写真:T君提供
『林昌二の仕事』新建築社 年末年始の休みに「見た」。
林さんがチーフとしてこのパレスサイド・ビルの設計に取り組んだのは30代の時だったと知った。白い円筒状のダブルコアが印象的なデザイン。この本には配置図や平面図、矩計図など、手描きの実施図面が載っている。配置図を見ると変形敷地に上手く納めていることがわかる。
この本を見るまで知らなかったが、このビルの屋上は庭園になっている。日本で最も古い屋上庭園のひとつ、と紹介されている。
林さんは屋上を5つ目のエレベーションとしてデザインしたそうだ。将来、空が交通手段の主軸になっていくことをにらんでのことだという。
槇さんもまた、屋上もきちんとデザインしなくてはならない、と主張してたと記憶している。
さて、このビルのファサードの特徴はやはりこの縦樋とルーバーのリズミカルな構成(写真)だが、各階ごとに樋には「漏斗(じょうご)」が付いている。材質はアルミ。このようにすれば仮に樋がつまってもその箇所が容易に特定できる。
屋上庭園の芝生の枯草が樋を詰まらせるおそれがあることを考慮して高層ビルでは珍しい外樋とし、さらにこのように各階で分節したのだそうだ。そう、これは特に意味のない「単なるデザイン」とは全く違う。
ところで、まつもと市民芸術館も屋上の一部は芝生の庭園だが、雨水はどのように処理しているのだろう・・・。いつか観察してみよう。
■ 今年初めての路上観察、ではなかったです。善光寺に初詣に出かけた際、灯籠を路上観察しました。ですから、今回は今年2回目の路上観察です。
塩尻市洗馬(せば)の道祖神、裏側に平成四年十一月三日 芦ノ田拓本クラブ建立とありました。ずいぶん彫りが鮮明だな、と思ったのですが、その印象の通りこれは新しい道祖神でした。形のいい自然石に丸い額縁、丸みを帯びた双像。
お互い相手の肩に手をかけて、手には酒器を持っています。抱肩握手像ほど数は多くないかも知れません。
■ 巣ごもり正月。「HV特集 日本・庭の物語」や前稿で書いた「桂離宮 知られざる月の館」など、日本の美に関するテレビ番組を興味深く見た。
『建築家は住宅で何を考えているのか』PHP新書、『雪月花の心』栗田勇/祥伝社新書 共にビジュアル本。
『雪月花の心』。「繰り返さないという美学」を無謀にも考えてみようとすると、どうしてもこの手の本を読むことになる。
富士通グループの外国人経営者を対象としたセミナーで行われた講演内容をまとめた本。「雪月花」というキーワードで読み解く日本の芸術。
■ 昨晩(4日)放送されたこの番組を観た。
「日本の美とは何かを語りかける建築があります。桂離宮。単純にして明快。しかし、そこに奥深い精神性があると世界から称えられてきました。」というナレーションから番組は始まった。
京都の西を流れる桂川のほとりにある桂離宮。空からその全景がまず映し出された。続いて茅葺の御幸門を潜って小石を敷き詰めた「あられこぼし」の御幸道を進むシーン。御殿の前庭にアプローチした後、古書院の中へ・・・。簡素で慎ましやかな佇まい。そして池に向かって張り出した月見台へ。広縁からさらに外につくられた月見台、丸竹を敷き並べただけのつくり。
月見台に手摺が無いのは庭との間に一切の結界を置きたくない、書院の生活空間と庭とを直結したいという気持ちの表れだという(中村昌生氏の解説)。
月の名所、桂の地名は中国の故事「月桂」に因んだもの。桂離宮は月見のための壮大な装置。特別に撮影を許可されたという月の夜の桂。
茶屋の月波楼、天井を張らない開放的な空間。池の反射光が天井に揺らぐ。桂離宮の中で最初に月を楽しめる場所。秋、十月。月波楼から眺めた満月、なるほど美しい。
古書院の月見台、その正面でとらえる満月。池の中にも月が映り、ふたつの月を楽しめる贅沢な眺め。深夜、浮月と名付けられた手水鉢に南天の月が浮かぶ。
回遊式庭園に配された茶屋。舟で繋ぐシークエンス。
茶屋のひとつ、笑意軒。口の間の正面軒下の小壁、六連の丸い下地窓。奥に見える中の間、正面に二間の障子窓。窓下の低い腰壁をシャープに斜めに分割する金箔と南蛮渡来のビロード。カメラはゆっくりそこに向かう。
窓の外に望む豊かな自然。ひとつの画面に組み合わされた大胆で斬新な意匠と風景、抽象と自然の融合。
さらに番組は桂の魅力を紹介していく・・・。
王朝文化の復興。江戸時代初期、武家政権の確立した時期と重なる桂離宮の創建。八条宮初代智仁親王と第二代智忠親王が優れた美意識によって桂に表現したもの、それは公家としての「矜持」だと私は思う。
NHKスペシャル「桂離宮 知られざる月の館」
①
②
■ 昨年の正月(←過去ログ)、日帰りで京都に行って来ました。繰り返しの美学を巡るのが目的でした。今年は善光寺へ初詣に出かけました。
本堂前の大香炉。ここで頭に線香の煙をかけて無病息災を願ってから、階段を上って本堂内へ。
善光寺の写真というと本堂の正面を撮影したものが圧倒的に多いですね。では本堂の裏側の様子は? ということで参拝を済ませてから、初めて裏側にまわってみました。静かな佇まい。なかなか落ち着いた雰囲気です。③
