茶屋のひとつ、笑意軒。口の間の正面軒下の小壁、六連の丸い下地窓。奥に見える中の間、正面に二間の障子窓。窓下の低い腰壁をシャープに斜めに分割する金箔と南蛮渡来のビロード。カメラはゆっくりそこに向かう。

窓の外に望む豊かな自然。ひとつの画面に組み合わされた大胆で斬新な意匠と風景、抽象と自然の融合

さらに番組は桂の魅力を紹介していく・・・。

王朝文化の復興。江戸時代初期、武家政権の確立した時期と重なる桂離宮の創建。八条宮初代智仁親王と第二代智忠親王が優れた美意識によって桂に表現したもの、それは公家としての「矜持」だと私は思う。

NHKスペシャル「桂離宮 知られざる月の館」 


 


初詣

2009-01-04 | A あれこれ





 昨年の正月(←過去ログ)、日帰りで京都に行って来ました。繰り返しの美学を巡るのが目的でした。今年は善光寺へ初詣に出かけました。


本堂前の大香炉。ここで頭に線香の煙をかけて無病息災を願ってから、階段を上って本堂内へ。

善光寺の写真というと本堂の正面を撮影したものが圧倒的に多いですね。では本堂の裏側の様子は? ということで参拝を済ませてから、初めて裏側にまわってみました。静かな佇まい。なかなか落ち着いた雰囲気です。



帰り道、参道の灯籠に注目。柱が根継ぎしてあることに気がつきました(写真③の右)。柱の根元が傷んだのでその部分だけ新しいものと交換したんですね。「金輪継ぎ」という継手によって古い柱と新しい部材が接続されています。更新の技、昔の人たちの知恵です。



善光寺から長野駅に向かって中央通りを下っていくと新しい灯籠が歩道の植え込みに設置されていました。駅前で手にしたパンフレットによると「善光寺表参道に灯籠を復元建立する事業」によるのもだそうです。24対、48基の灯籠の設置が昨年末に行われたようです。屋根の上にはソーラーパネルが載っています。今年は善光寺御開帳の年、それに合わせて実現したプロジェクトでしょう。

雪の夜、街の明かりを消すと灯籠の灯りが通りをぼんやり明るくする・・・。灯籠の灯りの連なり、繰り返しの美学。


 


「繰り返さないという美学」へ

2009-01-03 | B 繰り返しの美学

 同一形を等間隔に並べるという単純な数理的規則に拠って構成されている「繰り返しの美学」。その構成が美しいことについて、何度も書いてきました。以下のことについても既に書きましたが・・・。

脳科学者の茂木健一郎さんは『「脳」整理法』ちくま新書 に「規則性は歓びの感情を引き起こす」と興味深い指摘をしています。また、建築史家の藤森照信さんは繰り返しのパターンのひとつ、左右対称が美しいのは何故かについて、人が生まれてまず目にするのが母親の顔で、左右対称。それで左右対称を美しいと思うようにプログラムされている」のだ、と雑誌「モダンリビング」に書いていました。

『NHK夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社を見ていると、選ばれている建築にはファサードや内部空間が左右対称のものが多いことに気が付きます。

やはり茂木さんや藤森さんが指摘するように人を感動させる建築には左右対称という単純な幾何学的ルールに則ってデザインされたものが多いようです。

100選に選ばれている日本の建築でも、広島の厳島神社や日光東照宮の陽明門などは建築正面にカメラを正対させて左右対称であることを強調して撮った写真を載せています(ただし、中には平等院鳳凰堂のようにそのように撮っていないものもあります)。

日本人にもこのように単純な規則性に反応し、美しいと思う美意識は当然あるのでしょう。その一方で規則性が隠されていて読み取れないものにも反応する感性を持っているんですね。その代表例として和風庭園を挙げるとすれば、龍安寺の石庭が直ちに浮かびます。

15個の石の布置は黄金比という規則に基づいている、という説もあるようですが、作庭者はそのような知的な美学ではなく、感性に拠っていたのではないか、と私は思います。

この石庭が何故美しいのか、京都大学の謎解きの試みが数年前だと思いますが、新聞に載っていました。残念ながら内容を覚えていません。やはり気になる記事はスクラップ、最近ではスキャンして画像データ保存ですか、しておくべきだと思います。