帰り道、参道の灯籠に注目。柱が根継ぎしてあることに気がつきました(写真③の右)。柱の根元が傷んだのでその部分だけ新しいものと交換したんですね。「金輪継ぎ」という継手によって古い柱と新しい部材が接続されています。更新の技、昔の人たちの知恵です。④
善光寺から長野駅に向かって中央通りを下っていくと新しい灯籠が歩道の植え込みに設置されていました。駅前で手にしたパンフレットによると「善光寺表参道に灯籠を復元建立する事業」によるのもだそうです。24対、48基の灯籠の設置が昨年末に行われたようです。屋根の上にはソーラーパネルが載っています。今年は善光寺御開帳の年、それに合わせて実現したプロジェクトでしょう。
雪の夜、街の明かりを消すと灯籠の灯りが通りをぼんやり明るくする・・・。灯籠の灯りの連なり、繰り返しの美学。
■ 同一形を等間隔に並べるという単純な数理的規則に拠って構成されている「繰り返しの美学」。その構成が美しいことについて、何度も書いてきました。以下のことについても既に書きましたが・・・。
脳科学者の茂木健一郎さんは『「脳」整理法』ちくま新書 に「規則性は歓びの感情を引き起こす」と興味深い指摘をしています。また、建築史家の藤森照信さんは繰り返しのパターンのひとつ、左右対称が美しいのは何故かについて、人が生まれてまず目にするのが母親の顔で、左右対称。それで「左右対称を美しいと思うようにプログラムされている」のだ、と雑誌「モダンリビング」に書いていました。
『NHK夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社を見ていると、選ばれている建築にはファサードや内部空間が左右対称のものが多いことに気が付きます。
やはり茂木さんや藤森さんが指摘するように人を感動させる建築には左右対称という単純な幾何学的ルールに則ってデザインされたものが多いようです。
100選に選ばれている日本の建築でも、広島の厳島神社や日光東照宮の陽明門などは建築正面にカメラを正対させて左右対称であることを強調して撮った写真を載せています(ただし、中には平等院鳳凰堂のようにそのように撮っていないものもあります)。
日本人にもこのように単純な規則性に反応し、美しいと思う美意識は当然あるのでしょう。その一方で規則性が隠されていて読み取れないものにも反応する感性を持っているんですね。その代表例として和風庭園を挙げるとすれば、龍安寺の石庭が直ちに浮かびます。
15個の石の布置は黄金比という規則に基づいている、という説もあるようですが、作庭者はそのような知的な美学ではなく、感性に拠っていたのではないか、と私は思います。
この石庭が何故美しいのか、京都大学の謎解きの試みが数年前だと思いますが、新聞に載っていました。残念ながら内容を覚えていません。やはり気になる記事はスクラップ、最近ではスキャンして画像データ保存ですか、しておくべきだと思います。
今年はこのような美について「繰り返さないという美学」というテーマ(繰り返さないというキーワードが最適だとは思いませんが)を据えて取り上げたいと思います。
多様な解釈が可能だと思いますので、珍説をでっち上げようと思います。分析的なアプローチでは無理でしょうから、難しいとは思いますが。
桂離宮 『NHK夢の美術館 世界の名建築100選』と「建築トランプ」
■ 建築トランプ。あと10数枚残すのみ、となった。今年は桂離宮から。といってもこの数奇屋風書院造りの名建築については知識がない。ドイツから亡命してきた建築家、ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したと書いて、後が続かない・・・。でも何かもう少し知っているだろう。知識を搾り出せ。
桂は月の名所、桂離宮には月に関わるデザインがあちこちに施されている。襖の引き手。月見台、確か床には竹が使われている。そして、松琴亭には青と白の市松模様のモダンなデザインの襖がある。
これ以上書けないのでチラッとカンニング(日本名建築写真選集19 桂離宮/新潮社)。
月波楼というユニークな平面形の茶屋がある。月を鑑賞するのにもっとも適したロケーションだそうだ。この建築の平面形を説明するのは難しい。**床と付書院を備えた四畳の一の間、この東に鉤の手に続く七畳半の中の間、(後略)**と平面形が同書に説明されてはいるが、それを全て引用しても伝わらないと思う。
ユニークな平面形だが、外観は端整にまとまっていて美しい。こけら葺きの寄棟造りで瓦棟。松琴亭の外観の方がまとまりに欠けている。
今からおよそ400年前、元和初年に天皇の弟宮である八条宮初代智仁親王によって別荘として草創され、第二代智忠親王によって完成された、ということだ(前掲書の大和 智氏の解説による)。元和初年っていつ? 調べてみて1615年と分かった。
日本人の美意識ってやはりすごいと思う。「繰り返しの美学」にとどまっていてはいけない。感性が創りだす「繰り返さないという美学」に学ばなくては・・・。
この桂離宮を紹介するテレビ番組が明日(4日)ある。必見!!