今年はこのような美について「繰り返さないという美学」というテーマ(繰り返さないというキーワードが最適だとは思いませんが)を据えて取り上げたいと思います。

多様な解釈が可能だと思いますので、珍説をでっち上げようと思います。分析的なアプローチでは無理でしょうから、難しいとは思いますが。


「桂離宮」

2009-01-03 | A 読書日記


桂離宮 『NHK夢の美術館 世界の名建築100選』と「建築トランプ」

■ 建築トランプ。あと10数枚残すのみ、となった。今年は桂離宮から。といってもこの数奇屋風書院造りの名建築については知識がない。ドイツから亡命してきた建築家、ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したと書いて、後が続かない・・・。でも何かもう少し知っているだろう。知識を搾り出せ。

桂は月の名所、桂離宮には月に関わるデザインがあちこちに施されている。襖の引き手。月見台、確か床には竹が使われている。そして、松琴亭には青と白の市松模様のモダンなデザインの襖がある。

これ以上書けないのでチラッとカンニング(日本名建築写真選集19 桂離宮/新潮社)。



月波楼というユニークな平面形の茶屋がある。月を鑑賞するのにもっとも適したロケーションだそうだ。この建築の平面形を説明するのは難しい。**床と付書院を備えた四畳の一の間、この東に鉤の手に続く七畳半の中の間、(後略)**と平面形が同書に説明されてはいるが、それを全て引用しても伝わらないと思う。

ユニークな平面形だが、外観は端整にまとまっていて美しい。こけら葺きの寄棟造りで瓦棟。松琴亭の外観の方がまとまりに欠けている。

今からおよそ400年前、元和初年に天皇の弟宮である八条宮初代智仁親王によって別荘として草創され、第二代智忠親王によって完成された、ということだ(前掲書の大和 智氏の解説による)。元和初年っていつ? 調べてみて1615年と分かった。

日本人の美意識ってやはりすごいと思う。「繰り返しの美学」にとどまっていてはいけない。感性が創りだす「繰り返さないという美学」に学ばなくては・・・。

この桂離宮を紹介するテレビ番組が明日(4日)ある。必見!!



「包む」について考える の巻

2009-01-02 | A あれこれ

「おめでとうございます。U1さん、今年も時々誘ってください」
「おめでとうYちゃん、年賀状ありがとう」
「あ、いえ、昨年お世話になりましたし」



「へ~、U1さんってお料理の本も読むんですか?」
「お料理には・・・、ここにあるのはお料理小説、お料理エッセイだからね」
「そうですか。この本は私も読みました。池波正太郎って食通で有名ですよね」
「そうだね。この作家の小説って読んだことがないけれど、何故かこの本は昔読んだね」
「そうですか」
「ところでYちゃんって料理は?」
「一応しますけど。でもひとり暮らしですから・・・」
「ひとりだと頑張ろうって気にならないか。ひとり鍋ってのもね。」
「そうなんですよ」

「『聡明な女は料理がうまい』とかいうタイトルのエッセイ集かな、あったと思うけどね。昔読んだ本だけど」
「そうですか。どうでしょう・・・。料理がうまい女性が聡明なのか、聡明な女性が料理がうまいのか」
「ん? 突然、論理学?」
「そういうつもりじゃ・・・聡明な女性でも料理が得意じゃないって人もいると思うし。でも料理が得意な人って聡明だとは思いますね」

「なるほどね。ところで、突然だけど包むとか巻く料理にどんなものがある?」
「え~、包む、巻くですか? のり巻。ベーコン巻き、アスパラとかベーコンで巻きますよね。それから牛肉で、なんだろう、ゴボウとか巻きます。ロールキャベツ。それから餃子、はる巻き、シュウマイ。卵焼きも巻きますね。あとなんだろう・・・。ほう葉巻きとか。おせちには昆布巻き」
「いろいろあるね」

「そうですね。まだまだたくさんあると思うんですけど・・・」
「これだけ出てくればリッパ」
「でも、突然どうしたんですか? あ、分かった。U1さんのブログって包むもテーマにしてるから? え~、じゃこの会話もブログネタにするんですか?」