「おめでとうございます。U1さん、今年も時々誘ってください」
「おめでとうYちゃん、年賀状ありがとう」
「あ、いえ、昨年お世話になりましたし」
「へ~、U1さんってお料理の本も読むんですか?」
「お料理には・・・、ここにあるのはお料理小説、お料理エッセイだからね」
「そうですか。この本は私も読みました。池波正太郎って食通で有名ですよね」
「そうだね。この作家の小説って読んだことがないけれど、何故かこの本は昔読んだね」
「そうですか」
「ところでYちゃんって料理は?」
「一応しますけど。でもひとり暮らしですから・・・」
「ひとりだと頑張ろうって気にならないか。ひとり鍋ってのもね。」
「そうなんですよ」
「『聡明な女は料理がうまい』とかいうタイトルのエッセイ集かな、あったと思うけどね。昔読んだ本だけど」
「そうですか。どうでしょう・・・。料理がうまい女性が聡明なのか、聡明な女性が料理がうまいのか」
「ん? 突然、論理学?」
「そういうつもりじゃ・・・聡明な女性でも料理が得意じゃないって人もいると思うし。でも料理が得意な人って聡明だとは思いますね」
「なるほどね。ところで、突然だけど包むとか巻く料理にどんなものがある?」
「え~、包む、巻くですか? のり巻。ベーコン巻き、アスパラとかベーコンで巻きますよね。それから牛肉で、なんだろう、ゴボウとか巻きます。ロールキャベツ。それから餃子、はる巻き、シュウマイ。卵焼きも巻きますね。あとなんだろう・・・。ほう葉巻きとか。おせちには昆布巻き」
「いろいろあるね」
「そうですね。まだまだたくさんあると思うんですけど・・・」
「これだけ出てくればリッパ」
「でも、突然どうしたんですか? あ、分かった。U1さんのブログって包むもテーマにしてるから? え~、じゃこの会話もブログネタにするんですか?」
「そう。じゃ次。包むとくるむの違いって分かる?」
「え? 包むとくるむ? くるむって方言じゃなくて標準語ですよね。え~なんだろう・・・。新聞紙に包む、くるむって両方言いますけど、包装紙にくるむとは言わないと思いますけど。だから包む方が包むものの形に合わせて丁寧に包む。くるむほうが、ざっといい加減にというか・・・」
「なるほど。確かにね」
「でも、どうしてそんなこと考えたんですか?」
「諏訪には「たてぐるみ」と言って蔵を、ま、住宅などにくるんだ民家があるんだけど、なぜ包むではなくてくるむなんだろうって思ってたし、さっきYちゃん、ほう葉巻きを挙げたけど、あれは巻くじゃなくて包むだと思うんだよね、言葉の使い方が曖昧だなって思ってさ」
「そうですね。でも、日常使う言葉って厳密な定義づけがされている訳ではないでしょう」
「そうだね、長年の習慣みたいなこともあるだろうし・・・」
「Yちゃん、この近くに美味いラーメン屋があるから、行こう」
「え?どこですか?」
「ヒント、なると巻きの入っているラーメン」
「なると巻きって・・・、巻くとか話してたからですか?」
「そう」
*****
「このなると巻きってどうやってつくるんだろうね」
「この渦ですか。知らない」
「なるとってどっちが表か知ってる?」
「え、これって表裏があるんですか・・・ウソだぁ」
「「の」に見えるほうが表らしいよ。カネ久というメーカーのHP*に出てた」
「ほんとですか?」
まだまだ会話は続いたのですが・・・この辺で。
*なると巻きの表裏→ なると巻き