「そう。じゃ次。包むとくるむの違いって分かる?」
「え? 包むとくるむ? くるむって方言じゃなくて標準語ですよね。え~なんだろう・・・。新聞紙に包む、くるむって両方言いますけど、包装紙にくるむとは言わないと思いますけど。だから包む方が包むものの形に合わせて丁寧に包む。くるむほうが、ざっといい加減にというか・・・」
「なるほど。確かにね」
「でも、どうしてそんなこと考えたんですか?」
「諏訪には「たてぐるみ」と言って蔵を、ま、住宅などにくるんだ民家があるんだけど、なぜ包むではなくてくるむなんだろうって思ってたし、さっきYちゃん、ほう葉巻きを挙げたけど、あれは巻くじゃなくて包むだと思うんだよね、言葉の使い方が曖昧だなって思ってさ」
「そうですね。でも、日常使う言葉って厳密な定義づけがされている訳ではないでしょう」
「そうだね、長年の習慣みたいなこともあるだろうし・・・」

「Yちゃん、この近くに美味いラーメン屋があるから、行こう」
「え?どこですか?」
「ヒント、なると巻きの入っているラーメン」
「なると巻きって・・・、巻くとか話してたからですか?」
「そう」

*****

「このなると巻きってどうやってつくるんだろうね」
「この渦ですか。知らない」
「なるとってどっちが表か知ってる?」
「え、これって表裏があるんですか・・・ウソだぁ」
「「の」に見えるほうが表らしいよ。カネ久というメーカーのHP*に出てた」
「ほんとですか?」

まだまだ会話は続いたのですが・・・この辺で。

*なると巻きの表裏→ なると巻き


 


「透明タペストリー」の紹介

2009-01-02 | A あれこれ

 あけましておめでとうございます。

透明タペストリーへようこそ。拙ブログを紹介します。信州の鄙里に暮らす中年が趣味の建築と本などについて書いています。


下記のようにいくつかのテーマを設定していますが、あまり意識はしていません。


「繰り返しの美学」 
建築を構成する要素の規則的な繰り返しは美しい。秩序づけられた状態には美が宿るという観点から捉える建築あれこれ(表参道ヒルズにて撮影)。



「路上観察」 
藤森照信さんたちの路上観察学会に倣って、建築などを路上観察しています。「あ、面白い!」と思ったらパチリ。どこが面白いのか、分析するところまではなかなか出来ませんが・・・(松本市内にて)。



「民家 昔の記録」
25年以上も前に訪ね歩いた全国の民家の記録です。まさか、公開することになるとは・・・(塩山の櫓造り 撮影年月 79/10)。



「建築トランプ」
東京の南洋堂発行の「シャッフル!日本建築」というトランプ。一枚一枚取り上げて、書いています。後10数枚残しています。



「包む」
建築とは人を「包む」空間、環境を創出する手段、ということもできると思います。この意味では衣服も建築。広く生活全般にある「包む」を取り上げます。



「四季のフォトアルバム」
美しい!と感じる感性を大切に。



「この本を読んだ」
日々の読書の記録。要領よくストーリーをまとめて感想を書く、という基本的なスタイルはあまり採りません。本そのものが好きですから、装丁にふれたり関連本について書いたり、気ままな読書記録です。



「ブックレビュー」
読了した本についてひと月分、月末にまとめて載せています(この写真はひと月のブログに登場した本たち。読了本だけではありません)。


「友人との会話」
若い女性との建築談議。ときにはセクハラな会話も。


「透明タペストリー」はこんなブログです。もしよろしければときどき遊びに来てください。


おめでとうございます 2009年1月1日

2009-01-01 | E 朝焼けの詩

 
           凛として  開智学校 

■ 松本・開智学校の建設を託された地元の大工棟梁、立石清重は新しい時代の学校に相応しいデザインの手がかりを得るために東京、横浜へ徒歩で西洋館の見学に出かけたそうです。それも2回も。「学ぶ」ということに対するこの真摯な姿勢を見習わなくてはならない、と思います。

今年も15冊の本のタイトルによる新年の挨拶です。

『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか』飯田朝子/小学館新書

『建築史的モンダイ』藤森照信/ちくま新書
『松本清張への招集令状』森史朗/文春新書
『自然な建築』隈研吾/岩波新書
『TVピープル』村上春樹/文春文庫

『終らない旅』小田実/新潮社
『目の気流』松本清張/新潮文庫
『デザインにひそむ美しさの法則』木全賢/ソフトバンク新書
『東京奇譚集』村上春樹/新潮文庫
『海の仙人』絲山秋子/新潮文庫

『誤差』松本清張/光文社
『THE GOOD HOUSE』The Taunton Press
『磯崎新の「都庁」』平松剛/文藝春秋
『真鶴』川上弘美/文藝春秋
『すべての男は消耗品である村上龍/角川文庫







今年もよろしくお願い致します。

2009/01/01 U1